文化

映画評論 第5回 こんなドキュメンタリー映画が見たかった 『燃えあがる女性記者たち』

2023.11.16

映画評論 第5回 こんなドキュメンタリー映画が見たかった 『燃えあがる女性記者たち』

© Black Ticket Films

【寄稿】ミツヨ・ワダ・マルシアーノ文学研究科教授

『燃えあがる女性記者たち』は、インドを知る手がかりであるだけではなく、女性の自立する姿の具現化であり、マスメディアの在り方を諭す手本でもある。この作品から私はドキュメンタリー映画の存在意義を改めて考えさせられた。本作は、支配的な男性の視点で創造されるのではなく、むしろ「インド」や「女性」といった単一に見られがちな枠組みから離れ、社会の複雑さや人々に内在する尊厳といったものを前景化することに成功している。

作品の舞台は、インドの北部にあるウッタル・プラディーシュというインド国内で4番目に大きな州(以下UP州)で、人口は2億人を超える。その多くの地域は農村で、経済格差も大きい。2002年、この地域から女性たちによる地方新聞『カバル・ラハリヤ(以下KL)』が創刊された。この新聞は、農村ジャーナリズム、地方自治の現状報告、フェミニズムを主軸に据えている。本ドキュメンタリーは、KLが紙媒体からデジタル配信へと移行した2016年から撮影が始まる。

監督はインド人カップル、リントゥ・トーマスとスシュミト・ゴーシュで、本作品はアカデミー長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた、最初のインドからの映画となった。2人は本作品以前にも、複数の短編ドキュメンタリーを共同製作し、現代インド社会の歪みを鋭い視点で捉えている。

KLで働く3人の女性記者たち


本作品は、三人の女性記者に焦点を当てながら、KL新聞の在り方、UP州での生活の様子、彼女たちの生活の根底にある差別の厳しさを描き出している。KLで働く女性たちは、インドのカースト制の中でも最下層のダリット階層(訳「不可触民」)に属している。しかし、日常生活の中で彼女たちが受け続けてきた差別は単にカースト制による差別だけではなく、性別による差別、カースト+性差から派生する経済格差、無教育という機会不均等に基づく差別など限りがない。多重の差別が彼女たちの生活を脅かし、彼女たち被差別者が受ける偏見は、レイプや暴行事件、トイレを持つことが許されない住居空間、非識字といった只ならぬ現実として作品内に可視化される。

ミーラ


KLの中でも一段と輝く記者がミーラである。知識もあり経験も積んだ主任記者ミーラは、文字通りKLの牽引力であり、映画の最後では彼女が局長に就任したことが告げられる。14歳で結婚し、夫の無理解に悩みながらも、KLの記者として働きながら二人の娘を育てるミーラの言葉は、穏やかだが重みがある。監督からのインタビューに対し、彼女は以下のように語る。

ジャーナリズムは、民主主義の源だと思う。権利を求める人々の声を、メディアは行政まで届けることができるの。人権を守る力があるからには、それを人々の役に立てるべきだと思う。責任を持って、正しく力を使うの。でなきゃ、メディアも他の企業と同じ、単なるお金もうけになってしまう[1]。

ジャーナリズムそのものが、政府や企業へ忖度ばかりしている現代日本で彼女の言葉を聞くと、たとえそれが原理主義的に響いたとしても、正しいと頷かざるをえない。ダリット階層では女性教育に対して否定的だが、ミーラは大学院まで進んだ。そして彼女は今、教育を充分に受けることができなかった多くの女性記者たちを根気強く励ましながら、彼女たちの最大の「武器」となるスマートフォンの使い方を一から教える。

スニータ


スニータはKLの中でもピカイチの情熱溢れる若手記者だ。劣悪な労働環境が問題となっている鉱山で子供の頃から家族と一緒に働いてきたが、今は鉱山の労働環境について取材をしている。スニータだけではなく、KLの記者たちは皆、歩きか公共の乗り物を使って取材に出かける。ある日スニータが、取材をするために村の入り口まで到着した時、村人から「どうやってここへきた」と聞かれる。「歩きです」と答えたスニータに、その村人は、「記者が歩きだなんてウソだろう。会社のバイクがあるはず。車や食事の費用も会社負担だろ」と侮辱する。彼女を小馬鹿にあしらうこの男に対し、スニータは、そんな特別な待遇は受けていないこと、またお金を取って記事を書いたり、新聞の一面に記事を載せたりすることなどはありえないことを告げた後、自分はとにかく鉱山で労働環境問題を取材したいだけだとキッパリと語る。その真っ直ぐなスニータの態度に突き動かされた別の村人が彼女の取材を受けることを承知し、二人で村の中心へと向かう後ろ姿が映される。

しかし、若く有能なスニータは後にKLを辞職することになる。彼女の住む世界では、多くの男性が少しでも学のある妻を望むけれども、一旦結婚すると女性が働くことを許さない。スニータは長い間家族や世間からの結婚の圧力に悩んだ末、仕事よりも結婚を選択する。彼女を有望視していたミーラは、有能な後輩が仕事を辞めるのが一番辛いと残念がる。映画の最終テロップで、スニータが結婚から数ヶ月後に職場に復帰したと知らされた時には、思わず喜びが私の心にも生じた。

シャームカリ


シャームカリはなんとなく頼りなさそうな新人記者だ。彼女は2児の母親でもある。読み書きが苦手で、アルファベットを読む事ができないため、スマホの扱いにも四苦八苦する。監督からインタビューを受けながら、彼女は自分について語る。「教育っていうのは、何をするにしても必要なものよ。例えば、私は銀行に行っても、お金を引き出すための書類が書けない。だから側にいる人に、私の分も書いてと頼むの」[2]自分にまだまだ自信が持てないシャームカリだが、彼女はKLの仕事に対する一途な思いをカメラの前で吐露する。「夫には仕事のことを皮肉られた。『女が外で夜まで働くなんて』『何をしているか分かったもんじゃない』。だけど言い返したの。『あんたは捨てても仕事は捨てない』と。夫は私の稼ぎを奪うようになった。渡さないと暴力の嵐。だから家庭内暴力の届け出を出した。勇気をくれるのは自分自身の心よ。他に何がある?」[3]こう話しながら、こぼれるような白い歯を見せて笑う彼女は溌剌としている。

『燃えあがる女性記者たち』が与える力


この作品から観客であるわれわれが享受するのは、彼女たちの言葉と行動から読み取れる明るい正しさである。ミーラ、スニータ、シャームカリだけではなく、多くの女性がこの作品の中で助け合いながら仕事をしている。彼女たちは決して経済的に裕福とは言えないが、彼女たちの職場には笑顔が絶えない。差別を受けながらも結婚し、子育てをし、仕事に追われ、と日常生活の中で八面六臂の働きをする彼女たちだが、その笑顔から、彼女らは実はとても若いんだということに気付かされる。誰しもそうだと思うが、生きていくことは大変だ。苦しみや苦痛の連続。だが、自尊心を持ちながら、苦しい生活を楽しみに換える力―彼女たちの生きる指針―をこの作品は提示している。必見の一作。

[1] 「『燃えあがる女性記者たち』採録シナリオ」、『「燃えあがる女性記者たち」公式パンフレット』、24頁。
[2] 同上、27頁。
[3] 同上。

◆映画情報
『燃えあがる女性記者たち』(2021, 英語題Writing With Fire)
監督:リントゥ・トーマス&スシュミト・ゴーシュ
2023年9月16日全国公開。京都シネマでの上映は10月26日に終了したが、11月10〜23日の2週間、兵庫県尼崎市の塚口サンサン劇場で上映予定。

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