インタビュー

【卒業生インタビュー 京大出たあと、 何したはるの?】Vol.1 プロ棋士・精神科医 坂井 秀至さん 棋士と医師 二つの選択の狭間で

2023.08.01

【卒業生インタビュー 京大出たあと、 何したはるの?】Vol.1 プロ棋士・精神科医 坂井 秀至さん 棋士と医師 二つの選択の狭間で

関西棋院提供

京都大学は昨年創立125周年を迎え、これまでの学部卒業生はおよそ22万人にも及ぶ。卒業生は幅広い分野で活躍するが、彼ら・彼女らは進路の選択に際し、何を考え、感じ、選び取ってきたのか。

各界で活躍する卒業生の、人生の進路選択に迫る連載をスタートする。

「ギリギリの勝ち負けを争う」スリルに魅了されて


――囲碁に出会われたのはいつ、どのようなものでしたか?

小学校1年生のときにルールの手ほどきを父親から受けたんです。

囲碁の面白さは、一つは、碁盤の広さに限りがあるので変化は有限なはずだけれど、学べば学ぶほど人間から見たら無限としか思えないような奥の深さに気付くところ。もう一つは試合をすると必ず勝敗がつくこと。引き分けはなくて、黒白はっきりつくことは、ある意味では非常に厳しいけれど、ギリギリの勝ち負けを争うスリルがありますね。

始めたときから必ずしもプロになることを目標にしていたわけではないですが、囲碁というゲームのおもしろさと自分との相性が良かったのか、どんどんのめり込んでいきました。

――囲碁のプロは高校に進学されない方も多いと聞きますが、中学を卒業されるときなどにそのような考えはありましたか。

小学校高学年ぐらいからライバルだった同年代のトップレベルの人たちは高校に進学せず、プロの道を選ぶ人が多かったです。でも、私の場合は中学受験して中高一貫校に入ったので、学業を途中で辞めて囲碁に専念する踏ん切りがつかなかったところがありました。

幼い頃からプロ入りした28歳までの間、囲碁も一生懸命やるけれど学業も並行してするような形でしたね。

辞めてしまうのは「もったいない」


――大学生活を振り返っていただきたいです。プロ棋士の選択肢が浮かんできたのはいつですか?

医学部を選択したのは、囲碁のことは気になりながらも、周りの影響もあって医師という職業も選択肢として悪くないかなと思ったっていうことは言えると思います。

受験には苦労したので都合3年ぐらい碁石を握りませんでしたが、それでもやっぱり囲碁をやりたくて、大学に入ってからはより熱心に囲碁の勉強をしていました。

例えば藤沢秀行先生という棋士を中心に「秀行軍団」という集まりが形成されていたのですが、そこに混ぜてもらって合宿やご自宅での勉強会などに参加させてもらっていました。同年代のプロ棋士に知り合いは多かったので、それ以外にも色々とプロ棋士の集まる場所に顔を出し、練習対局を多数重ねました。

そうして、2000年にアマチュアの世界チャンピオン(※)になりました。世界一を目指して囲碁に一生懸命に取り組む過程で棋力が向上して、大学生の特に後半で、メキメキ強くなっている感覚がありました。

入学当初は医者を職業としてやっていくつもりだったけれど、このまま囲碁を辞めてしまうのももったいないなと思うようになりました。

※編集部注
「世界アマチュア囲碁選手権戦」での優勝を指す。2000年には世界56カ国の代表が集まった。坂井さんは1997、99年、2000年に日本代表として参加し、97年、99年はいずれも準優勝している。なお、坂井さんはアマチュア囲碁日本一を決める「日本アマ囲碁最強戦」において、1996年から2001年まで6連覇を果たしている。

――プロ志願届の提出を決断したのはどのタイミングでしたか?

2001年春に医師国家試験に合格した後、勤務医のオリエンテーションに行きました。そこで話を聞いたことで、医師として勤務を続けることが囲碁選手としてのキャリアを事実上終焉させるとはっきり実感するようになりました。学生時代の後半でどんどん棋力が上がって強くなって世界一にもなった。囲碁に専念して取り組めばプロの世界でも良いところまでいけるかもしれないと手応えを得たタイミングでもあったので、囲碁選手としてのキャリアをそこで終わらせるのも、もったいなく感じましたね。

家族や周りの人に決断を伝えると、びっくりしたという人も多かったですが、頑張ってやってみたらと言ってもらいました。

――続いて囲碁棋士になった後のお話を伺います。本筋と離れますが、囲碁のプロ棋士の一日というのはどのようなものなのでしょうか?

私の場合だと、大体週1回くらい試合がありました。大体2週間ぐらい前に対戦相手と対戦の日が決まるので、例えば対戦相手の試合を分析していました。あとは朝10時に対局が始まって、遅いと夜の11時までかかることもあって、意外と体力が必要だから、毎日鴨川を走っていました。

――プロ棋士に合格したときに思い描いていたキャリア、目標はどのようなものでしたか?

2001年の9月からプロ生活を始めて、04年の10月に名人挑戦者を決めるリーグに入ったときに、自分が考えていた仕事がやっと一つできたと思いましたね。

――囲碁のプロ棋士としての18年間で、特に印象的な体験はありますか。

先ほどお話しした2004年の10月と、10年の8月かな。

囲碁の7大タイトルのうちの一つである碁聖を10年の8月に獲得したんです。

トーナメントで優勝した挑戦者とチャンピオンとが5戦勝負をするのですが、2勝2敗で迎えた最終戦に勝って達成しました。5戦目が8月27日だったかな。自分が18年間やった中で一番大きい仕事はそれになりますね。

自分の中でやっぱり悔しかったのは、その1年後の防衛戦で、はじめに2連勝したあとに3連敗して失冠してしまったんです。あと1度勝てばよかったんだけど、タイトルを奪われた。一番嬉しかったのが2010年の8月のことだとしたら、11年がやっぱり痛恨。最初に連勝してるんだから、1回ぐらいどうにかならなかったかなと、今でもちょっと悔しい。これに限らず、どうしても嬉しかったことより、もったいなかったなと思うことをよく思い出します。

「最盛期に戻れない」と思ってしまった


――棋士休場の経緯を教えてください。

私は7大タイトルの獲得を、2010年の碁聖の1回しかできなかった。自分としては努力したつもりですが、もっと頑張れたなっていう後悔はちょっと残っています。次の年に負けたことも痛恨でしたが、自分の能力だったらもう少し頑張れば、もっと良い成績を挙げられたような気がします。

頑張りが足らなかったかなと悔いも残るけれど、それでもよくやったんじゃないかなとも思うんですけどね。

40代半ばぐらいになって、だんだん自分が思うようなプレーができないことが増えてきましたね。最初のうちは、頑張れば元に戻れるというつもりでやっていましたが、自分の棋力がじりじりと低下傾向にあるような気がして、もう頑張っても戻れないような気になってしまいました。

ちょっと話がそれるかもしれないけど、私の囲碁に限らず、もう駄目だ、と諦めたら終わりみたいなところはあると思うんですよ。

例えば、100㍍走を10秒切ろうと思って練習しているけれど、まだまだ遠いという人が仮にいるとしましょう。どんなに練習しても無理だと、もし心の奥底で思ってしまったら、多分その人は10秒を切れないでしょう。だけど精一杯努力をして、いつの日か自分なら絶対できると、そう信じきってるような人だけが実現できる可能性があると思うんですね。

私の場合は、40代半ばぐらいになってきて、一生懸命やっても自分の最盛期の状態に戻れヘんやろうなと思ってしまったんですね。今は一時的に調子が悪いだけだと思えていたら良かったのですが、40代半ばを過ぎてしょうもないミスばかりするようになったり、疲れやすくなってきて錯覚が増えたりと、自分の最盛期の状態には戻れへんような気持ちになってしまって、やる気が減退したような状態になってしまいました。

関西棋院提供



――棋士から転身する際、精神科の医師という職業を選択した理由を教えてください。

いろんなことをやってきた人生経験が活きやすいかなと思って精神科に進みました。医師以外の職業につくことはあまり考えなかったです。

囲碁は、自分が勝つことが目的ではありますが、そのことだけ考えて欲張ってもあかんくてね。対局の間はずっと相手の思考を読みながら、最終的にちょっとだけ相手より得して試合を終えれば勝てるゲームなんです。欲張ったら損をする。常に相手が何を考えているんだろうと思いながら試合をするので、患者さんの気持ちに寄り添うという面で、多少は今の仕事にも役立っているのかな。

「やりきったから悔いはない」ことを目指してほしい


――ご自身の進路の選択や人生の決断を振り返ってください。

自分が納得のいくようにはやってきたつもりですけど、囲碁の棋士としては、もう少し頑張っていたらもっと良い実績を残せたはずという後悔は8割ぐらい。よく頑張ったんじゃないかなという気持ちが2割ぐらいかな。

早くに学業を諦め囲碁に専念していればもっと強い棋士になっていたに違いないとは思うけれど、学生生活の間に多くのかけがえのない友人を得られましたし、その他にも多くの財産を得ることが出来たので、特別悔いはないです。

――これから進路選択をする若い世代に向けて、アドバイスやメッセージを。

自分の能力を出し切れたと思えたようなときは、すごく大きな成果が上がるものだと思います。長期のスパンじゃなくてもいい。例えばテストの期間を集中して過ごせたときは結果が良いでしょう。そういう経験を増やすと実りが多いだろうなと思いますね。

私で言うと、碁聖のタイトルを獲ったときはそんな感じでした。その期間は集中して、いわゆるゾーンに入るみたいなことがあって、無我夢中で駆け抜けて大きな成果を上げられた。

すごく集中してやりきれた、やりきったから悔いはないと感じられた場合には自然と大きな成果が上がっているというのは、多分皆さんに当てはまるかなと思います。

ありがとうございました。(聞き手:匡)

坂井秀至(さかい・ひでゆき)
1973年、兵庫県生まれ。灘高等学校を卒業し、94年、京都大学医学部医学科に入学。
96年から2001年まで、アマチュア囲碁日本一を決める「日本アマ囲碁最強戦」で6連覇。00年には「世界アマチュア囲碁選手権戦」で優勝し、囲碁アマチュア世界一に。
医師国家試験合格後、関西棋院での試験碁を経て、異例の飛び付け5段で01年9月にプロデビュー。10年には囲碁7大タイトルの一つである「碁聖」を獲得。その後も第一線で活躍していたが、19年8月、突然の無期限の休場を発表し、現在は精神科医師として勤務。

現在の坂井さん(=時計台前)

関連記事