文化

映画評論 第6回 『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

2023.12.16

映画評論 第6回 『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

画像提供 Apple TV+

【寄稿】ミツヨ・ワダ・マルシアーノ文学研究科教授

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は約3時間半と、ハリウッド映画としては異様なほど長尺ではあるが、決してそれが苦にならない。Movix京都でこの作品を見たのだが、1日の上映回数は一度だけであり、府内の他の映画館でも同様に1日1回上映が敢行されている。興行収益を考えると決して効率の良い映画とは言い難いが、映像に関するオンラインデータバンクであるIMDbを含め、評判はすこぶる高く、来年3月のアカデミー賞で監督賞や作品賞部門にノミネートされることは間違いないだろう。〔1〕今年11月17日で81歳になったマーティン・スコセッシが、素晴らしい映画作品をまだまだ世に送れることを証明した一作だ。「休憩を入れずに上映をすること」を条件とし、この非常に長い作品を世界各地に配給を行ったスコセッシ/パラマウントの強気にも、彼の映画作家としの矜持を見る思いがする。

「フラワームーン/flower moon」という表現に馴染みのない読者が多いかもしれない。アメリカ先住民は、満月に呼び名を付けている。またその満月を含む各月も、こういった月の呼称で呼ばれている。春もたけなわ、次第に温かくなり、様々な花が咲きほこる五月の満月(及びその月)を、先住民たちはフラワームーンと呼んだ。つまり、本作品のタイトル『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は、5月の花に例えられた先住民たちの生命を摘み取る殺人者たちの物語ということになる。

1920年代のオクラホマ州での出来事。ネイティブ・インディアンであるオセージ族の土地で石油が発見され、彼らは一挙に石油の利権保持者となる。一般的に考えられているステレオタイプ「豊かな白人」vs.「貧しいインディアン」という二項対立が、「豊かなインディアン」vs.「彼らに仕える貧しい白人」という倒錯構造に一変する。しかしながら、豊かになったインディアンたちが、次々と変死するというミステリーが、この物語の骨子となっている。本作には原作があり、原作の邦訳題は『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン:オセージ族連続怪死事件とFBIの誕生』〔2〕とこれまた長い。副題からも明らかなように、この物語はオセージ族で起こった連続怪死事件についての史実にもとづく歴史物語であると同時に、同じ年代に捜査局長を務めたジョン・エドガー・フーヴァーが確立したFBI (連邦捜査局) による犯罪解明を追ったクライム・サスペンスでもある。『フォレスト・ガンプ』(1994)や『ベンジャミン・ボタン』(2008)などの名作で知られるエリック・ロスが中心となり脚本が書かれている。デイヴィッド・グランによる原作がFBIの誕生、特にワシントンD.C.からオクラホマに乗り込むFBI 捜査官トム・ホワイト(ジェス・プレモンス)に重きを置いているのに対し、ロスのシナリオは、第一次世界大戦からの帰還兵であるアーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)とオセージ族の女性モリー・カイル(リリー・グラッドストーン)の恋愛関係に物語の焦点をシフトさせている。

映画好きの読者であれば、「1920年代アメリカ」「西部」「俳優ジェス・プレモンス」というキーワードから、2022年のアカデミー賞でベスト監督賞を受賞したジェーン・カンピオンの傑作『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021)を想起するかもしれない。カンピオンの作品では、俳優ベネディクト・カンバーバッチが演ずる、ホモセクシャルであることを秘匿する孤独なカーボーイから眼が離せなかった。スコセッシの本作では、ディカプリオとグラッドストーンの共演、さらにそれに加わるロバート・デ・ニーロの好演に心が弾む。1960年代後半から半世紀に渡って作品を作り続けてきたスコセッシと何度も共演しているデ・ニーロやディカプリオの存在が映画を華やかにしているだけではなく、新人グラッドストーンの沈黙の魅力も、本作で光り輝いている。

グラッドストーンが演じるモリーが、ドライバーであるアーネストを初めて自宅に招き入れ食事を与える場面が絶妙だ。食事をとるアーネストの傍らで、モリーは何も食べず、ただ一言、体調が優れないと言う。多くのインディアンたち同様、モリーも糖尿病に悩まされていることが次第に明らかになる。古くから飢餓環境に順応するために、摂取したエネルギーを少しでも脂肪に蓄えておこうとする体質(エネルギー節約遺伝子)が備わっているインディアンの多くが、飽食といった西洋文明を日常生活に導入することで、白人よりも早いスピードで肥満になり、糖尿病で早死にする現象が当時起きていた。白人とインディアンとのこういった越えられない「壁」を、本作品は描き出している。食事が終わる頃、雨音が激しくなり、嵐が近づいていることに気づく。モリーとアーネストは二人とも窓に背を向け、並んだ椅子に座っている。何かを言おうとするアーネストを遮り、モリーは彼に沈黙を課す。嵐は恐ろしいものであり、恐ろしいものがやってきた時には黙って静かにそれが過ぎ去るまで待つのだというオセージ族の掟を伝える。趣味の良い家具や調度品が見うけられる広い室内で、モリーの課した沈黙が叡智という形で二人を包み込む瞬間であり、二人の未来を暗示する興味深いシークエンスでもある。この一例が示すように、本作品は音による空間の設計が上手い。

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』から得た驚きや感慨は、作品内だけに留まらない。映画館の大きなスクリーンで「Apple」のロゴを見るのは珍しいのではないだろうか。私も館内で「あれっ?」と思った一人であった。いろいろと調べてみると「Apple」のロゴの裏には経済的な問題があったようだ。本作品の華やかさは、単に有名な役者が数多く出ているからだけではなく、高額な製作費用に支えられている。通常ハリウッドでは、製作費が2億ドル(約300億円)以上の作品が高額とされている。本作の場合も、製作費用は総額2億ドル以上だと公表されている。また、2020年初頭からの長年にわたるコロナ禍の影響も撮影を難航させ、費用がさらに嵩張る結果となった。小説の映画化権を購入したのが2016年、2018年に撮影開始と謳われていたにもかかわらず、実質的にオクラホマでの撮影が始まったのは2021年2月からだった。スコセッシが、この映画を史実同様にオクラホマで撮影する必要があると主張した事も、撮影費用に影響を与えたに違いない。本作のプロデューサーたちは、Netflix とApple TV+に融資と配給の打診をしたが、最終的にApple TV+が、製作スタジオのパラマウントとチームを組むことになった。コロナ禍を経験したハリウッドで、ふんだんな製作費用を提供できるのは、NetflixやApple TV+のようなビデオ・オン・デマンド・サービス会社に絞られるのかもしれない。

作品に話を戻そう。先ほど、本作品がクライム・サスペンスだと書いた。ここで取り沙汰される犯罪の焦点は、石油によって得た利権の全てを、家族の連続死の後一挙に手中にしてしまったモリーを、配偶者であるアーネストが利権目当てに殺すかどうかだ。アーネスト自身が何度か繰り返して用いるフレーズ、女も好きだが金も好きだという表現は、アーネストの本性を物語っている。映画の終盤でアーネストは、地元の有力者で自身の叔父でもあるウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)とも決別し、自分の家族、つまりモリーやモリーのインディアン家族を守ると告げる。だが、その最後の瞬間にも彼はモリーに毒を混ぜていたことを告げることができない。モリーはアーネストの偽りを目の当たりにした後、再び沈黙を選び、その場を去る。あの嵐の夜と同じように、愛する夫の裏切りに対する絶望と哀しみが過ぎ去る時を、黙って静かに待つかのように。人間の恐ろしさは、愛する人が、さっきまであれ程善良だった人が、一瞬にして敵となり悪人となることであり、本作はその変貌の瞬間を見せつける。2023年を締めくくるにふさわしい必見の一作である。

[1] International Movie Data Base, https://www.imdb.com/title/tt5537002/?ref_=nv_sr_srsg_0_tt_8_nm_0_q_Killers%2520of%2520, (2023年11月17日アクセス)。
[2] これはハヤカワ文庫の中のノンフィクション文庫に納められており、映画の全国公開に先駆け、今年9月29日に出版されている。この文庫版は、2018年に単行本として出版された『花殺し月の殺人:インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』(著者・デイヴィッド・グラン、訳者・倉田真木)を改題し出版された。

◆映画情報
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(2023年, 英語題 Killers of the Flower Moon, 206分)
監督:マーティン・スコセッシ
2023年10月20日全国公開。

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