文化

〈展示評〉文人的な、あまりに文人的な 「没後100年 富岡鉄斎」

2024.05.16

「没後100年 富岡鉄斎」展が京都国立近代美術館で開催されている。日本最後の文人画家と称される富岡鉄斎の生涯に迫る回顧展である。

文人とは中国の文化・学問の素養をもち詩文や書画を嗜む文化人のことだ。鉄斎も、近世都市の商人道徳を説いた石門心学を中心に、儒学や国学、神道とともに南画ややまと絵などを幼少より学んだ、生粋の文人である。ただし転換期の只中にあったことが彼を破格ならしめた。彼は天保期に生まれ幕末に文人として人格を形成し30代で明治維新を迎えた。だが維新後の西洋化の潮流に呑まれることなく文人画を深化させ、晩年には文人画の枠を超えた自由闊達な表現へと至った。

なぜ彼は西洋画を受容せずに文人画家としての姿勢を貫いたのか。この問いを起点に展示を見ていく。

鉄斎の画の特徴は「賛」という解説文が添えられていることだ。故事由来の賛が多く、画が彼の深い学識に裏打ちされたものとわかる。彼は学問の手段として画を描いた。ゆえに画は見る者に深遠な思考と想像を求める。ひときわ異彩を放つのは「空翠湿衣図」。墨の濃淡や筆致のうごめくような静謐さに思わず息をのむ。

展示の第1章では、鉄斎のコレクションがずらりと並ぶ。彼は「文人多癖」を好み、印章や文房具、煎茶道具などを身近に置き愛でた。包括的な知の実践者たる鉄斎の日常が垣間見える。

第2章では、津々浦々を旅して描いた画から鉄斎の探究の旅路に思いを馳せる。「蝦夷人熊祭図」「菟道製茶図・粟田陶窯図」などには、学者・神官として各地の勝景や古跡、古俗を記憶し、それらを文人画家として理想の表現へと昇華させた彼の足跡が窺える。「自分は儒者だ、画家ではない」と述べた鉄斎は、文人としての矜持と画家への敬意を忘れなかった。

さらに鉄斎は文人画に加えやまと絵や狩野派など様々な技法を貪欲に取り入れた。終章では、それらが融合した末の到達点が示される。彼は円熟の境地へ至ってもなお清新さと奔放さを失わなかった。「富士遠望図・寒霞渓図」の悠然たる迫真性はそれを今に伝える。

ユーモラスな作品も目を引く。人々の愉快な会話が聞こえてくるような「燕間四適図」。愛嬌溢れる鬼を描いた「福内鬼外図」。「盆踊図」では提灯に署名と落款が名入れされており、「フォリー・ベルジェールのバー」(マネの作品。酒瓶のラベルにサインが書かれている)も思わせる粋な工夫が光る。

仙人の隠遁を理想としつつも京都で多くの友人と交流し、西洋画の移入を傍観しつつも新時代の利器を好んで用いた鉄斎。彼は多面的な複雑性に富んだ文人であった。時代の変化に敏感でありながらも伝統を継承・発展させた鉄斎は、近代化と対峙した日本最後の文人画家であったのかもしれない。

なぜ彼は西洋化になびくことなく文人として生きたのか。それは、鉄斎は移り行く時代における自身の役割を直観しそれを全うしようとしたからではないだろうか。会期は5月26日まで。観覧料は一般1200円、大学生500円。(柄)

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