インタビュー

ウクライナ支援 侵攻から1年半 現在地を探る 〈後編〉当事者の生の声を聞く

2023.12.16

ウクライナ支援 侵攻から1年半 現在地を探る 〈後編〉当事者の生の声を聞く

Krutohuz Maksym さん

未だ終息する気配のないロシアによるウクライナ侵攻。前編では、現在に至るまでの京大の学生支援を取り上げた。今号では、キーウ工科大学に在籍しつつ、支援を受け、昨年から京大でも学修しているMaksymさんへのインタビューを中心に、学生の「生の声」を特集する。(編集部)

ウクライナ留学生 Krutohuz Maksym(クロトフズ・マクシム)さん インタビュー


京大へ留学――避難先・ポーランドで選択


――なぜ京大や日本に来ると決めたのですか。

ポーランドに避難し、そこからオンラインで大学の授業を受けていました。その中で、大学が京大への留学枠を提供していると知りました。漢字やアニメに興味があったので、独学で日本語を学習したことがありました。ポーランドでは、ポーランド人と関わる機会が少なかった上に、大学の授業が忙しいために、ポーランド語を学習する時間を取れませんでした。また、両親がまだウクライナに自分は帰国しない方が良いと考えていたこともあり、京大に行こうと決めました。京大に来れば、たくさんの機会を手にできます。異なる国のたくさんの人と話せるし、英語や日本語を上達させられます。京大はとてもいい大学です。

――いつ来日を決めたのですか。

(留学先を)自分で決めるというより、選ばれた結果決まるという感じでした。去年の5月に志望理由を書いたメールを送り、大学から京大での受け入れが認められた旨の通知をもらいました。6月末から7月にかけてはビザを取得しました。日本に来たのは去年の8月です。

――日本での暮らしはどうですか。

いいところも悪いところもありますね。日本とウクライナは全く違う国で、文化や人の考え方が違うと思います。例えば、日本人はウクライナ人よりも内向的ですね。日本人は仲の良い友達と会ってもお辞儀で済ませることがありますが、ウクライナ人はハグすることがあります。

――どちらに住んでいるのですか。

京大が提供する丸太町付近の寮に1人で住んでいます。その寮にはウクライナ学生が7人住んでいます。

――他のウクライナ学生との面識はあるのですか。

全員と面識はあります。ただ、よく話すというわけではなくて。同じ寮に住むウクライナ学生はよく見かけますね。

2大学の授業を受講――京大の支援「十分」


――ウクライナの大学の授業は、現在も開講しているのですか。

はい。パンデミックの影響を受けてオンライン形式となった大学の授業が、現在も継続しています。私の専攻は、ソフトウェアや電子工学をどう発達させるかというコンピューター工学なので、オンライン授業だと必要なのはPCだけ。オンラインでも、受講上の不都合はありません。ただ、授業数が多くて。今日も授業が7コマもあるんですよ。その中にはウクライナの大学と京大とで時間が重なっている授業があって。私の身体は1つしかないので、全てに出ることは肉体的にも不可能です。ウクライナの大学の授業は月~土曜に受けていて、1限は15時30分から、2限は17時25分から、3限は19時20分から、4限は21時15分(すべて日本時間)から始まります。

――ウクライナの大学での学修期間は何年間だったのですか。

入学は約2年前なのですが、その半年後に侵攻が始まった影響で、終えた課程は1年分です。昨年度は休学して京大の授業をたくさん受けました。今年度はウクライナの大学の授業も京大の授業と並行して受けています。そのため、今は一番忙しいです。

※ウクライナの学制:1〜11年生まで存在。日本の小中高にあたる部分はそれぞれ4、5、2年で、そのうち最初の9年間は義務教育。6(7)歳が1年生に相当し、大学には最年少で17歳から入学可能となる。なお、学年暦は9月~翌年6月。

――京大のどこに所属しているのですか。

国際高等教育院に所属し、昨年度は英語で開講される授業を主に受けていました。日本語で開講される授業も受けられるのですが、ついていけるかは分からないですね。

――ウクライナ学生に対し、京大は授業料を免除したり、奨学金を毎月支給したり、民間会社の協力のもとで住居を無償で提供しています。京大の支援は十分なものだと思いますか。

はい。十分なものだと思います。実際、私は生活のためにお金を(奨学金のほかに)必要としていません。

「そんなに驚かなかった」 ロシア侵攻


――侵攻開始時にどこにいたのですか。

チェルカースィ(※)にある実家にいました。朝起きて、スマホで、自分の今いる所の危険性等を示す地図がリアルタイムで表示されるアプリを見て、ロシアの侵攻を知りました。

※チェルカースィ:ウクライナ中部にある人口116万人の州。

――侵攻を知って、どう思いましたか。

実はそんなに驚きませんでした。その理由の1つは、ロシアが2014年にクリミア半島やドネツク、ルハンシクといった地域を素早く占領し、それ以降支配し続けているからです。また、陸軍が一旦は撤退したものの、国境近くに再配備されたことも理由の一つです。信じたくありませんでしたが、いつか攻撃が起こるかもしれないと思っていました。

――侵攻の原因は何だと思いますか。

一番の原因はロシアの大統領とその側近にあると思います。また、ロシア国内のメディアのあり方も一因ではないでしょうか。ロシアでは放送コードが厳しく、国がメディアを使って、国民を操ろうとしているように感じます。

――侵攻後ポーランドに避難されたのですか。

はい。侵攻開始から10日後、家族でポーランドに避難すると決めました。18~60歳の男性の出国が認められなかったために父親はウクライナに残りましたが、私は母と4歳上の姉と一緒に、2日かけてウクライナを4月8日に去りました。私は当時17歳だったので、出国が認められました。今は家族全員が地元で暮らしています。(1人離れて日本で暮らす中で、)特に母親が恋しくて。家族とは頻繁にテレグラム(※)を使って電話しています。テレグラムはなぜか日本だと接続不良になることが多いですね。

※テレグラム:メッセージのやり取りや通話をすることが出来るアプリ。セキュリティが高いとして、世界各国で使用されている。

――避難以外には、どのような侵攻の影響があったのですか。

他には特にないですね。現に今も学修を続けられていますし。修了すれば、プログラミングでやりたいことも出来るようになると思っています。

将来 「ITで母国に関わりたい」


――いつ帰国する予定なのですか。

早くて来年の8月です。ただ、京大に残れなかったら、千葉工業大といった他の日本の大学に移る選択肢もあるようなので、学修を続けたいですね。知識を増やすつもりで来日したので、今のところ学位をとることにこだわりはありません。

――大学卒業後の進路をどのようにお考えですか。

はっきりとは分かりませんが、海外で働いてみたいです。日本語をもっと流暢に話せるようになれば、日本に残ることも面白いかもしれませんね。

――将来、どのような形で母国に関わりたいですか。

IT分野で、ITエンジニアやプログラマーといった形で母国に関わりたいです。新興企業で働くことも興味深く感じています。学習してきた知識を活かして働けたらいいですね。

――ありがとうございました。(聞き手=郷・田・汐)

※インタビューは英語で行い、編集部で翻訳しました。

追加取材:ウクライナ学生にアンケート


本紙では、Maksymさん同様、支援を受け京大で学修するウクライナ学生にアンケートを実施した。アンケート結果を一部抜粋して紹介する。

■日本に留学生として来ると決めた理由は?
昔から日本に行ってみたかった、日本で勉強したかった。戦争から避難したかったから/京大での勉強は将来的に大きなチャンスになると思ったから

■侵攻開始を知って、何を感じたか?
こんなことがあり得るのかと驚いた/もうすぐ侵攻になると聞いていたため、精神的に準備していたが、気持ち悪さを覚えた

■侵攻で何か変化したことはあるか?
精神状態が悪化した。学習の方法が変わった。避難所に頻繁に行く必要が生じた。爆発の音とサイレンの音で起きるようになった

■ウクライナへの帰国予定はあるか?
ない。日本、もしくはヨーロッパ(英国またはフランス)で進学するつもり/ある。ウクライナの大学を卒業し、海外に行ってウクライナに帰る予定

■京大の支援は十分なものか?―――はい(全員一致)

大学のウクライナ学生への支援について
NPO法人日本ウクライナ文化協会副理事長/名古屋大学・中京大学非常勤講師 Ihor Datsenko(イーホル・ダツェンコ)氏

日本有数の大学である京都大学がウクライナの学生に提供する支援によって、ウクライナ人の若者は日本社会の発展の基礎と、その発展がもたらした質の高い生活を直接知ることができます。加えて、日本で工科学を学ぶことは、戦後のウクライナの復興に必要な技術的進歩の基礎となります。

これらの点で、京都大学の支援はウクライナの未来にとって非常に重要だと考えます。

またウクライナ人学生が京都大学に在学することによって生じる関わりによって、日本のみなさんにウクライナをより理解いただき、日本における国際文化交流にも貢献できると考えます。

ウクライナの学生が日本で経験することで最も重要なことは、すべての日本人からの非常に温かいサポートです。日本で学ぶ機会を得たウクライナ人学生の全員が、技術面でも社会制度の発展面でも、母国を日本に追いつかせるという夢を持って帰国するでしょう。

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