企画

京都大学の建物Vol.2 文学部東館(本部構内) 洒落た意匠と解体問題の不遇

2023.02.16

京都大学の建物Vol.2 文学部東館(本部構内) 洒落た意匠と解体問題の不遇

東南隅から見た文学部東館の増築部

「京都大学の建物」は、京大構内の建物に焦点をあて、その特徴や来歴を紹介する企画である。第二回となる今回は、本部構内の文学部東館を取り上げる。

東館は、文学部の第二号館として建設され、文学部の講義室などが入っていたが、取り壊し案が浮上したことから、機能のほとんどが他館に移転した。計画は結局進展せず、現在まで残された建物には文学部自治会学友会の施設や図書館などがあるものの、多くの教室は閉鎖されうら寂しい雰囲気が漂っている。本稿では、まず建築について簡単に紹介したのち、解体問題に翻弄された同館の歴史について整理する。(汐)


目次

建築の概要
解体問題
文学研図書館雑誌閲覧室 総5号館に移転へ3月中旬から閉室 開館時刻繰下げも
コラム自主管理空間の一つ「文学部学生控室」


文学部東館 (旧第二号館)
建築:1936(昭和11)年9月
設計:大倉三郎
構造:RC造3階建

増築部(=写真)
建築:1965(昭和40)年3月
構造:RC造4階建

図=本部構内
❶ 文学部東館
❷ 工学部4号館(現総合研究2号館)
❸ 学生部建物(現教育推進・学生支援部棟)
❹ 総合研究5号館



中庭から見た西翼。壁色の違う4階は戦後の増築



目次へ戻る

建築の概要


正門から本部構内に入り、時計台の右手を北へ向かうと、中央食堂の向こうに聳える4階建ての校舎が文学部東館だ。南側から見ると褪色したコンクリートが露出しやや無機質な印象を受けるが、こちらは高度成長期、1965年に増築された増築部だ。36年に文学部第二号館として完成した西翼は、法経済学部の校舎との間につづく細い道に面しており、明るいタイル張りの外装は他の面とは全く違う風情である。

設計は大倉三郎。1920年設置の建築学科の1期生として23年に京都帝国大学を卒業、28年からは京都帝大の建築を担う営繕部に勤務し、花山天文台や法経本館などの設計に携わった。

出身地の京都と縁が深い建築家で、龍谷大の大宮図書館(36年)や同志社大の明徳館(54年)など、京大構内にとどまらず市内に複数の作品が残るほか、63年から66年にかけては京都工芸繊維大の学長も務めている。

既存部と増築部のコントラスト


戦前建築の西翼では豊かな意匠が目立つ。入口上部に出っ張った庇は法経本館と同じもの。建物は鉄筋コンクリート造だが、外装に明るい茶系のタイルをモザイク状に貼っているため、軽快でモダンな印象を与える。西洋古典文学・言語学を専門とした松平千秋名誉教授(1979年退官)はこの校舎で学んだ一人だが、83年の『京大広報』に寄せた随筆『第一教室と松蝉』のなかで「当時はまだくすんだ赤煉瓦の建物が多かったから,色彩も明るくしかも新築早々の文学部の建物は、非常に新鮮でハイカラに見えた」と学生時代を振り返っている。

歩廊の柱頭に配されたタイル



建物の「ハイカラ」さは細部の意匠にまで及ぶ。中庭へと続く歩廊の4本の柱を見上げると、色とりどりの模様を配したタイルが飾りに添えられているのに気がつく。今は枯れてしまっているが、構内では珍しい噴水も中庭にあってさながら西洋の学園の風情だ。

当時の京大では珍しい洒落た外観は学生の目にも面白かったのであろう、先に引いた松平氏の随筆には「恐らく当時は全学でも特に目立った一劃」とも書いてあった。

今なお色褪せない先進的な意匠はもちろん、新校舎として建てられた当初は収容力も魅力の一つだった。竣成当時の本紙記事を見ると、築30年を超える木造校舎に並ぶ狭い教室に文学部学生は「不遇をかこつてゐた」とあり、新校舎の広い教室が学生に歓迎されていた様子がうかがえる。

中庭を取り囲む残りの3面と、西翼の4階部分は65年3月の増築で、校舎隅以外の壁面のタイル装飾が省略された。西翼の3階と4階の間にある既存部と増築部の境目では、階段の手すりが石から木に変わっており、内装・外装ともに既存部とくらべて意匠が簡素に見えてしまう。既存部の意匠が凝っているぶん、増築部のコストカット感が悪目立ちしてしまった形で、増築部からすれば少し理不尽な話かもしれない。増築部にはサークルボックスの入る地階が存在し、文学部学友会はここを活動場所として使用している。

既存部(3階)と増築部(4階)の境目。階段をのぼると、手すりが石から木に変わる



目次へ戻る

解体問題


2002 東館取り壊し案明らかに桂キャンパス新設を受け浮上


戦後の施設拡張に伴うキャンパスの過密化への対策として、1999年に桂御陵坂へのキャンパス新設案が示された。副学長の確約無視や学生への情報公開の欠如などをめぐり学生と当局が対立、計画がいったん撤回されるなど紆余曲折はあったものの、同年中に計画地に工学研究科および情報学研究科を移転するという、原案に近い整備方針が決定し、2003年にかけて桂キャンパスが整備されることになる。

02年6月、研究科の移転に伴い空きが生じる吉田キャンパスの再配置計画の中で、文学部東館の取り壊しが検討されていることが明らかになった。当時すでに既存部は築60年以上が経過し、耐用年数を超えていたことが主な理由だった。東館の機能を百万遍交差点に近い北西の工学部4号館(=上図❷・現在の総合研究2号館)に移し、東館の跡地を緑地化することで本部構内の過密解消を目指したのだ。

ただ、取り壊しの実現可能性には疑問の余地があった。桂キャンパスには工学研究科と情報学研究科が段階的に移る計画であったが、再配置計画がつくられた時点で移転時期が具体的に決定していたのはわずか2施設で、本部構内にスペースを確保できる目途は立っていなかった。桂キャンパスの整備ペースは予算配分に大きく左右されることから、計画の先行きは不透明で、06年冬まで東館の移転・解体計画は沈黙を守ることとなる。だが、再配置計画自体が葬り去られたわけではなく、後述する07年の移転問題で大きな混乱を引き起こすことになる。この「沈黙」はいわば「嵐の前の静けさ」だったのである。

2007 突然再浮上した移転問題思わぬ予算に踊らされた現場と学生


06年11月ごろから、文学部界隈で、「東館が移転するのではないか」という噂が流れはじめた。噂について調べる学友会は学生部や教務、文学部第一教員委などに問い合わせたが詳細な回答は得られず、翌年3月8日の文学部長の回答でようやく移転が判明した。移転が行われるのは5月。この時点で既に移転は2か月先に迫っていた。

突然の移転の背景には、06年度の補正予算があった。下位項目にも予算が下りたため、使用が認められる07年度中に工事の着工にこぎつけたいという思惑が大学側に存在した。このため大学の施設工事などを管轄する施設・環境部は着工に向けた調整に追われ、移転先となる工学部4号館(=上図❷)の改修に関しても、方針が二転三転したという。

この一件をめぐり、移転の決定が特設の合同委員会で行われ、学生や教授会が決定の場から排除されたことと、移転に関する連絡が十分になされなかったことが問題視された。特に前者は当時の学生自治・学部自治の前提を覆すものであり、学生の声を届ける場として学部当局が機能しないことを意味した。また、文学部学生控室やサークルボックスといった自主管理空間の確保も争点となった。

5月には東館から工学部4号館に、講義室・演習室・研究室が移転した。移転先にはラウンジが設けられるなど、学生向けスペースに改善がみられたものの、移転の直前まで学生に情報が公開されず、当事者の関与しない形で移転が決定されたことへの批判は残った。

同年6月から、改修工事を控えた農学部が「仮移転先」として09年までの2年間東館を使用することになり、東館移転問題は一応の落ち着きを見せた。確保が争点となった文学部学生控室やサークルボックスは引き続き東館におかれたため、自主管理空間はひとまず残された。

近年の動向


2007年5月には『重点事業アクションプラン』の中で、大学が09年にかけて東館の「機能改修・有効活用」に積極的に取り組む方針が示され、取り壊し案の撤回が示唆されたが、09年に農学部の「仮移転」を終えた後、東館がどのような形態で利用されるかは依然不透明であった。

6月には時計台西側にある赤煉瓦の学生部建物(=右上図❸・現在の教育推進・学生支援部棟)の耐震工事に伴い、今度は学生課と学生センターが10年4月まで東館に一時移ることになった。「機能改修・有効活用」の方針とは裏腹に、「工事の時の一時的な引っ越し先」として使いまわされた形である。

10月には文学研究科図書館の収容能力の不足を理由に、学術雑誌を収める「学術雑誌閲覧室」が開設された。1階から3階にかけて大規模な書庫が広がり、3階の入口から階段を下りて書庫内に入るのが特徴だ。今年2月時点ではまだ東館に残っているが、移転する方針が先月発表されている(後述)。

東館の取り壊しに関して、学友会によると近年「大学に委託されたと思われる業者が東館から荷物を運び出す」など、建て替えを窺わせるような動きもあったが、昨年末の時点で学友会に対し学部教務は「(建て替えの予定は)今のところない」と回答したという。

2009年までに大学が取り組むとした東館の「機能改修・有効活用」は十分に達成されたとは言えず、空き教室の目立つ建物は整備が行き届いているようには見えない。「安全性のため」閉鎖された教室の張り紙にあった施設部の番号に問い合わせてみたが、「直近で貼り紙をしたという人がおらず」記載されている安全性が何を指すかは把握していない、との答えだった。

東館の整備方針について、大学は本紙の取材に対し「現在検討中」と回答し、建て替えや解体があるともないとも明言していない。20年以上前から老朽化が指摘されていることと、このたび東館から転出することが発表された学術雑誌閲覧室は東館の面積の大きな部分を占めることを踏まえても、近く建物に関して改修や建て替え、解体といった動きがあると予想することは、憶測の域を出ないとしても不合理ではないだろう。

仮に文学部東館が何らかの整備を受ける場合、一番の問題となるのは学生控室や地下のボックスといった自主管理空間の維持である。学友会は大学に対して建て替えが行われる場合、「学生との交渉」を持つよう求め、現在東館にある自主管理空間が建て替え後も担保されるかどうか質問したが、いずれも「芳しい回答を得られていない」という。東館の整備に関しては自主管理の一方的な剥奪に結びつかないよう、意思決定に当事者が参加すること、大学側が整備方針について情報を開示することが望まれる。

教室の閉鎖を知らせる施設部の張り紙



東館は今後どうなるのか


取り壊し案や「機能改修・有効活用」の方針に振り回され、校舎としての機能を奪われたまま放置された文学部東館。新築時に斬新な意匠で華やかな登場を果たしたのとは対照的に、近年は大学や他部局の事情に翻弄されて不遇が著しい。建物には一定の建築的価値があるのみならず、(放置の結果とはいえ)90年代のビラが残る内部はひと昔前の大学の雰囲気を残す貴重な空間として魅力に溢れている。今後の利活用を考える場合、建築の特色や、自主管理空間の残る東館の事情を活かす形を考えることもできるだろう。

「検討」されている整備の方向性がどのようなものになるかは明らかでないが、学生や教員など当事者の参加がより良い整備を実現することは疑いない。今後とも東館をめぐる動向を注視していきたい。

20年以上前のビラが貼られたままになっている廊下



目次へ戻る

文学研図書館雑誌閲覧室 総5号館に移転へ3月中旬から閉室 開館時刻繰下げも


文学研究科図書館学術雑誌閲覧室が、現在地の文学部東館から約180メートル北東の総合研究5号館(=右上図❹)に移転することになった。同室が1月18日付で発表した。閲覧室は移転作業のため3月中旬から利用が停止されるほか、移転後の開室時間も繰り下げられる予定だ。

学術雑誌閲覧室は、文学研究科図書館が所蔵する図書の増加により「新館書庫の収容能力を超えた」ため、2009年10月に学術雑誌約10万点を移したことから、文学部東館に開設された。同室では現在、文学研図書館の学術雑誌約13万冊をすべて収容している。

総合研究5号館への移転について文学研図書館は「建築系図書室が桂キャンパスと吉田キャンパスの工学北図書室へ移転することになった 」ためとした。建築系図書室の移転後、跡地利用に関する検討の場に関係者が参加していたという。一方、東館の解体との関連については、本紙の取材に対し「東館の今後の方向性は『検討中』と聞いている」と回答するにとどめた。

移転作業に伴い、3月15日から6月30日までの期間、閲覧室が閉室となる。この期間中、東館で保管している図書の、閲覧・複写の利用が出来なくなるほか、移転の状況に応じて、文学部校舎地下にある文学研究科図書館が閉室する場合もある見込みだ。

さらに、総合研究5号館への移転完了後、閲覧室の開室時刻が現行の9時から10時に繰り下げられる予定。繰り下げについて、図書館は「職員の勤務体制の見直し」に伴うものだとしている。

目次へ戻る

コラム 自主管理空間の一つ「文学部学生控室」


西翼の一階には文学部学生控室(通称・文ピカ)が存在する。ここは主に課外活動の場所として使用される自主管理空間で、毎月第4火曜日に学友会が使用者会議を開いている。会議では控え室の利用報告や予約が行われるほか、控室に関する問題への対処法が協議されている。使用者会議に出席し報告と予約を行えば、文学部学生でなくても利用することが可能だ。

原則複数の団体が同時に利用するが、希望すれば占有することも可能。ボックスをもたない団体の活動に使われることもあり、近年利用は増加傾向にあるという。

目次へ戻る

関連記事