文化

惨劇が映し出す人間の本質 『福田村事件』

2023.12.01

1923年9月6日、関東大震災の5日後、千葉県東葛飾郡福田村で、香川県からやってきた行商の一行15人のうち9人が住民の手によって虐殺された。震災直後の混乱で流言飛語が飛び交い、「朝鮮人狩り」が行われる中、方言を話す彼らが朝鮮人と間違われ虐殺に至ったとする説が有力だ。関東大震災から100年を迎えた今年、この「福田村事件」を題材とした映画が公開された。監督の森達也はオウム真理教を扱ったドキュメンタリー映画『A2』などで有名だが、長編劇映画は今作が初の試みとなる。制作へ向けクラウドファンディングが行われるほど資金繰りに苦慮した映画でありながら、井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大など錚々たるキャストが揃い、映画界でも注目を集めた作品だ。

映画の前半は福田村の住民と香川を出発した行商をめぐる群像劇である。観客のほとんどがその結末を知っているため、福田村のシーンでは当然、ここからどのようにして虐殺へと至るのかという疑問を念頭において鑑賞することになる。シベリア出兵から始まり、登場人物の潜在的な朝鮮人への差別意識、行商が経験する部落差別、さらには亀戸事件まで、まるで学校の近代史の復習のようなシーンが続き、事件の背景はよく伝わってくる。しかし、なぜ善良にみえる住民が虐殺を行うことになったのかという肝心の問題が曖昧なままであるように感じた。特に、最初に鳶口を振り下ろした女の描写はもっと欲しかった。村にかかわる様々な人物の親子関係、肉体関係が丁寧に描かれていた割に、「一人目」が比較的印象の薄い人物であったのは意外性を狙ったものなのだろう。しかし、集団によって行われた殺人とはいえ、やはり「一人目」は特別なはずだ。集団心理で後に続いた人々と最初に人の頭に鳶口を振り下ろした女とは、前半場面での扱いに差があってもよかったように思える。

ただ、事件の後の場面から、この悲劇を生み出したものを読み解こうとすることができる。「俺たちはずっとこの町で生きていかなきゃなんねぇんだ。書かないでくれ」。虐殺が行われた後、事件を記事にしようとした記者を前に村長が放ったこのセリフにこそ、虐殺を行った住民の意識がよく表れている。閉鎖的な社会の中でその安定を求める意識こそが、震災の混乱と不安の中、どこから来たのかも分からない行商への虐殺を引き起こしたのではないだろうか。そして、この村長は村内でデモクラシーを推進しようとする「リベラル派」の人物として描かれている。帝国主義や朝鮮人差別といった要素とは比較的距離がある人物なのだ。そんな彼からこのセリフが発されたことが、この事件が単に歴史的な事柄を背景としたものにとどまらない、人間社会の普遍性を含んだものであることを象徴している。

映画では虐殺シーンがクライマックスとなり物語は終わる。しかし、現実はそうではない。村長のセリフにあるように、実行犯が逮捕されても村の暮らしは続くし、部落出身の行商は生きていくために商売を続けなければいけないのだ。事件を映画のワンシーンにとどめるのではなく、誰の日常の中にも起こりうる悲劇としてとらえるならば、それぞれの登場人物がどのような思いで事件の後を生きたのかを想像する必要がある。ただ、映画に事件の後の描写を安易に求めることはできない。福田村には現在も事件にかかわった住人の縁者が暮らしているし、何より部落を詳細に描くことが差別の二次被害につながりかねないからだ。映画を見た私たち一人一人が想像力をはたらかせなければならないだろう。

この映画はドキュメンタリーではないため全てが史実通りというわけではない。だが、この映画を通して今の社会を見つめ直すことはできるはずだ。映画は9月1日公開で、若干機を逸した感はあるが、幸運なことに京都シネマでは好評につき延長上映中だという。(省)

◆映画情報
監督 森達也
公開 2023年9月1日
上映時間 137分

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