企画

琉球遺骨返還運動〈控訴審判決を受けて〉 訴訟の限界に挑む

2023.10.01

沖縄県今帰仁村の百按司墓から1929年に京都帝国大学(現在の京都大学)の研究者が持ち出した遺骨を巡り、墓に埋葬された王家の子孫らが遺骨の返還を求めて提訴した裁判の控訴審判決が先月言い渡された。これまでの経緯や裁判所の判断を整理し、返還運動の行方を探る。(扇・郷)(=1面に関連記事

原告
松島泰勝氏 龍谷大教授
亀谷正子氏 第一尚氏の子孫
玉城毅氏 第一尚氏の子孫
金城實氏 彫刻家
※提訴時は照屋寛徳氏(衆議院議員)も原告だったが、2022年に亡くなった。

被告の関係者
山極壽一氏 京大前総長

控訴審判決のポイント① 返還請求権はないと判断


原告側は京大に対し、百按司墓から持ち出された遺骨の引渡しと1人あたり約10万円の慰謝料を請求した。

まず、遺骨の返還請求を基礎づける権利について原告側は、①憲法または国際人権法、②民法、③契約に基づく法律構成を主張した(③は控訴審で新たに付け加えられた主張)。

しかし控訴審判決は、いずれの法律構成によっても原告らに遺骨の返還を請求する権利はないと判断し、一審判決を支持した(下図参照)。

また、慰謝料請求について原告らは、2つの不法行為を主張した。

①盗掘された遺骨だと知りながら返還しないことは、原告らの返還請求権や、祖先の回顧及び祭祀に関する自己決定権を侵害する。

②研究者である松島氏からの遺骨の実見の申し出に誠実に対応しなかったことは、松島氏の琉球民族としてのアイデンティティや研究者としての利益を侵害し、他の原告をも侮辱する行為である。これには、山極壽一総長(当時)が2019年に、京大の職員組合との懇談において原告を「問題のある人と承知している」と述べたことも含まれる。

しかし控訴審判決は次の通り、これらに基づく慰謝料請求を退けた。

①百按司墓に祀られた王族の子孫である亀谷氏と玉城氏は、祖先の遺骨を墓に安置した状態で祀りたいという法的保護に値する利益を有するにしても、遺骨の収集が刑事罰が課される違法な態様でされたことを認めるに足りる証拠はなく、京大による遺骨の保管態様が社会生活上許容される限度を超えているとも評価できない。

②松島氏が提出した申請書に遺骨の利用方法等について具体的な記述がなかったことに鑑みれば、申請を許可しなかったことは不当ではない。京大の対応や山極氏の発言も、社会通念上許容される限度を超えた侮辱行為とは認められない。



控訴審判決のポイント② 一審判決よりも踏み込んだ付言


「遺骨はふるさとに返すべき」


控訴審判決は法律判断においては一審と同じ結論に達したが、付言の方向性は異なっている。

一審判決の付言は、日本人類学会の要望書に触れ、遺骨は学術的、文化的にも貴重な資料だとして関係諸機関を交えた協議を求めるもので、控訴審の弁論のなかで松島氏は「全く不当」と批判していた。

一方、控訴審判決の付言は、先住民族の遺骨が返還された諸外国の事例を多数挙げ、遺骨返還は「世界の潮流になりつつある」とし、日本人類学会の要望書を重視するのは「相当とは思われない」と踏み込んだ。

【控訴審大阪高裁判決の付言(抜粋・要約)】

遺骨の本来の地への返還は、現在世界の潮流になりつつあるといえる。

遺骨は語らない――。遺骨を持ちだしても、遺骨は何も語らない。しかし、遺骨は、単なるモノではない。遺骨は、ふるさとで静かに眠る権利があると信じる。持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに返すべきである。日本人類学会から提出された、将来にわたり保存継承され研究に供されることを要望する書面に重きを置くことが相当とは思われない。

訴訟における解決には限界がある。京都大学と原告のほか、沖縄県教育委員会、今帰仁村教育委員会らで話し合いを進め、沖縄県立埋蔵文化財センターへの移管を含め、適切な解決への道を探ることが望まれる。

まもなく百按司墓からの遺骨持出しから100年を迎える。今この時期に関係者が話し合い、解決へ向かうことを願っている。

「無縁塚のべんべん草の下に淡い夢を見ていた骸骨」(注:遺骨持ち出し当時の新聞記事からの引用)は、ふるさとの沖縄に帰ることを夢見ている――。

控訴審判決のポイント③ 琉球民族を先住民族と認定


控訴審判決は、「事案の概要」という箇所において、「本件は、沖縄地方の先住民族である琉球民族に属する控訴人らが……」と述べた。一審判決は、同じ箇所において、「本件は、沖縄地方の先住民族である琉球民族であるとする原告らが……」と述べていた。「であるとする」が無くなった形で、原告側は、「先住民族である琉球民族」と認定したことに本判決の意義を見出した。判決言渡し直後に大阪弁護士会館で開かれた集会での、原告らの発言を紹介する。

原告 玉城毅氏


最初判決聞いた時は頭にきましたが、弁護士のお話を聞いて、どうしても法律を超えられないところ、そのなかでも次に繋げていきなさいという裁判長の考えではないかと思った。琉球民族を先住民族と最初にはっきり書いてあるが、先住民族と書くと権利がうまれてくるので大事な話だと思う。

原告 亀谷正子氏


私は大島裁判長のことをウェブで調べて、今年退官だし、政財界に忖度する必要もないから、ひょっとするとひょっとするかもと思って友人たちにしゃべっていた。法律は難しいですね。ですけど最初に、先住民族である琉球民族という文言がありますし、最高裁でも大きな下支えになると思う。最初判決を聞いた時はびっくりして、何でそうなるのと思いましたが。最高裁まで頑張る覚悟。

原告 松島泰勝氏


私も亀谷さんと同じく最初非常にびっくりした。かといって京大が明日から私たちのご先祖のご遺骨をドリルで穴開けてゲノムを抽出してバラバラにして研究できるかというと絶対できない。この6年間、継続的に裁判で訴えてきた。京大は法的根拠もなく研究している、しかも遺族と話さず、同意を得ていない。こういった遺骨を研究して論文を書いて載せてくれる学術雑誌、紀要は、世界にはない。日本人類学会の紀要もあるが、載せたら大変なことになると思う。京大は今日は勝ったと喜んでいるかもしれないが、研究できないということになると思う。であるならば、すぐに返すべきだ。

(判決文を読んで)これは歴史的な判決だなと実感しました。1997年に札幌地裁で二風谷ダム判決がありました。二風谷でダムを造る、それをやめてくれとアイヌ民族が訴えた。判決では、差し止めはできないと。だけど、アイヌ民族が先住民族だと認めた。それで運動が広まって、2008年には日本政府がアイヌ民族が先住民族だと認めるにいたったわけであります。

(本判決は)「琉球民族に属する控訴人」と事実認定した。京都地裁のは、積極的に認めるというものではなかったが、今回のは裁判所が初めて認めたというものでした。日本の法体系のなかでは棄却になったが、解決に向かうことを願っている。琉球民族の自己決定に対するご支援、琉球民族の他の問題を解決できるような力をもらったなと思いました。

原告 金城實氏


この裁判で大きかったのは、若手の弁護士が勉強して、京都大学の民族学に勝る研究をしたということだ。戦後生まれの若手の弁護士が必死に琉球沖縄における死生観、まつりごと、例えば遺骨を納めるのはティーダといって太陽だ、位牌はトートーメといってお月様だと、民族学的に美しくも品格がある言葉をこの法廷で出してくれた。

いま玉城デニー知事が国連に行って、沖縄の人間に対して日本政府がなんでこんなに汚い手を使うかということを訴えている。ただね、知事の頭の中にはどうも、琉球先住民族という話がない。高等裁判所で琉球民族が先住民族だと認定されたことは、琉球独立論で戦ううえの基盤になる。

戦後民主主義のなかで法廷というのは、国民に開かれた学習の場である。だが、京大は一度も法廷に顔を見せなかった。民主主義に対する冒とくだ。なぜ被告席に若手の弁護士だけおいて、来なかったのか。

※国際機関と政府の見解 国連の自由権規約委員会は2008年、「国内法によってアイヌの人々及び琉球・沖縄の人々を先住民族として明確に認めるべきだ」と日本に勧告し、アイヌ民族については19年、「北海道の先住民族である」と明記した法律が成立した。国連の人種差別撤廃委員会も18年、「琉球の人々を先住民族として認識するよう,その立場を見直し,その権利を保護する措置を強化すること」を勧告したが、日本政府は、「日本政府として『先住民族』と認識している人々はアイヌの人々以外には存在しない」とコメントした。

▼主なできごと(本紙2017年11月1日号〜2023年9月16日号より)         
・2004年、今帰仁村教育委員会が調査を実施。金関氏が百按司墓から持ち出したとみられる遺骨26体が京大総合博物館で保管されていることを報告。
・2017年2月に琉球新報がこの調査をふまえて報道。
2017年2月 報道を受け返還運動が広がる
9月 京大、遺骨の所蔵を認める
2018年12月 原告ら、京大を提訴
2019年7月 日本人類学会「研究資料として保存を」京大が保有する各地の遺骨をめぐり、日本人類学会が7月20日、篠田謙一会長名義で京大総長宛に要望書を提出。遺骨を「国民共有の文化財」だとし、今後も研究資料として利用できるよう京大に対応を求めた。
これに対し琉球遺骨訴訟の原告は抗議文を発表。亀谷氏は「「学者研究ファースト」の傲慢さが見える」と指摘し、松島氏は一方的な政治的関与と批判し謝罪を求めた。
一審は、2019年3月から22年1月までの間に15回にわたって口頭弁論を開いた。原告側は百按司墓及び京大総合博物館での現場検証を求めたが、裁判所は行わなかった。
2022年4月 一審判決 請求棄却 原告ら控訴
9月 第1回弁論 原告、一審判決を批判 9月14日、控訴審第1回弁論が大阪高裁で開かれた。原告側は一審判決を「曖昧」と批判。「高裁には国際法に沿った判断を期待する」と述べた。
亀谷氏は、「どんな理由があれ、お墓からご遺骨を盗むことは許されない」と陳述した。弁論後の記者会見では、「司法の良心と国際感覚を持ち合わせた判断を願う。琉球民族の未来のために頑張る」と控訴審への思いを語った。
12月 第2回弁論 原告、当時の記事に着目 第2回弁論で原告側は、遺骨が持ち出された当時の新聞に「引取人が現れればいつでも返す」旨の記載があることに着目して、改めて返還を訴えた。また、太田好信・九大名誉教授らが、「先住民族の権利に関する国連宣言」などに関する意見書を提出した。
傍聴席から「裁判長、京大の博物館に行ってください!」と声が上がり、裁判長が「検討します」と答える一幕もあった。
2023年2月 第3回弁論 裁判長、現地調査を提案 第3回弁論では、裁判長が、京大総合博物館に自ら赴き遺骨の保管状況を確認することを提案した。だが京大側は「検討できない」と退け、傍聴席から怒号が飛んだ。ただし京大側は、写真提出を検討すると譲歩したため、日を改めて非公開で話し合うことになった。
金城氏は弁論後の集会で、「裁判官の言うことを聞かないと言うとるわけや。そんなん極悪非道や」と京大側を非難した。
5月 原告支援者ら、遺骨実見求め要求書提出 5月22日、時計台前で集会が開かれた。集会は、琉球人遺骨返還を求める奈良県会議・共同代表の崎浜盛喜氏が呼びかけたもので、原告側の支援者ら約30人が参加した。集会は1時間ほど続き、参加者は遺骨の返還を要求するほか、京大の研究倫理など大学の体質について言及した。集会後は本部棟へ移動し、遺骨の実見などを求める湊総長宛の要求書を代表者が大学職員に手渡した。
7月 第4回弁論 京大、遺骨の写真を提出 前回弁論から今回までに非公開で4回の協議が行われた結果、京大側が遺骨の写真を初めて提出した。写真は、保管箱のなかに収められた遺骨を低い角度と高い角度からそれぞれ一枚ずつ、計26体分撮影したもの。
写真を見た原告側は、遺骨の保管状況を批判した。金城氏は、琉球の死生観や葬送文化に触れ、京大が遺骨を「段ボール」に入れているのは「とんでもない」と陳述した。
8月 第5回弁論 原告、遺骨の取扱を批判 第5回弁論で松島氏は、京大が提出した写真に供物が見当たらない点や、遺骨に直接標本番号が書き込まれている点に言及し、京大は遺骨を「研究対象の単なるモノに貶めている」と陳述した。
金城氏は弁論後の集会で、「この裁判の結果がどうであろうと、やるべきことは全てやった」としつつ、「裁判所において原告と被告が堂々と議論することがなかったのが残念」と述べた。
9月 控訴審判決 控訴棄却・請求棄却

▲支援者を前に判決の受け止めを語る原告ら=9月22日、大阪弁護士会館

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