インタビュー

「健常」求める社会 映画から問いたい ミツヨ・ワダ・マルシアーノ氏 連載初回インタビュー

2023.07.01

「健常」求める社会 映画から問いたい ミツヨ・ワダ・マルシアーノ氏 連載初回インタビュー

早稲田大学文学部卒業。ニューヨーク大学大学院シネマ・スタディーズで修士号、アイオワ大学大学院シネマ・比較文学で博士号を取得。京都大学大学院文学研究科教授。専門は日本および東アジアの映画。著書に『ニッポン・モダンー日本映画 1920・30年代ー』、『NO NUKES ー〈ポスト3・11〉映画の力・アートの力ー』など。 ※画像は本人提供

京都大学新聞では1年間、文学研究科のミツヨ・ワダ・マルシアーノ教授による映画評を隔号で掲載します。初回となる今号では、教授の研究内容や映画との出会い、いま興味を持っている映画についてお話を伺いました。(編集部)

―ご研究について教えてください
博士論文では1920〜30年代のモダニティと映画の関係性をテーマにしました。その後は、デジタル化による映画作品の変容を研究したり、東日本大震災以降の文化の変容をドキュメンタリー映画に特化して分析したりしました。

今日、デジタルで作られた映像が様々なプラットフォームで流通しています。そのようなものも含めて、従来の映画学をメディア・スタディーズという枠組みへと広げていく必要があるでしょう。

現在は「デジタル映像アーカイブの未来研究」という研究プロジェクトを行なっています。デジタル化に伴って映像のアーカイブは複雑になり、法整備が追いついていません。そのため、映像・映画をどのように保存するべきか研究し、国に対して声をあげていく必要があります。

次に取り組みたいのはドキュメンタリー史です。ドキュメンタリーは非常に男性中心の分野でした。女性や異なる分野のマイノリティの人たちが作った作品を分析することで、新しいドキュメンタリー映画史を提示したいと構想しています。

―最初に映画に興味を持ったきっかけはなんでしょうか
東京の大学に入ったことです。東京はパリとニューヨークに並んで、土地の広さに対して映画館が多く、映画を見るには便利な都市です。また、日本映画やハリウッド映画だけでなくアジアの映画が多く上映されるという点では、東京はパリやニューヨークに比べて恵まれています。

東京でひとり暮らしをはじめて、映画館に行くことで自分の生活のパターンを築いたと言えるかもしれません。年間630本くらいの映画を観ました。私の持っていたビデオ機器はスクリーンが小さかったので、映画館に通い詰めました。それはなにか、今までなかった知や経験をどんどん蓄積していくような感覚でした。大学の授業には毎回出ていました。完璧にノートを取っておけば、試験の前に勉強しなくていいわけです。そうして毎日のようにひとりで映画を観に行きました。

4年間そんな生活を続けて、卒論として小津安二郎の映画論を書きました。そこで、これは面白いぞ、と思い、ニューヨーク大学の修士課程に進学しました。

―今の大学生にとって、映画や映画文化はどういうものでしょうか
自分の映像体験をどのように定義するかは、個々人によって異なると思います。たとえば「映画」にあたる英訳には、「Film」、「Cinema」、「Movie」という3つの表現があります。そのなかでも「Cinema」には映画を鑑賞する環境という意味合いも含まれます。インターネットが普及する以前であれば、映画館に行ってチケットを買い、2時間座って映画を見て、そして家に帰る。この一連の行為が「Cinema」なんですね。今は映画館に行く人は少ないですが、テレビで映画を見たり、PCでNetflixを見たりということも、確実に現在の「Cinema」だと言えるのではないでしょうか。

また、学生のみなさんには色々な悩みがあるかもしれません。そういう時は、映画館にいくことをお薦めしたいですね。暗闇に座って映画を観ていると、ある意味自分自身が「眼」になれるでしょう。その瞬間は、自我を消し去ることができる。いつも自分と向き合っているのはとても疲れることですから、そういった時間は貴重です。映画はセラピーとしても活用できると思います。

ーどんな作品を映画評の題材に取り上げていきますか
女性に関する問題を扱う映画や、クィア・シネマを取り上げていくつもりです。また、反健常主義(反エイブリズム)を意識している作品にも関心があります。

健常主義は、私を含め、多くの人々の心の中で当然のことのように受け止められていますが、身体・精神のどちらにせよ「健常」でない人のほうが実は多いのです。加齢もそのひとつでしょう。歳をとると耳が遠くなり、目や歯も悪くなり、できないことがたくさん出てきます。

健常主義が当然とされる社会では、「健常」でない人は社会の周縁へと追われていきます。しかし、それは幸せな社会でしょうか? 映画はこういった問題を提起することができるメディアだと思います。(聞き手 田・涼)

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