文化

映画評論 第4回 『国葬の日』から見えてくる民主主義の欠落

2023.10.16

【寄稿】ミツヨ・ワダ・マルシアーノ文学研究科教授

10月1日、京都シネマで『国葬の日』を見た。圧倒的に中高年が多い観客層だが、この映画館ではそれは格別珍しいことではない。日曜日の朝一の上映にしては客入りも悪くない。この作品を見たかった理由は、安倍元総理の国葬に関心があったわけでも、国葬に対する世間の喧噪に興味があったわけでもなかった。むしろ、監督大島新の新作を見たかったからだ。2020年、大島は17年間を費やしたドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』(以下『なぜ君』)によって、衆議院議員小川淳也が政治に真摯に向き合う姿を粘り強く捉えた。またその続編とも言える『香川1区』(2021)では、香川県第1区で繰り広げられた衆議院議員総選挙の模様を、小川 (立憲民主党)と平井卓也(自民党)の選挙戦に的を絞りながら有権者の視点から描いている[1]。 片や日本における公職選挙で必須とされる三要素「ジバン(地盤/後援組織の充実)、カンバン(看板/知名度の有無)、カバン(鞄/選挙資金の多寡)」のどれ一つ持ち合わせない小川と、片や安倍内閣で情報通信技術担当大臣と内閣府特命担当大臣を兼任し(2018-19)、菅内閣ではデジタル大臣として2020年10月4日まで就任していた平井との選挙戦は、典型的なアンダードッグの物語構造であり、最後に小川が当確を迎えた瞬間は、日本の政治にも奇跡が起こるかもしれないといった高揚感を観客に与えた。

88分と比較的短い『国葬の日』を見終わった後、この新作からは前作が醸した高揚感は感じられない。むしろこれはハイ・コンセプト映画だな、と少し残念な気持ちになったのを覚えている。私は「ハイ・コンセプト映画」を単に新しい考えを前景化しているという意味では用いていない。むしろ個別の事実よりも全体的な印象を重視し、確固とした概念や思想を追求するのではなく受け手との共感を狙い、何が時代に求められているかを模索したアイデア先行型の作品だと考える。一般にこのようなハイ・コンセプト型のアートや映画からは、所謂感動や高揚感を感じることは少ない。確かにこの作品は『なぜ君』や『香川1区』のように今後大島作品として後世に語り継がれる作品にはならないかもしれない。しかしながら、現代の日本社会における「政治」と日本人との関係性について考えるには貴重な一作であることは間違いない。以下、この作品と日本の民主主義との関係に的を絞りながら、本作品について考えてみよう。

* * *

『国葬の日』は確かに大島新の監督作品ではあるが、通常の意味での「監督」はここには存在しない。この作品のプロデューサーである前田亜紀が、大島新に安倍晋三の国葬を記録に残さないかと持ちかけた時、大島は「とりあえず撮ってみる」ことはしたくなかったと語っている[2]。そこで大島が考えついたアイデアが、「全国10カ所で撮影する。9月27日の一日を撮影した映像だけで映画を作る」という方法であり、物理的に自分自身で行うことが不可能なこの企画を、複数の撮影班に委託することで企画は可能となった。大島が担当した東京を除いた残りの9カ所では、国葬の直前に依頼した地元在住の撮影者によって地域の時空間が切り取られている[3]。

下の取材・撮影一覧を見ると解るように、全国に散らばる10カ所の都市での撮影からは、異なる地域住民の異なる意見が聞こえてくる。中でも、福島第一原子力発電所事故のあった福島や、米軍基地の継続滞在に反対する沖縄からの声は、与党である自民党への不信もあり人々からの反応は険しい。またこの年、台風15号の豪雨による浸水被害によって疲弊しきった静岡県清水市では、国葬に12億円以上の無駄金を使うくらいなら、被災者の生活を何とかしろと厳しい。一方、北海道でフォトウエディングを終えたばかりのカップルの父親らしき人物は、猛烈な勢いで国葬及び自民党を支援し、また一方では、昼休みの公園で、テレワークをしているサラリーマンたちが、国葬が当日であったことも知らなかったと語る。

このようなポリフォニーな声の集束を捉えた作品『国葬の日』は、結果として何を観客に伝えることができたのだろうか?大島本人の言葉を借りるならば、「日本人のグラデーションを描く映画」ということになるのだろう。大島のポイントはこうだ。国葬に関して、多くのマスメディアが反対6割、賛成4割と世論調査の結果を発表した。しかし、実際の日本では世論がこのようにハッキリと二極化していないというのが彼の推察である。むしろ「どちらかといえば」反対、あるいは「どちらのいうこともわかる」といった「個が弱く、いつも周囲の目を窺っている」「自分では決められない」「誰かに決めてもらいたい」そういった立ち位置の人々が圧倒的に多い現在の日本社会に、果たして民主主義が存在していると言えるのか?というのが彼の疑問である。『国葬の日』は、民主主義などは存在しないかのように見受けられる現代の日本社会に所属する人々の在り方を捉えた作品である。

日本に長く滞在する西村カリンというフランス人ジャーナリストが書いている。「フランス人は、お上[政府]も間違えることはあると考えます。(中略)アンフェアなことにはデモをする。(中略)なぜ[日本では]若者はデモに参加しないのか。話を聞くと『政治のことはわからない』『どこで勉強すればいいのか』と返ってきます。小さいときに家庭でも学校でも、政治についてほとんど話す機会がないから、なかなか政治に関心が持てない」と[4]。政治に関する考え方は、誰かが与えてくれるものなのだろうか?例えば、どうやって安倍晋三のレガシーを批判し、長きに渡る自民党一党支配体制を批判するのか?あらゆるスキャンダルに関して回答を出さなかった元首相に対する国葬、それも反対者が多数を占める世論を無視して行う国葬、二日後には参議院選挙が予定され、それが延期されることにもならなかった国葬に対する評価や批判ができなくなってしまった人々の国に、未来はあるのだろうか?

そんな憂鬱な行き詰まりを感じさせるドキュメンタリー映画『国葬の日』に対し、大島自身が以下のように語る。「日本人とは、何なのか。私自身がこの映画を作る過程で多くの発見をし、かつ、完成版を観て大変困惑しています・・・・・・・・・。」映画作品は、単に楽しいだけではなく、高揚感だけがその存在理由でもない。むしろ、困惑を共有することによって、少しでも政治を知りたい、政治に近づいてみようと思う気持ちがこの作品を通して観客の心の中に起こることを祈りたい。本作、京都シネマにて10月19日まで上映予定。お薦めの一作です。

[1] この年の衆議院議員総選挙の小選挙区である香川1区には、小川と平井だけでなく、維新の会の新人候補である町川順子も名前を連ねていた。
[2] 大島新「Director’s Note」『「国葬の日」公式プログラム』(東風+ネツゲン、2023年)28頁。
[3] 唯一異なるのは沖縄であり、そこにはプロデューサー・前田亜紀が当日東京から赴き撮影を行っている。
[4] 大島新、西村カリン、前田亜紀「国葬の日 鼎談」『「国葬の日」公式プログラム』(東風+ネツゲン、2023年)20頁。

◆映画情報
監督      大島新
プロデューサー 前田亜紀
編集      宮島亜紀
取材・撮影
    東京  大島新 
        三好保彦
    下関  田淵慶
    京都  石飛篤史
        浜崎務
    福島  船木光
    沖縄  前田亜紀
    札幌  越美絵
    奈良  石飛篤史
        浜崎務
    広島  中村裕
    静岡  込山正徳
    長崎  高澤俊太郎
2023年9月16日全国公開(88分)

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