インタビュー

【卒業生インタビュー 京大出たあと、 何したはるの?】Vol.7 予備校講師 竹岡広信さん なにくそ、負けるものか!

2024.03.16

【卒業生インタビュー 京大出たあと、 何したはるの?】Vol.7 予備校講師 竹岡広信さん なにくそ、負けるものか!
この春、創立から127年を迎える京都大学。これまでの学部卒業生はおよそ22万人にも及ぶ。卒業生は幅広い分野で活躍するが、彼ら・彼女らは進路の選択に際し、何を考え、感じ、選び取ってきたのか。

「京大出たあと、何したはるの?」は、各界で活躍する卒業生の進路選択に迫る連載企画。これまで6名の卒業生の進路を紹介してきた。今号では、予備校講師として活躍する竹岡広信さん(工学部・文学部卒)、石丸伸二・安芸高田市長(経済学部卒)にお話を伺った。

目次

英語は「理屈が通らない」
「好きだったらできるんだ」
信頼は「ごまかさない」ことから
英語教育は「悪い方向に」?
教育に「生かしていただいた」

英語は「理屈が通らない」


――幼少期はどんなお子様でしたか?

出身は京都の亀岡市です。人口8万人くらいの田舎やね。当時はJR嵯峨野線が単線だったから、京都駅から1時間かかったんですよ。

出身の小学校は40人のクラスが5つあって、その中で塾に行ってるのは6人だけ。もちろん僕は行ってなかった。全く興味がなかったし、今みたいにみんなが塾に行くような時代じゃなかった。

小学校のときは野球か卓球か魚取り、あとは虫取りの4つしかすることがなかった。でもね、あれほど幸せだったときはない。塾にみんな行っていないから、その人が賢いかどうかなんてことは関係ないわけだよ。勉強は得意じゃないけどスポーツができるなとか、愛想があっていいやつだよな、みたいな尊敬があって非常にいい時代だった。

小学校のときは勉強というもの自体が学校でやることであって、家でやるものではなかった。だから、小さい頃から英語が好きだったなんてことは全くないな。

――京大の工学部に。

元々法学部志望で、外交官になって世界に羽ばたきたいなと思っていました。高校3年生に上がるときに文理を決めることになって、友達に「英語はできへん、国語も好きじゃないのになんで文系やねん」と言われて心が折れてしまった。

それなら数学が好きだし、理学部数学科に行きたいなと思っていた。だけれど心を折られることがあって……当時の洛南高校はスパルタで、相当授業も厳しかった。それなのに数学の授業を無視して、ノートを覗いたらフーリエ級数の勉強をしている同級生がいて、ええ格好しやがって、なんて思ってた。ある時、僕が1週間考えてわからなかった問題を彼が3分で解いて、その時に「こんなやつとは戦えへん」と確信した。僕は努力家だったから想定内の問題なら解けたんだろうけど、想定外のレベルになると厳しいなと実感して、数学科の道も諦めてしまった。

その時に友達が、外資系で世界を回れる会社を紹介してくれた。外交官になりたかったこともあって、その会社を目指して2人で工学部資源工学科(現在の地球工学科)に行こうという話になった。これが工学部に決めた理由なんだけど、その友人は京大の入試の前に他大学の医学部に合格してそちらに進学を決めた。裏切られたね(笑)

――当時の英語への思いは。

高校の英語の先生は厳しいだけで理屈を教えない先生で、僕は全然好きじゃなかった。単語や熟語の暗記、よくわからない文法をはじめとして、英語はとにかく理屈が通らないように思えて、当時の僕は許せなかった。いろんな意味でやっぱり理科系だったのかなと思うね。

目次へ戻る

「好きだったらできるんだ」


――工学部での学生生活は。

今と時間割のシステムが違ったから、一つの時間に授業を3つ入れることもあったけど、今思えば無茶苦茶やね。授業に出たことはほとんどないんじゃないかな。授業を無視して教習所に通ったり、友達とずっと麻雀と大富豪をしたりと「終わってる」日々でしたね。工学部では、製鉄の転炉の冷却をコンピュータシミュレーションで研究していました。実験を通していろんな真理を求めていくところが、やっぱり楽しいよね。

――工学部での生活の中で、転機になったことは。

竹岡塾という、実家が経営していた塾で英語を教えることになりました。今の多くの京大生にも当てはまるような気がしてならないのだけれど、京大に入った途端に厚かましくなって、教えられると勘違いしてしまったね。担当した高校3年生が全員受験に失敗してしまって、どうにかしないといけないと思いました。あともう一つは、入学前から入りたいと思っていた外資系の企業の選考に落ちてしまって、夢が破れたということもあるかな。

そういうことがあって、とりあえず当時持っていた生徒たちをなんとかしないといけないと思って、文学部への編入を考え始めました。本当は工学部の大学院も受験したんですよね。大学院の受験は2日あって、1日目の試験はきちんと上位の成績を取っていた。でも2日目に「このまま受験しても文学部に未練が残ってしまうな」と思って、試験の途中で帰ってしまった。

友達や教授には止められたけれど、そうして工学の道を断ってしまって、文学部の編入試験に合格した。でも、僕は工学が嫌いなわけでもないし、研究は楽しかった。今でも愛しています。

――文学部での日々は。

文学部に編入学したのが22歳の時。工学部のキャリアを切ってまで来たのだから、試験で90点未満は取らないようにしようって決意だったの。だけど、文学部の2年間で受けた試験は0。やっぱり英語が嫌いだったんだよね。それで絶望して休学してしまった。

休学中に出町柳のパチンコで競馬が好きなおっちゃんと喋っていて、馬体重がとかお母さんがとか前走が……ってめっちゃ詳しくて、そのときにそうか、好きだったらできるんだってやっと気づいた。それが26歳の時で、この頃縁があって結婚したんだけれど、当時は定職にもついていなかった。これでははまずいから就職しなければと思って2年間頑張って卒業して、母校の洛南高校に戻ったら「英語では採用しない」と言われた。それで怒って堀川通を運転してたら気がついたら駿台京都校にいたっていうところかな。紆余曲折があったけど、そのあと母校でも教えることになって、30年くらい勤めたね。

――もし大学入学時に戻れるとしたら?

もっと勉強したいな。フランス語もドイツ語もラテン語も、もっともっと勉強すべきだったね。20代のときにいつかやれたらいいなと思って、結局今まで勉強できていないことが山ほどある。感性を磨く芸術鑑賞のような、いろんな生きた体験もしたかったな。

目次へ戻る

信頼は「ごまかさない」ことから


――予備校講師として、ご自身の長所と短所を。

短所は山ほどあって、短気ですぐ怒り出すことや、気分が一定していないこともかな。長所だと思っているのは、英語が嫌いだったことだね。僕が書いている参考書は全部、学生時代の僕が読みたかった参考書なんだよ。単語帳でも単語の由来や意味を緻密に書くのはそういう理由。あとは、生徒に教えるのがやっぱり好きだね。

――お仕事をされる中で大切にされていることは。

ごまかさないこと。それしかないね。生徒との信頼関係が大事なんだ。生徒は結構敏感だから、ごまかしていることがすぐばれちゃうんだよ。僕はよくミスをするんだけれど、それをきちんと認めて信頼関係を築こうと思っています。

――竹岡先生の原動力は。

この立場になってしまったということが大きいかな。今更「僕は英語が嫌いです」なんて言えない。だからもう今は、生徒のために、英語教育を少しでも進められるようにしたいなと思っています。例えば英語教育を前に進められる革新的な参考書を残せば、次の世代がそれを乗り越えられるように努力してくれるかなという目論見があるね。

どうしてそんなに働くの、なんて言われることもあります。めんどくさいから嫌なんだけれど、周りの皆さんが期待をしてくれるし、その期待に応えなければいけないなという思いが強いかな。英語が好きな生徒を増やすことができる教育ができたらいいなと思う。

目次へ戻る

英語教育は「悪い方向に」?


――受験をする意義をどう考えるか。

テンパって追い詰められる経験ってのは大事だというのと同時に、やっぱり苦労して壁を乗り越えるのはすごく大事なことだと思うんだよね。やっぱり試験を経ずに受かりましたっていうのはあんまり好きになれないね。

一か八かわからない世界で生きることが自信に繋がるから、次に辛いことにぶつかったときに、受験勉強を乗り越えたということが助けてくれて、ちょっとは辛さがマシになると思うんだよ。苦労を乗り越える訓練として、今後社会の中で乗り越えていくべき波に打ち勝つための一つの手段として、受験勉強はいいと思う。けれどもちろん、勉強だけが全てではないから、例えばクラブ活動に没頭して頑張ったっていう人もいてもいいと思うよ。

――今の日本の英語教育に思うことは。

例えば京大生なら、論文を書けるくらいの英語を身につけなければいけない。そのような人たちには中学時代から徹底的に基礎を叩き込むような学習をさせなければいけないのに、今の日本の方針は物おじせずに英語を使えるようになることに主眼を置きすぎだね。国を動かすためには一定数のエリートを育成する必要があるし、そのためにはできない人に合わせた教育をしていてはダメだよ。日本人は英語を使えないという前提が間違っていて、元から必要な人たちは勉強して使えるようにしていたと思う。

やっぱり英語の学習には動機づけが大事だと思う。先日訪れた観光地でも、最近外国人が増えたということでお寿司屋のおっちゃんが拙いながらも英語を使っていた。人間誰しも、必要になったら勉強すると思うんだよね。

今の英語教育は悪い方向に向かってるように思えて仕方がない。今までの英語教育が全て間違っていたという前提で話を進めているし、英語を教える側の英語力もまだまだ足りていないと思う。英語教育を何とかしないといけないなという思いで、学校の先生を対象にした授業にも取り組んでいるけれど、まだまだ足りない気がするね。

――AIなどテクノロジーが発展する中で、教育者としての役割は。

これからどうなるかはわからないけれど、どれだけ足掻いても技術の発展には逆らえない。メリットもデメリットも大きいと思うけれど、問題は人間がどのように使おうとするかという部分にあるんだろうね。例えば昔カメラが誕生したときに、もう風景画は滅ぶって言われたんだけれど、結局今も共存してるでしょ。そういう意味でChatGPTみたいなAIと対面の授業は共存していくとも思うけれど、どうなるかはやっぱりわからないね。

目次へ戻る

教育に「生かしていただいた」


――京大生に伝えたいことは。

僕のような人間が、例えばこんな風にインタビューしていただくようなことになってる事実を理解してほしい。僕は英語が好きじゃなかったし、そんな立場でもなかったし、このようなことになるとは全く思わなかった。

でも、予備校教師になってからの間、ずっとどの講師よりも勉強をしてきたんだという自負がある。だから京大生には特に思うけど、資質はあるけども、そこであぐらをかいてしまってる人が結構いると思うんだよね。やっぱり僕の同級生も、ずっと勉強していた人間が今、企業や組織のトップになっていってるんだよ。京大生には、周りはみんな遊んでばかりなんだから、勉強しなきゃいけないと言いたい。

ただ同時に本物を見てほしいね。美術館や歌舞伎を鑑賞しに行くとか、本を読むとかクラシックを聴くとか何でもいいんだけど、いろんなところに本物を見て勉強して欲しいなっていうのもあるね。人生にどう役立つのかもわからないけれど、見て考えて、感性を磨いてほしい。あとは、システムに遊ばされるのではなくて、それを理解してシステムを作る側になってほしいなと思っています。

――選択の際に大切にされたことは。

文学部に編入するかどうかですごく悩んで、いろんな先生にアドバイスを聞きに行った。その中で、航空工学の田中吉之助先生は「君は工学部に残ることも可能だし、文学部に行ってもいいだろう。どっちの道に行っても君は後悔するから、後悔の少ない方を選びなさい」とアドバイスされた。

そうして、やってみてダメなら仕方ないなと思えるようになった。僕は英語が苦手だったけれど、結果的に英語教師という職は自分に合っていたと思うし、選択の時には自分でやりたい方を進むしかない。その選択が向いているかどうかということは、結果として周りがどのような評価をしてくれるかどうかということによってしか決まらないよね。

――竹岡先生の座右の銘は。

「なにくそ、負けるものか」これは僕の祖母の言葉なんです。彼女は勉強したいと思っていたんだけれど、お父さんとお母さんが早くに亡くなって、小学校の段階でいわゆる丁稚奉公に出されてしまった。その行き先が京大の近くだったそうなんだよ。そうして見ていた京大生に憧れていて、負けるもんかって思って自分の息子にはそちらの道に行くようにしたんだね。祖母の意志を大事にしたいと思っています。

――竹岡先生にとって教育とは?

自分を生かしていただいたものだと思います。

――ありがとうございました。(聞き手=匡・順)

目次へ戻る

竹岡広信(たけおか・ひろのぶ)
京都府亀岡市出身。洛南高校を卒業後、1984年京都大学工学部卒業。文学部に編入学し、90年卒業。現在、駿台予備学校講師、学研プライムゼミ特任講師、竹岡塾主宰。
主な著書は「必携英単語LEAP(数研出版)」「竹岡広信の英作文が面白いほど書ける本(中経出版/KADOKAWA)」「英文読解の原則125(駿台文庫)」「東大の英語25ヵ年(教学社)」ほか多数。

関連記事