文化

映画評論 第9回 主観的な真実の魅力  『落下の解剖学』

2024.03.16

【寄稿】ミツヨ・ワダ・マルシアーノ文学研究科教授

ドイツ人の作家サンドラ(サンドラ・ヒュラー)は、夫サミュエル(サミュエル・タイス)と、視覚障害のある11歳の息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)、ボーダーコリーのスヌープと共に、サミュエルの故郷であるスイスの雪深い山荘に住んでいる。冒頭でサンドラは大学院生からインタビューを受けているが、しばらくすると耳をつんざく音楽が階上から聞こえてくる。ハンブルグ出身のバカオ・リズム・アンド・スチール・バンドの曲「P.I.M.P.」は、本作を通して観客の心に残る。スティールパンによる音楽は、カリブ海に位置するトリニダード・トバゴ特有のものであり、ドイツを経由しスイスの山奥で聞くこの曲のミスマッチさが、ドイツ人とスイス人のカップルがどちらにとっても母語でない英語で生活するという、グローバル社会の現代性と共鳴する。

本作品の基調とも言えるサミュエルの「落下」は、このミスマッチな音楽と共に起こる。ダニエルがスヌープの散歩から帰ったとき、家の前で父親が倒れているのを見つける。昼寝をしていて気がつかなかったというサンドラは、慌てて警察に通報するが、彼の転落死が、事故か、自殺か、殺人か、観客を含め誰も確信が持てないまま、物語は法廷劇へと進展する。サンドラ、サミュエルの精神科医、インタビューをした院生、そしてダニエルの証言が続く中、亡くなった夫は、ひそかに録音していた夫婦の口論の公開という形で、自己の「証言」を、死後、法廷で開示することとなる。精神科医・斎藤環は、この作品が一見「羅生門スタイル」の系譜に見えながら、実はそうではないと主張する。証言者の発言が次々と新たな「真実」をもたらしながらも、これら複数の「真実」には、『羅生門』(1950)に見られる証言間の矛盾が存在しないからだ。「本作が特異なのは、いわゆる『法廷もの』でありながら、『真実』や『物証』をめぐる争いがほとんどみられない点である」と斎藤は指摘する。

通常、人々は「主観的な真実」よりも「客観的な真実」を信じる。しかし、本作の監督ジュスティーヌ・トリエは、この「客観性」と強く結びつく「真実」の価値を、本作を通して転倒させる。カンヌ国際映画祭、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞で揺るぎない成功を収めた本作は、「主観的な真実」を巧みに利用する。

1959年に製作された『或る殺人』(原題Anatomy of a Murder)を見たことがあるだろうか。トリエは半世紀以上前のサスペンス映画を換骨奪胎し、オットー・プレミンジャーを超越した。その過程において「殺人」は「落下」へとすり替えられ、人を殺すという具象的な行為は、落ちるという詩的で抽象的な運動へと置換された。また『落下の解剖学』では、1959年には言及されることのなかったジェンダー・アイデンティティーの多様性が物語の展開に上書きされる。これら二作が持つ「主観的な真実」は、蓮實重彦が指摘している、映画を見るときに起こる「安心と驚き」を生み出す契機になる。蓮實は、映画に内在する安心と驚きを、「映画がある程度分かるという気持ちは安心感をもたらすものですが、その安心感を崩すような瞬間が映画には必ずある」のだと説明する。

だとすれば、本作における驚きとはなんだろう。それは、ジェンダー・ロールを逆転させた夫婦間の壮絶な口論の瞬間に起きる。USBに残された録音には、サミュエルの悲痛な攻撃と、サンドラの冷徹な反撃が収められていた。夫は、子供の視覚障害を引き起こした自分を責め、その子供のためにホームスクーリングを続け、作家になりたくても十分に時間が持てないと嘆き、バイセクシャルの妻は女性と浮気をし、おまけに彼女は自分の小説を盗用したのだとなじる。一方、作家として成功したサンドラは、自己のエゴと自身の行為を、知的な観察眼によって正当化する。男女の役柄が反転したかのような二人の生活の歪みを露呈するこの「場面」は、映像が中心になりがちな映画というメディアを使いながら、あえてフラッシュバックを使わず、音だけを使って観客の想像力をかき立てる。サンドラの言葉は、一見冷徹で利己的であるように聞こえるが、そこにはわれわれを説得する論理がある。これは一概に演技の素晴らしさだとは言えない。この場面を構成する脚本の力、またそれを演出する力といった複数の正の力学がこの場面には集束されている。そこには、愛が萎えてしまった二人の抜き差しならない「主観的な真実」の攻防が描かれている。まだ結婚もしていない、ましてや離婚の経験のない多くの読者にとって、この「主観的な真実」の攻防がどのように映るのか興味深い。

[1] 斎藤環「トラウマとコンテクスト」『落下の解剖学 公式カタログ』22-23頁。
[2] 蓮實重彦『見るレッスン 映画史特別講義』(光文社、2020年)6頁。

◆映画情報
『落下の解剖学』
(2023年、原題 Anatomie d’une chute 152分)
監督:ジュスティーヌ・トリエ
2024年2月23日より全国公開、京都シネマ及びTOHOシネマズ二条にて上映中(3月11日現在)。

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