文化

〈映画評〉 『しんぼる』

2009.10.18

お笑いコンビ・ダウンタウン松本人志氏の映画監督2作目で、監督自ら企画・脚本・主演を務める本作。松本氏本人が各種テレビ番組などで精力的に宣伝活動をしていたこともあって上映前から大きく話題となっていた。

ストーリーはざっくり言って、松本氏扮するパジャマ姿の男が白壁に囲まれた謎の部屋から脱出しようとするのと並行してメキシコのある家庭のプロレスラー・エスカルゴマンのなにやら重大な試合の日が描かれるというもの。謎の部屋では天使の身体の一部がスイッチのようになっており押すと何かが起きる。それを利用して主人公が脱出へ試行錯誤する様と、終盤二つのシチュエーションが思わぬかたちで結びつくのが物語の肝。

一言で言うと、なんとも評しがたい一作。面白い・面白くないという点できかれると非常に微妙だ。無声劇のような仕上がりになっていて、特に前半には観客席からも笑いがこぼれたが大爆笑ということはなかったし、私もかつてダウンタウンのフリートークをみてしばしば経験した「腹をかかえて笑う」ということはなかった。しかしそれも自分がトーク、言葉中心の笑いにどっぷり浸かりすぎたためであろうか、とも思えてきてしまう。松本氏本人もインタビューで語っているように、かつてテレビは構成や演出の妙での笑いを第一義としていたのだが、お金や規制の問題から、ある時期からそれは芸人やタレントのしゃべり、個の面白さをおしだすというかたちにかわっていった。トーク中心の現在のテレビ番組に慣れている今では、このような映画を理解するのが難しくなっているのかもしれない。

映画をみた際の感覚は、昔「ガキの使い」や「一人ごっつ」をみていた中で、彼がDVDでだした「ビジュアルバム」シリーズや「頭頭」をみてポカンとしてしまった感覚に似ている。また「映画っていうのは、日本人だけを意識して作ったら面白くない」と言っているように、海外での上映を意識したということも影響しているかもしれない。かつて電波少年という番組の「アメリカ人を笑わせに行こう」という企画の際、「日本人の笑いを100点とすると60~70点くらいのものを本気でつくらなければ」というようなことを言っていた覚えがあるが、今もその認識の通りなら、言葉の介在しない分かりやすいものに仕上げたのもやむなしか。

とかなんとか言ったところで監督自身「テーマは、『なるようになるかぁ』という感じ」(msnムービー:『しんぼる』松本人志監督 インタビューより)だと言うように、結局その場その場で面白いと思ったことを志向していったら全体としてこういうのができてしまったというだけの気もする。なげてしまうようだが、結局感性が違うのだ。サングラスをかけたまにさけび荒っぽく運転するシスター、何の変哲もないような家庭に突如としてフェイドインする緑のマスクをかぶった男。今さら醤油をだしてくる白壁に、屁をこく天使。そのすべての出来事、場面が単なる思い付き。まさに自身の脳内にあるイメージをほぼ自分一人きりで演じ、形にしていく“逆・劇中劇”。一つ一つの意味合いを解釈し意味づけする言葉を私は持ち合わせていない。しかし特に終盤に限って言えば笑い云々ではなく、結局は世界で起きているすべてはこんなたわいもない一つの部屋からの遊びから生じていて、時には狂うこともあるんだっていう世界観があるように思った。(義)

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