〈映画評〉人生の大逆転は最期に 『ホウセンカ』
2025.12.01
ホウセンカと語り合う年老いた阿久津 ©此元和津也/ホウセンカ製作委員会
「ろくでもない一生だったな」。年老いた主人公・阿久津実に独房の中でそう投げかけたのは、空き缶に植えられたホウセンカだった。ホウセンカとの会話の中で、阿久津は現在に至るまでの経緯を回想する。阿久津は朴訥で真面目なヤクザだ。1987年、年下の女性・那奈と彼女の息子・健介を養いながら暮らす生活を始めた。3人は暖かい日々を送るが、健介の心臓病が発覚し、手術費用を手に入れるために阿久津はある賭けに出る。
本作の監督・木下麦と脚本・此元和津也のタッグは、前作『オッドタクシー イン・ザ・ウッズ』(2021)のヒットから引き続く。前作の現代を舞台とした群像劇から一転、今作では昭和を時代背景に設定し、登場人物も少ない「小さな世界」が描かれる。しかし一貫して続くのは、表社会から少し外れたアングラな世界を、日常的な質感で描くというスタンスである。彼らの描く裏社会の人間は悪人ではあるが、軽口を叩いたり義理人情に厚かったりと、人間臭い。理想化された悪人でもおどけた悪人でもなく、等身大の悪人を描こうとする製作陣の意志が感じられる。また、子供向けアニメのような暖かいビジュアルで描かれるが、アニメ特有の大げさな表現がない。そのために登場人物の仕草や表情の揺れが少なく、深意が読み取りにくいことも多いが、その工夫がむしろ彼らの「日常」に厚みを持たせている。さらに前作・本作ともに、プレスコ(先に音声を収録し、それに合わせて絵を動かす録音方法)を採用している点も着目すべきだ。自然な会話の間や声色が本作のリアリティの演出に一役買っている。
またこのタッグは、抽象的な概念を具体的なモチーフによって表現するアレゴリーを駆使する手腕が見事だ。今作と前作で共通する物語構成として、最初は散り散りだった複数のプロットが結末に向けて1つになるという点がある。前作は登場人物の視点が次々と切り替わるのに対し、今作では過去と現在という2つの時間軸が交錯する。それぞれのプロットには、特徴的なモチーフがこっそりと、しかし明らかに配置され、独立しているかのように見えたプロットを1つの終着点に向けて結びつける伏線の役割を持つ。もちろん初めはそうとはわからない。物語が進むにつれ、ただの点だったモチーフをつなげる線が見えてくるのだ。その高揚感、そして期待を裏切らない怒涛の伏線回収には、最高の爽快感と感動がある。後から考えれば、本作においてその線とは「膨張し続けたものはいつかはじける」というセリフだった。「膨張し続けるもの」、それが本作に散りばめられたアレゴリーだ。ホウセンカ、投機株、心臓、花火……。それらが重なり合って「はじける」クライマックスは圧巻というほかない。
阿久津はホウセンカとの会話中、終始「大逆転」に固執する。那奈に本音を伝えなかったことや家族を顧みなかったことなど、阿久津の人生には小さな「失敗」が積み重なり、最終的には刑務所の中で死の淵に立たされる。しかし、阿久津はここから大逆転が訪れると信じてやまない。観客の期待はもちろん、この「大逆転」に注がれる。結果としていえば、大逆転は起こる。だが、誰も想像しなかったような形でだ。そのときすべての観客は、自分の人生における成功とは何かを見つめなおさずにはいられないだろう。阿久津たちの「大逆転」は期待よりもささやかだ。しかし、その後の彼らの人生を間違いなく一変させてしまうものである。評者の期待も例にもれず見事に裏切られ、人生の素晴らしさの1つは、これほどささやかなことでも「大逆転」が起こせてしまう点なのだと気づかされた。本作は毎日を精一杯生きている人へ、立ち止まって目線を上げる勇気を与えてくれる。(燈)
◆映画情報
原作・脚本 此元和津也
監督 木下麦
企画・制作 CLAP
配給 ポニーキャニオン
上映時間 90分
公開日 2025年10月10日
原作・脚本 此元和津也
監督 木下麦
企画・制作 CLAP
配給 ポニーキャニオン
上映時間 90分
公開日 2025年10月10日
