文化

映画評論 第7回  “低体温系” 青春映画『ゴーストワールド』

2024.01.16

映画評論 第7回  “低体温系” 青春映画『ゴーストワールド』

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【寄稿】ミツヨ・ワダ・マルシアーノ文学研究科教授

今、青春映画の再上映、いわゆるリバイバルが流行っている。『POPEYE』(特別編集 Magazine House Mook, 2024年1月20日発行)しかり。「Youth Cinema Catalog 若いうちにいい映画をたくさん観よう」と銘打った特別号で、「人生で大切なことはだいたい映画が教えてくれる。だから、若いうちからたくさん観ておくことに越したことはない」と謳っている。私自身の人生を振り返ると、大切なことを映画からそれほどたくさん学んだとは決して思わないが、映画の持つ影響力はかなり大きかったはずで、そうでなければ映画研究者になどならなかったに違いない。そんなわけで今回は、最近観たリバイバル青春映画に焦点を当てようと思う。

『ゴーストワールド』に与えられたキャッチコピー「“低体温系” 青春映画」という表現が好きだ。原作はダニエル・クロウズの同名グラフィック・ノベルであり、2023年5月に発売された日本語翻訳版を重ねて読むのも楽しい。アメリカのどこにでもあるような都市郊外に住む主人公イーニド(ソーラ・バーチ)とレベッカ(スカーレット・ヨハンセン)は高校を卒業したばかりだが、特別な進路も決めず、日々街をぶらつきながら皮肉なコメントの応酬を楽しんでいる。彼女たちが発するブラック・ジョークや、生意気でふてくされた話しっぷりや仕草が、かなり“低体温感” を放っていて愛しい。

イーニドとレベッカは、2人でアパートを探して共同生活をしようと話し合う。しかし、ある日いかにもモテないタイプのレコード収集家シーモア(スティーブ・ブシェミ)に出会い、イーニドは “the outsider/アウトサイダー中のアウトサイダー” とも言える彼に惹かれていく。一方、アパート共同生活のために地元の喫茶店で仕事を始めたレベッカは、イーニドよりも早いスピードで社会に適合し始める。切っても切れない幼なじみの親友であったそんな2人に、次第に距離感が生まれる様子が、本作品の緩やかなナラティブの中で紹介される。

レトロ感溢れるアートデザイン


この作品は2001年に公開されているので、23年前に製作されたことになる。それにもかかわらず、今でも少しも古臭く感じないのが不思議だ。読者にはまだ生まれていないか、あるいは「私の生まれ年!」という人も少なくないかもしれない。この作品に時代遅れの劣化感が感じられない理由は幾つかあるだろう。2000年初頭の製作時点で、すでに作品空間そのものがレトロ感を前景化していたことがその要因の一つだ。作品のいたる場面にちりばめられたレトロ感は、プロダクションデザインを担当したエドワード・T・マカヴォイの貢献が大きい。1949年生まれのマカヴォイは残念ながら2005年に早逝したが、彼の代表作の一つは何と言っても『ブレードランナー』(1982)であり、『ゴーストワールド』では悪魔崇拝者の役で俳優としてもデビューしている。アメリカのどこにでもありそうなショッピングモールのあるある感漂う空間が、彼によって絶妙に再構築され、そして何と言っても映画冒頭から炸裂するイーニドのカラフルな自室は、色使いや全ての小物に細かい配慮が施されている。また、イーニドの不思議な友達シーモアの室内空間は、ずば抜けてアートデザインの力を見せつける。

衣装の魅力


マカヴォイの空間デザインに加え、本作品の視覚的魅力はメアリー・ゾフレスの衣装監督としての力量によるものが大きい。彼女は『ファーゴ』(1996) 以来、ずっとコーエン兄弟の監督作品の衣装を手がけているだけでなく、2016年の大ヒット作品『ラ・ラ・ランド』の衣装監督を努め、2017年のオスカーではこの作品によってベスト衣装賞 (Best Achievement in Costume Design) を受賞している。本作品を改めて見る機会があれば、イーニドとレベッカの服装に是非注意を払って頂きたい。彼女たちは全ての場面で、異なるデザインのレトロな衣装を身につけ、違った髪の色や髪型をして登場するのであるが、こういった衣装によって醸し出される「個性」からは、今風のファッションを否定する “疎外感” や “冷笑感” を感じずにはいられない。京都古着屋ストリートとも言える三条通りや御幸町通りに足を運んでみたくなること間違いない。

音楽の効果


矛盾撞着のようだが、この作品における “古臭く感じないレトロ感” は、視覚的な魅力だけではなく音楽の効果も大きく、音楽監督はデイヴィッド・キティが担当している。作品冒頭で見うけられる、イーニドが自室のテレビスクリーンから流れる1960年代のインド映画『Gumnaam』(1965)のダンスシーンに合わせ楽しそうに踊っている場面の音響インパクトは、キティのセンスに負う。[1]

しかしなんといっても本作における音楽は、シーモアこと、1920年代以降のジャズやブルースの78回転レコード収集家という役どころを通じて映画空間に効果的に挿入されている。こういった特化したレコードを使ったレトロ感の構築は、単に架空の人物シーモアに付随する個性というよりは、本作の監督であるツワイゴフの長年のレコードコレクションから厳選されているところが大きい。つまり、シーモアの役柄は、初めからスティーブ・ブシェミで行くことが当て書きされており、この役柄を通して自分の好きな音楽を映像空間内に投影することが、監督ツワイゴフの初めからの目的であったように思われる。

本作品のカルト性は、こういった映像製作における層の厚さや意味の錯綜によるところが大きい。果たして『ゴーストワールド』というタイトルは一体何を意味しているのだろう。もちろん一つの表現に対して意味が一つである必要はなく、それは観客である「読み手」に委ねられていてもおかしくないわけだが、原作者であるクロウズは以下のように書いている。「“Ghost World”・・・・・・いろいろな意味がある言葉に思えた。僕たちが生きているアメリカは消えつつある。僕たちが暮らす場所は常に壊されては造り直され続けている。その“Ghost World”という言葉はまた、キャラクター個人や失われてしまった友情を表しているようでもあった。」[2]

ここで語られているエフェメラリティー (ephemerality/非常に短い間しか続かないという特性)、つまり人が生きる行為に常にまとわりつく “儚さ” の感覚は、実は多くの映画作品で扱われていることに気づかされる。作者は、ヴィム・ヴェンダースの話題作『Perfect Days』(2023) を数日前に観たのだけれど、そういえばこの作品の中でもレトロな音楽が巧みに使われ、消えゆく瞬間の貴重さを上手く表現していたなあ。クロウズの言葉が、不思議と重なる。

そうだ、もし私が「人生で大切なこと」を映画から得たのだとしたら、このエフェメラリティーが、単に自分だけが感じる孤立した哀しさではなく、誰もの心に内在する感覚であること、そしてそれが必ずしも否定的なものではないということなのかもしれない。そんなことを立ち止まって考える2023年の暮れであった。

[1] 「production note」, 翻訳:Hiromitsu Hashimoto, 『ゴーストワールド』(カタログ)Senlis Films/Senlis Inc. (2023), 4頁。
[2] 同上、5頁。

◆映画情報
『ゴーストワールド』(2001年、 英語題 Ghost World、 111分)
監督:テリー・ツワイゴフ
2023年11月23日より全国公開。
京都シネマでは12月8日〜1月18日の公開予定。

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