文化

〈展示評〉永らく眠る地下世界 『比叡山麓の縄文世界』展

2024.05.16

〈展示評〉永らく眠る地下世界 『比叡山麓の縄文世界』展

一乗寺向畑町遺跡出土の注口土器(縄文後期)

3月9日から京都大学総合博物館で、『比叡山麓の縄文世界文化財発掘X』が催されている。本展示は京大の文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センターと総合博物館による共同企画で、2015年の初回から毎年実施している。10回目を記念した今回は例年よりも対象地域を広げた縄文世界に我々を誘う。

会場に入ると、比叡山の東側と西側の紹介ブースが目に入る。東側、すなわち琵琶湖に面した地域の遺跡として著名なものが滋賀里遺跡だ。この遺跡は坪井清足氏を中心とした京大考古学研究室が1948年に発掘調査をした。坪井氏は、学徒出陣時の台湾でも発掘調査をしていたという日本考古学の大家だ。原始的ながら物の特徴を鮮明に表すコロタイプ印刷による図版と報告書の作成を進めていたが、2016年に94歳で急逝。遺志を引き継いだ滋賀里資料研究会が昨年、75年の時を経て報告書を完成させた。今回、その出土品や周辺地域の出土品416点が一堂に会する。

会場には巨大な深鉢から土器片まで、大小様々な出土品が並ぶ。滋賀里遺跡の遺物には縄文晩期のものが多いが、この時期の土器には縄目文様が施されておらず、一部には貝殻の文様を持つ土器もある。一時期を境に関西の広範囲で縄目文様が姿を消した点から、当時の発達した情報網が窺える。更に、文様を研究すると東北や九州との広い地域間交流も見えるというが、情報伝達の詳細は未だ分かっていない。

比叡山西側の展示ブースでは、京大周辺の遺跡が紹介される。現在は南北に流れる白川は、かつて北部構内や本部構内を通っていたとされている。京大はその扇状地にあるため、河川を中心に生活を広げた縄文人の遺構が残っているのだ。京大構内で最初に遺跡調査が行われたのは1923年。日本初の考古学講座を開設した京都帝大教授・濱田耕作が、北部構内を子どもと散策中に磨製石斧を発見し調査が始まった。展示室の一角ではプレパラートが収められた木箱とノートが紹介されている。これは、かつて湿地だった北部構内から発掘された樹木や花粉などの植物遺体だ。当時では画期的な、学際的研究が始まり、その際の研究者の緻密な観察や記録に圧倒される展示である。

他にも北白川や一乗寺といった、京大生に馴染みの地からの出土品を見ることもできるが、先述の滋賀里遺跡が栄えた時代の遺跡は京大周辺から出ていない。展示を担当する千葉豊准教授は、「京大のキャンパスはまだ15%しか発掘調査ができておらず、わからないことも多い。人が住んでいた根拠が出てきていないだけかもしれないし、全く住んでいなかったのかもしれない」と語る。今、我々の足元にもまだ見ぬ縄文世界がひっそりと広がっていると思うと魅惑されてならない。

本展示では「ひかり拓本」という、複数の角度から対象物に光を当て、写真を撮影して拓本を作り出す技術も見ることができる。新技術と出会う縄文人の忘れ物も見所である。会期は6月9日まで。月・火曜日休館。観覧料は一般400円、大学生300円、京都府下の大学の学生・高校生以下無料。(燕)

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