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〈展示評〉自然に宿る霊気 描き出す 『生誕100年記念 小泉淳作展』

2024.08.01

〈展示評〉自然に宿る霊気 描き出す 『生誕100年記念 小泉淳作展』

建仁寺法堂天井画《双龍図》

7月20日から、建仁寺(東山区)で「生誕100年記念 小泉淳作展」が開催されている。美術団体や画壇とは距離をおき、己の画業に向き合い続けた孤高の日本画家・小泉淳作。昭和から平成へと駆け抜けた、彼の70年にわたる創作の道程をたどる。試行錯誤の跡が見える初期の作品から、寺院への奉納品として制作された晩年の大作まで、45点の作品を展示する。

建仁寺の本坊へ足を踏み入れると、幅3㍍ほどの大きな屏風に描かれた水墨画が目に入る。『濤声(とうせい)』では、海際にそそり立つ巨大な岩々に白波が打ち付けるさまが、水墨画ならではの陰影によって迫力をもって描かれる。岩肌に波しぶきが散る音が聴こえてくるようだ。いや、それは単なる「音」ではなく「声」として、見る者の心の奥深くへ何かを伝える。「自然への畏敬」という決まり文句ではとうてい説明できない、ある意味で言語を超えたしかたで、この画は私たちの心を揺さぶる。

濤声/The Sound of Waves



本坊の南すぐにある法堂(はっとう)の天井には、晩年の小泉が約2年の歳月をかけて完成させた大作『双龍図』が描かれている。見上げると、その巨大さに圧倒される。阿吽の口をした2体の龍が巧みな墨遣いで立体的に描かれ、今にもこちら側に飛び出してきそうなほどだ。畳108枚分の大きさにもかかわらず、うろこの一枚一枚や顔の肌の質感など、細部にわたって緻密に描き込まれており、小泉の画家としての執念を感じさせる。

本坊へ戻り、奥の方へ進むと、これまでの画とは違って華やかな色遣いの襖絵に目を奪われた。『蓮池』では、金の地に桃や白の蓮の花とその葉が、16面(約20㍍)に及ぶ襖に描かれる。見る者はもしかすると、一旦はその鮮やかさや空間の広がりに圧倒されるものの、延々と続く蓮池の風景が退屈な繰り返しのように思えるかもしれない。しかし、一つ一つの花をつぶさに観察すると、そうではないことがわかる。満開の花、茶色くくすんだ花、花弁が落ちて花托だけになった花。どれ一つとして同じ花がないのだ。それぞれの花は同じに見えても実は固有の物語をもっていて、一回限りの生を生きているのだという事実に気付かされる。

本坊から少し離れた禅居庵には、初期の作品も紹介されている。ルオーやビュフェといった西洋の近代・現代絵画の影響を受けた若き小泉の描く画は、『顔』などの連作に顕著なように、太い線と厚く塗った絵具が特徴的だ。晩年の作風とは対照的だが、どれも味わい深い。『伊豆の山』は、初期の重厚で力強い筆致から中期以降の写意を旨とする風景描写への過渡期を象徴するかのような画で、小泉の作風の変化を見る上でも興味深い。

唐や宋の時代に中国で花開いた水墨山水画との出会いは、その後の小泉の画業を大きく左右することとなる。この時期の作品として『濤声』と並んで印象的だったのは『鳥海山』だ。白雪の残る尾根から黒々とした麓にかけてなめらかに移り変わる山肌の表情を見れば、「墨に七彩あり」といわれる所以がはっきりと理解できるだろう。

中国の芸術一般へ接近していった小泉は、花卉(かき)を写実的に描く宋元画にも魅せられてゆく。なかでも『芙蓉』はうっとりしてしまうほど美しい。金箔が押された背景も相まって、あおあおと茂る若葉に囲まれた一輪の芙蓉のやわらかな白はいっそう際立ち、自ら光を放っているようにさえ見える。後年の『蓮池』とはまた違った形で、花という存在の不思議さを訴えかけてくる作品だ。

言葉では語り得ない自然の深遠さを、小泉はその画をもって抉り出し、見る者の心へ深く刻み込む。禅寺の落ち着いた雰囲気を味わいながらじっくり作品を鑑賞できるのもよい。会期は9月23日までの10時~17時(16時半受付終了)。観覧には建仁寺の拝観料(一般800円、小中高生500円)が必要。9月22日までの19時~21時半(21時受付終了)には、リラックス効果のある特別な音楽を聴きながら本坊を巡るイベント「ZEN NIGHT WALK KYOTO」も開催される(一部休止日あり。大人2,200円、小学生1,100円、未就学児無料)。(鷲)

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