インタビュー

【卒業生インタビュー 京大出たあと、 何したはるの?】Vol.3 サッカー選手 田中 雄大さん 史上初 京大出身Jリーガーを目指す

2023.09.16

【卒業生インタビュー 京大出たあと、 何したはるの?】Vol.3 サッカー選手 田中 雄大さん 史上初 京大出身Jリーガーを目指す

ユニフォームにそでを通す田中選手。後ろに写るのは本拠地のたけびしスタジアム京都(=京都市右京区西京極)

京都大学は昨年創立125周年を迎え、これまでの学部卒業生はおよそ22万人にも及ぶ。卒業生は幅広い分野で活躍するが、彼ら・彼女らは進路の選択に際し、何を考え、感じ、選び取ってきたのか。

当企画第3弾は、京大を卒業後、社会人サッカーチームで夢を追う田中雄大さんを取り上げる。(爽・村)


目次

「絶対的な守護神」ではなかった
「信頼を積み上げるのは大変だが、落とすのは一瞬」
「自分の可能性」を信じて


「絶対的な守護神」ではなかった


――サッカーをはじめたのはいつからですか

5歳の頃、友達と地元のサッカークラブに入ったのがきっかけです。小学校低学年の頃、地元の野洲高校が全国優勝し、そのなかに田中雄大さん(※)という、同姓同名のサッカー選手がいると知って、「自分と同じ名前の人がこんなところでサッカーしているんだ」と刺激を受けました。それが励みになって、ますますサッカーにのめり込みました。小学校6年生まではずっとディフェンダーでしたが、腰を痛めたことがきっかけでゴールキーパーに転向しました。

※編集部注
野洲市出身の元プロサッカー選手。高校時代には、乾貴士らと共に第84回全国高等学校サッカー選手権大会優勝を経験し、川崎フロンターレなどで活躍。Jリーグ通算151試合出場。

――高校選びの際、サッカーの強豪校への進学は考えましたか

それはなかったです。当時は、サッカーの道で生きていこうとは全く思っていなかったです。中学のときには県の選抜に入ったので、そこで知り合った選手が次々と強豪校に進む中、むしろ、進学校でもそういった選手と互角に戦えるところを見てもらいたいと考えていました。しかし、県で上位に入るチームを倒すことはできず、高校サッカーは不完全燃焼で終えました。

――京大への進学の決め手はなんですか

高校時代、京大サッカー部と試合をする機会があり、膳所高校出身の選手とプレーして「京大に入ってもなお、ここまで熱くサッカーしている人がいるんだ」と心を打たれたことです。農学部を選択したのは、生物系に興味があったのもありますが、サッカー部が活動する北部グラウンドが近かったこともあります(笑)。

サッカーを続けたのは、高校サッカーが不完全燃焼に終わったことに加えて、大学に入ってより自由な時間が増えるなかで、サッカーにさらに時間を費やしたら自分がどれぐらい成長できるかを知りたかったのも理由です。

――大学時代はどんな選手だったのですか

いわゆる「絶対的な守護神」では全くなかったです。ゴールキーパーの先輩がとても上手くて、はじめは出場機会を得ることが難しかったです。2回生からBチームの試合に出はじめましたが、中々結果を残すことはできず、3回生の頃にはコロナウイルスの関係で試合自体も大きく減りました。ただ、結果が出せなかった時期とコロナ禍が重なり、自分と向き合う時間を作ることができたのは大きかったです。筋トレや栄養の勉強、プレーの分析など様々な「実験」をして、特にフィジカルの面で大きく成長することができました。それをもとに、4回生になって公式戦にも出させてもらえるようになりました。試合に出られない時間も多かったですが、年間を通して成長を実感できた1年でした。

――どんな学生生活でしたか

大学生活はサッカーが中心でした。一時期、専門科目の授業に全く行かなくなり、同級生の間で「田中死亡説」が流れたこともありました(笑)。

研究室は、「発酵生理及び醸造学研究室」というところで、微生物を使って水を浄化する研究をしていました。研究自体はとても面白かったのですが、本当は、アスリート特有の腸内細菌の研究など、微生物のなかでもスポーツに関わることがしたかったという思いもあります。このころから、スポーツと自分が学んできたことを関連させたい、とは考えていました。

大学4回生になり、憧れていた西京極のスタジアムでピッチに立つ(背番号1が田中さん。写真は田中さん提供)



――大学の先でサッカーを続ける選択肢が浮かんだのはいつでしょうか

4回生の夏頃です。まわりが大学院入試を受けるなかで、一度は大学院を受験しました。しかし、サッカーを続けていくうちに自身の成長を実感し、伸びしろもまだあるんだというふうに思えたので、次のカテゴリーでどれぐらい実力を伸ばせるのかチャレンジしたいなと考えるようになりました。最初は漠然と「サッカーを続けたい」と考えていたんですが、「京大のサッカー部で今まで誰も挑戦したことがない」というところに魅力を感じて、一度きりの人生ですし、挑戦する決意をしました。10月末頃に、JFL(※)のチームなどが参加する合同セレクションに参加して、今のチームにお声がけいただきました。そして、大学院への進学は辞退することを決めました。

※編集部注
日本のプロサッカーリーグ・Jリーグの下部に位置するサッカーリーグのこと。社会人・大学などが所属するアマチュアリーグの最高峰であり、JFL4位以内などの特定の条件を満たすことで、チームがJリーグ入りすることも可能。

――当時、周りの人たちの反応はいかがでしたか

サッカー部の同期はすごく応援してくれていました。父親もこの決断を応援してくれていましたが、母は最初、すごく心配していました。京大まで出してもらって、母が考える進路からは大きく離れていましたし、そういった反応も想定はしていました。

研究室の教授にサッカーを続けると話をしたとき、「自分は若い頃、音楽の道に進みたかった」という話をされました。そして、若いときにしかできないこともあるからそれはそれで精一杯頑張れ、と言っていただけました。最終的にはみんな、自分の挑戦を応援してくれていたのでありがたかったです。

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「信頼を積み上げるのは大変だが、落とすのは一瞬」


――所属する、おこしやす京都ACについて教えてください

J1(※)から数えて「J5」相当の関西リーグ1部に所属する社会人チームです。選手全員が「社員プレーヤー」という形で、午前中にサッカーを練習して、午後からは会社の業務をしています。選手全員がチームの社員として働くというのは珍しい体制(※)です。通常のチームは単年契約が基本なので、シーズン終盤は自分の成長どころか、生き残りをかけたプレーをしなければいけない部分もあります。そういった意味では、中長期の成長を支えてくれる安定した環境は選手として幸せだと感じますし、だからこそチャレンジする精神を大切にしていきたいと考えています。

※編集部注
JリーグにはJ1、J2、J3の3階層が存在し、J1はその最高峰。J3までが「プロ」リーグであり、その下に、アマチュアリーグが存在する。JFLの下に、地域リーグ、都道府県リーグが存在し、関西リーグは地域リーグに相当する。
※編集部注
アマチュアサッカーチームは、Jリーグクラブ入りを目指し、選手の多くが外部の企業に務めるセミプロ(一部、チームとプロ契約を結ぶ選手もいる)や選手全員がチームの母体となる企業に所属し、Jリーグ入りは目指さない実業団のようなケースが一般的。

――どういった業務をされているのですか

地域の企業を訪問して、各企業の課題などを聞きながら、一緒に何かできないか提案をしたりしています。パートナーシップを結んでいる企業と、色々な取り組みを行ったりもします。たとえば、通所介護の事業を行う企業と協力して、社員プレーヤーが考えた運動メニューを高齢者の皆さんと一緒に取り組ませていただく、などです。

僕自身はこういった活動に加えて、おこしやす京都ACの母体となっているスポーツX株式会社の社員としても活動しています。こちらは、日本各地にプロクラブを経営しているスポーツベンチャーです。クラブの立ち上げなど、様々な角度からスポーツビジネスに関わっています。

――ゴールキーパーの難しさ・楽しさを教えてください

キーパーはピッチに1人なので、本当に孤独なポジションです。なので、強いメンタルが要求されます。また、自分のミス1つで勝敗を左右するので責任は重大です。ミスをせず、信頼を積み上げていくのは大変ですが、落とすのは一瞬というところが難しいポジションだなと感じます。逆に、自分の良いプレー1つで流れを変えられることがあるというところは魅力です。直接的にチームを勝たせることはできないですし、プレー頻度も多くはないですが、たった1つのプレーで勝利を引き寄せることができます。色々なプレーがあるなか、やはりシュートを止めた瞬間が一番心震えます。シュート1本止めて、人生が変わるときもありますし、そういった瞬間を求めてずっとキーパーをしているところはあります。

――社会人サッカーと大学サッカーの違いはどこにありますか

サッカーの面で言えば、一つ一つのプレーへのこだわり、スピード感、プレー強度などレベルに大きな差があります。また、元Jリーガーの方もいらっしゃるので、そういった経験を還元してもらえる点もあります。それと、生活をかけてプレーするので、ワンプレーにかける熱量も全く違います。

また、社会人になって、自分がやりたいことに対してどう時間を作っていくかという難しさもあります。

――おこしやす京都ACに加入して、成長を実感するシーンはありましたか

昨年入団して、今までのサッカー人生で初めて、シーズンを通してGKコーチ(ゴールキーパー専属のコーチ)に指導していただきました。指導を通して、小さな差1つで、止められるシュートとそうでないシュートが出てくると気づきました。逆に、その差を埋められれば、自分もここまで伸びるのか、と感じることもできました。

今年は新監督を迎え、新たなサッカーをしていくなかで「キーパーはピッチ全体が見えるからこそ、サッカー全体のことを知らなくてはいけない」という指導を受けています。ゴール前だけではなくて、サッカー全体の流れを俯瞰して見ることによって、より本質的なところが見えるようになってきました。この力をもっとレベルアップしていかなければならないですが、自分の中に伸びしろがまだある、と感じながらプレーできています。

――活動のなかで、印象的だった場面を教えてください

サッカーだと、昨年の全国社会人サッカー選手権大会です。JFL昇格の切符をつかむための大切な大会なのですが、5日間で最大5試合という過酷な日程で戦います。自分はピッチには立てなかったものの、チームの昇格をかけた1点の重みや、サッカーの難しさ、奥深さを思い知らされた出来事でした。

事業面で言えば、地域訪問の一貫で、パートナーシップを結ぶ学習塾、高校と行った「クロストークイベント」が印象的です。中学生の前で、スポーツと教育の両立などについて講演をしました。これは、そういった経歴を持つ自分だからこそできた部分もありますし、ゲストスピーカーとしてこういった活動に参加できたのは、すごいいい経験でした。

関西サッカーリーグ初出場を果たした、今シーズン第2節関大FC2000戦(写真は田中さん提供)



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「自分の可能性」を信じて


――今後の目標について教えてください

チームとしては、Jリーグ昇格です。僕自身も、京大卒で史上初のJリーガーになることが目標です。この選択をしたからには、まずは自分がその道を切り開いていくのが使命だと考えて日々練習に取り組んでいます。とはいえ、やはり実力の面ではまだまだ距離があると感じています。だからこそ、このクラブと一緒に着実に一歩一歩あがっていって、Jリーグ入りを果たしたいと思います。

――進路選択に際して、重要なことはなんでしょうか

こういった思い切ったチャレンジは、京大生だからできたのではないか、と思うところがあります。色々な選択肢を持っているからこそ、自分がやりたいことをしっかりと決めて、そこに突っ走っていける。そのなかで、自分の可能性を信じることが重要だと思います。

スポーツには無限の可能性があるというか、色々な分野と繋がっている、いろいろな可能性がまだまだある、スポーツはそういう面白いものだなと、この会社に入って改めて思います。また、京大に限らず色々な知恵を結集させて、スポーツ全体を盛り上げていくというのが、自分にとってとても楽しくて。そういった仲間が増えればいいなと思います。

――ありがとうございました。

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田中雄大(たなか・ゆうだい)
1999年生まれ。滋賀県野洲市出身。幼少期からサッカーをはじめ、U-15滋賀県トレセン、2015年国体サッカー少年男子滋賀県代表などを経験した。滋賀県立膳所高校を卒業後、2018年に京都大学農学部応用生命科学科に入学。在学中は、体育会サッカー部に所属する。卒業後は、2022年から関西サッカーリーグ1部に所属する、おこしやす京都ACに加入。チームのゴールマウスを守りながら、「社員プレーヤー」としても活動する。

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