文化

映画評論 Season2 番外編 2年に1度のドキュメンタリー映画の祭典 山形国際ドキュメンタリー映画祭2025 概観

2025.11.16

【寄稿】ミツヨ・ワダ・マルシアーノ 文学研究科教授

山形は京都からかなり遠く、10月に開催されることもあって学期中にYamagata International Documentary Film Festival(YIDFF)まで出かけて行くのは映画研究者とその学生に限られるかもしれない。だからこそ今回は、世界に名声を博す映画祭について読者の注意を喚起したい。

YIDFFの歴史


本映画祭は、1989年に山形市施行百周年記念事業として、行政と市民とが共同で運営を始めた、アジアで初のドキュメンタリー映画祭である。当時、山形県上山市で映画制作を続けていた小川紳介監督が映画祭開催に深く関わっている。残念ながら小川は1992年に病死するが、彼が作り上げた映画祭のスタイル——作品上映やコンペティションだけでなく、映画人と観客との交流や対話に重きを置く——は、その後も長く継承され続けている。奇数年に開かれる映画祭には世界中から多くの参加者が訪れ、その数は2万2千人を超えると言われている。〔1〕いつもは静かな山形市内が、映画祭が行われる10月初旬の1週間はお祭り騒ぎの雰囲気を呈する。

今年の目玉


映画祭の開催期間は通常1週間、4カ所の上映会場(山形市中央公民館、山形市民会館、フォーラム山形、やまがたクリエイティブシティセンターQ1)にある7つのスクリーンにて、朝10時から夜遅くまで連日作品が上映される。参加者は全ての映画を見ることは不可能であり、その日1日、何を見るかをカタログを読んで戦略的に選択しなくてはならない。

コンペティションを別にすると、今年の目玉は「アメリカン・ダイレクト・シネマ/DC」であり、また「パレスティナ——その土地の記憶/PL」であった。前者のプログラムのコーディネーターを務めたのはドキュメンタリー映画の研究者マーク・ノネスであり、DCプログラムは、1960年代の作品を中心に、1945年から83年までの幅広い作品群を紹介した。

筆者はパレスティナに関する作品は見送ってしまった一方、「アジア千波万波」というアジア諸国からの新しい作品を紹介するプログラムの、アフガニスタンの女性問題に取り組んだ2つの作品に目を引かれた。マスメディアを騒がせているロシアのウクライナ侵攻、そしてガザ・イスラエル紛争のため、2021年に復権したタリバン(「学生たち」を意味するイスラム主義組織)から甚大な性差別被害を受けるアフガニスタンの女性達については、少なくとも日本ではほとんどニュースで報道されない。そういったメディア環境の中、『撃たれた自由の声を撮れ/Shot the Voice of Freedom』(2024、ザイナブ・エンテザール監督)は、高等教育を禁止された女性達の絶望的な家父長制に対する抵抗を表現し、『ハワの手習い/Writing Hawa』(2024、ナジーバ・ヌーリ監督)は、13歳で結婚をしいられた母・ハワが50歳を超えて読み書きを習い始め、文盲から脱出する様子を、娘(監督自身)が撮影している。本作品は、映画祭の栄誉ある「市民賞」を獲得した。カメラが、そして映画祭自体が、観客に遠い世界への視野を与える、そういった瞬間を体感する思いだった。

一番心に残った作品


「インターナショナル・コンペティション」に出品された『日泰食堂/Another Home』(2024、フランキー・シン監督)が心に残った。香港の「長州」という名の離島にある食堂が舞台になったこの作品は、2019年から20年にかけての香港民主化デモを背景にしている。この食堂に常時出入りしているレズビアン(通称・ファティ)をカメラが追う。彼女と食堂仲間との会話や、民主化デモを共に歩む姿を通して、香港の切ないほどの政治的な行き詰まりが映像の中に体現される。シン監督は長年台湾で映画制作を学び、そして映画作家として現在活躍しているが、彼自身が香港・長州の出身で、日泰食堂に頻繁に通っていた若者たちの一人だったことがインタビューで明らかになった時、作品に現れる親密性の由来が解けた思いがした。

残念だった一作


今年のYIDFFでは、京都大学吉田寮も登場した。『対話のゆくえ京都大学吉田寮(山形Version)』(2025、藤川佳三監督)がその作品だ。吉田寮と大学をめぐる問題に関しては、ここで改めて説明はしない。監督は、この問題が起こった2017年以来、長期に渡ってこの作品を作り続けてきたようだ。問題なのは、YIDFFでの本作品の上映が1回切りだったため、長蛇の列ができ、結局入場を断られた観客が多かったことである。筆者は「インダストリー・パス」を購入して参加していたのだが、その場合、プレス・ルームに設置された5台のコンピューターで、見逃してしまった作品を見ることができる。だがどうしてなのか本作品1作のみが、プレス・ルームでの試写不可という注がつけられており、筆者は結局見ることができなかった。本作のタイトルをよく見ると「(山形Version)」という括弧書きがあることに気がつく。制作者の、この作品をむしろ多くの人々に見せたくない、あるいは何らかの理由で見せられないという意思表示を感じる。事態の真相はいまだ掴めていないが、京都大学新聞にこの作品の評論を書けないことは、いかにも残念だと未だに心残りである。〔2〕

次回のYIDFFは、再来年の10月である。山形は遠い、しかし本映画祭は掛け値無しに参加する価値がある映画祭だと思う。山形の名物「肉そば」や美しい月山もあなたの来祭を待っているに違いない。

〔1〕「映画祭について」『山形国際ドキュメンタリー映画祭HP』
〔2〕映画祭公式ガイド[スプートニク]に、はアーロン・ジェロー (日本映画研究)が本作品に感想を寄せているので参照してほしい。アーロン・ジェロー「学生寮と民主的な社会の営み——『対話のゆくえ 京都大学吉田寮』」『映画祭公式ガイド[スプートニク]SPUTNIK YIDFF Reader 2025』No.4(10月12日)11-12頁。

関連記事