文化

映画評論 第3回 『Barbie バービー』とBarbenhaimer現象考

2023.09.16

【寄稿】ミツヨ・ワダ・マルシアーノ文学研究科教授

8月1日、米国NBC Newsからインタビューのリクエストメールが届いた。「『バービー』と『オッペンハイマー』(2023、監督クリストファー・ノーラン)の共同マーケティングは、核戦争を矮小化するものだとする日本での反響について現在記事を執筆中であり、そのためオンライン・インタビューができないだろうか」との要請であった。いわゆるネット上での「Barbenhaimer/バーベンハイマー現象」について、いったい日本ではどういう反応が起こっているのかを知りたいということだろう。どちらの映画も私が依頼を受けた8月1日当時まだ日本では封切られておらず、「見ていないので返答することもできないから」と私は丁重に断った。さてこのバーベンハイマー現象とは何なのか、まずそれを簡単に説明しよう。

オンライン・サイト『The Hindu』のライターBhuvanesh Chandarによると、バーベンハイマー現象は、意図的というよりあくまでも自然発生的なインターネット上のファンダム現象だとされる。[1] つまり、米国メディア研究者ヘンリー・ジェンキンズが提唱したファンダム研究の古典概念「コンヴァージェンス・カルチャー」(以下CC)の一つである。CCとはファンとメディアとが作る参加型の文化の総称であり、彼自身の定義によると、(a) 多数のメディア・プラットフォームにわたってコンテンツが流通すること、また (b)多数のメディア業界が協力すること、そして (c) オーディエンスが自分の求めるエンターテインメント体験を求めてほとんどどこにでも渡り歩くことが特色であるとされている。[2]

まずは、以下のイメージを見て頂こう。


これはSean Longmoreというグラフィック・デザイナーがエックス(旧ツイッター)に掲載した『バーベンハイマー』という架空映画のポスターである。『バービー』の米国一般上映の開始が7月21日、『オッペンハイマー』も7月21日、そしてこの架空映画作品『バーベンハイマー』のポスターから読み取れるこの作品の上映予定日も同様に7月21日とされている。あたかもこの3作品が共同マーケティングをしているかのような印象を与える上映スケジュールである。リゾーム的に拡大するこういった印象は、単にポスターがエックスで拡散されるだけでなく、実在する2つの映画の予告編から巧妙に編集された『バーベンハイマー』の「孫引き予告」も大きな影響を与えている。数々の孫引き予告は次第にヴァージョンアップしながらユーチューブに掲載され続けており、驚くなかれその中の一つは、8月14日現在28万回を越える再生回数を記録している。この予告の製作をしたユーチューバーの収入は果たしていかほどだろうと下世話な興味がわく。[3]

さて、今回の映画評の真の対象である『バービー』と、バーベンハイマー現象との関係性を考えるには、まずは作品を見る必要があるだろう。新京極のシネコンで『バービー』を見た。監督が『レディ・バード』(2017)や『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019)を手がけたグレタ・ガーウィグということもあり期待は大きい。実際のところ、ハリウッド的なエンターテインメント性を兼ね備え、面白いと同時に女性のエンパワーメント感を満載した作品に違いない、という期待が外れることはなかった。

完璧な人形の世界〈バービーランド〉に住む、ごく普通のバービーが、身体に異変を感じ始め、その原因を見つけ出すため、人間世界〈リアルワールド〉へ侵入するという物語。適材適所のキャスティング、レトロなサウンドを現代のポップ・ミュージックに置き換えながらスパイスを利かしたサウンドトラック、バズビー・バークレー調のミュージカル・ナンバーの数々、そして英国のワーナー・ブラザース・スタジオ・リーブスデン内で撮影されたバービーランドの場面は、プロダクション・デザインの完成度が高く目が離せない。しかし、何といっても一番の魅力は、世界最大規模の玩具メーカーでありバービー人形の製作会社であるマテル社が映画製作に参加しており、1959年以来考案され続けてきたバービーの世界や歴史的な数々のキャラクターが、作品の中にちりばめられている点だ。また、バービーランドの中で繰り広げられる演出には、バービー人形遊びをしたことのある方ならばすぐに合点のいく「ごっこ世界」の約束事が詰まっている。バービーのかかとは常にハイヒール型であり、シャワーもミルクも全てフェイク、ゴミや汚れは存在せず、重力さえも無視できる。貧困も、病気も、身体障害も、悩み事は一切存在しない。

テーマとしての女性のエンパワーメントも、映画作品を通して明らかに前景化されている。ライアン・ゴズリング演ずるケンが〈リアルワールド〉から安直に学習したトキシック・マスキュウリニティ(有害な男性性)が、〈バービーランド〉に住む大勢のケンたちを洗脳してしまう。それに対してバービーたちが、武力や戦争という形態を回避しながら主権を取り戻す戦略は巧妙で面白い。そしてなにより女性がどんな地位にもつけ、自己肯定感に裏打ちされ、明るさと希望を心に抱ける世界が再生される作品物語の終わりは、〈リアルワールド〉で毎日あくせく男性中心主義社会の中で押しつぶされそうになっている多くの女性にとって魅惑的としか言いようがないだろう。

しかし、これが映画作品『バービー』そのものだとすれば、観客/消費者であるわれわれは、『バービー』と「バーベンハイマー現象」との関係をいったいどのように受け止めるべきなのだろうか?ジェンキンズが提唱したCCが、ファンとメディアが作る参加型の文化なのだとすれば、二次的に生産されるパラテクストとも言える「バーベンハイマー現象」を、核の脅威を真摯に受け留めていないからといって一概に否定すべきだろうか。有害な言説だと切り捨てるよりも、それに対する考えを対話という形で、様々なプラットフォームを通じて拡散していくことの方が意味があるのではないだろうか。

実際のところ、原子爆弾開発の中心的人物と目されるアメリカの物理学者J.ロバート・オッペンハイマーを描いた作品『オッペンハイマー』は、7月21日に米国で公開されて以来、世界各国で次々公開されているにもかかわらず、日本での公開はいまだ見通しがついていない。配給会社の自己規制がかかっていることは明白だが、このように政治的正当性の尺度を一義的にかざすことによって作品を批判したり、自己検閲を促したりする行為そのものが、良い対応だとは私には思えない。IMDb(International Movie Data Base)のレーティングで8.6/10という高得点を得ているこの作品を見ることなく退けてしまうことは、観客/消費者の「見る権利」や「知る権利」を奪うことになりかねない。SNSやその他のオンライン環境に浮上するこういったCCの副産物を締め出すことは難しい。それならば、こういった「負の産物」を含めた作品のコンテクストを抱え込む形で、われわれは映画作品について語っていく必要があるだろう。最後に『バービー』に立ち返るならば、女性だけでなく、男性読者の方々にも心から勧めたい一作である。アラン(マイケル・セラ)という男女の二項律を静観視するキャラクターも重要なアクセントとして登場することを、最後に指摘しておきたい。夏休み最後の必見の一作だ。

[1] オンライン・サイト『The Hindu』のライターBhuvanesh Chandarによる記事は以下のサイトから読める。 https://www.thehindu.com/entertainment/movies/ (2023年9月3日アクセス)。
[2] ヘンリー・ジェンキンズ『コンヴァージェンス・カルチャー : ファンとメディアがつくる参加型文化』(晶文社、2021年)。
[3] 例えば、『BARBENHEIMER — THE TRAILER (4K)』と題された予告は、HDの4Kで作られている。https://www.youtube.com/watch?v=KA6l2d_Z2v8(2023年9月3日アクセス)。

◆作品情報
『Barbie/バービー』(2023)/監督・脚本:グレタ・ガーウィグ/キャスト:マーゴット・ロビーほか/2023年8月11日全国公開

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