インタビュー

銅板に描かれた絵画 廃れた流行辿る 研究の現在地VOL.4 京都大学大学院文学研究科 平川 佳世 教授(西洋美術史)

2022.12.01

銅板に描かれた絵画 廃れた流行辿る 研究の現在地VOL.4 京都大学大学院文学研究科  平川 佳世 教授(西洋美術史)

平川佳世(ひらかわ・かよ) 京都大学大学院文学研究科 教授 1991年、京都大学文学部史学科卒業(考古学)。レコード会社勤務を経て、1995年、京都大学文学部哲学科卒業(美学美術史学)。2000年、京都大学文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。2009年より京都大学文学研究科准教授、2017年より現職。

諸研究の現在のすがたを知ることは、ときに自分の興味や関心を発見する機会にもなるはずだ。

今回は西洋美術史の平川佳世教授を訪れた。それぞれの時代や地域に現れた芸術様式は、人々の意識にのぼらない価値観や認識を映し出す。一度は人々の心をつかみながらも消えていった過去の芸術潮流を解き明かそうとする研究に迫る。(=平川教授の研究室にて。田・扇)

目次

石に、銅に、描く画家たちの飽くなき探究
就職後、研究の道へ「一度きりの人生、知らないことを」
ネットに画像溢れる今本物を見る価値は

石に、銅に、描く画家たちの飽くなき探究


ご研究について教えてください。

(平川教授)美術史は基本的に言語圏で専門が分かれます。私は15世紀から17世紀初頭の、ドイツ語圏を中心とする北方ヨーロッパの美術、そしてイタリア美術との交流史を専門としています。

北方ヨーロッパとは、ヨーロッパ大陸のうちアルプス山脈以北の、現在のドイツ・ベルギー・オランダ・フランスなどを指します。当時はアルプスの南北で文化が明確にわかれていました。しかし、15世紀のルネサンスと言われる芸術運動のなかで、アルプスの南側であるイタリアで古代の彫刻作品などが多く発掘されると、アルプス以北の芸術家もそういったものに興味を持ち始めます。北方から多くの芸術家がイタリアを訪れ、反対に、イタリアの芸術家も北方の油彩画を学びに行きました。特にネーデルラントには、油彩技法に長けた芸術家が多かったのです。また、中世末期にネーデルラントを支配していたブルゴーニュ公国の宮廷は中世の文化の最先端だったので、イタリアの貴族が北方の芸術家を招いたり、彼らに作品を注文したりしたという事情もあります。このような時代に、どのような影響関係のなかで、画家達がどう競い合い、どんな面白い芸術家が現れたか、研究しています。

いま私が中心的に取り組んでいるのは、その交流のなかで生まれた、特殊な支持体(*1)に描かれた絵画です。絵画といえば、今日ではカンヴァス(画布)、あるいは古い時代なら木の板に描かれるのが一般的ですよね。というのも、16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ絵画は「板かカンヴァスに油彩」という定式ができあがったからです。しかし、実はこの定式が成立する過程で、他にいろいろな支持体と絵の具の組み合わせが試されました。たとえば、油絵の具を使って金属板や石板に描いてみたらどうだろうか、という試みです。あるいは、素焼きの瓦にフレスコ技法(*2)で描くことで、フレスコ画の質感を持ちながら携帯できる絵画がつくられました。これらの組み合わせは、「板やカンヴァスに油彩」という定式が整う過程で淘汰されていきました。

*1 支持体 芸術作品の物質的基盤のこと。絵画では一般に、描かれる土台を指す。
*2 フレスコ技法 壁画を描く際の代表的技法。壁に塗った漆喰が乾く前に顔料で描く。


また、現在では額縁に入れて壁に飾る絵画が一般的ですが、当時はその形状も様々でした。二枚の絵画が繋がって開閉できるようになっているものもあれば、祭壇の上に安定して置くために、厚さ30センチの石板に描かれた油彩画もあります。また、携帯用の小さな絵画を制作するときは、板やカンヴァスは反ってしまうし、分厚いので格好が悪い。そこで薄く仕立てられる金属板に描きました。このように、用途や目的に応じて様々な試行錯誤があったのですが、現在では絵画の形状は額縁画に収斂し、そのような流行は廃れてしまいました。

これらの特殊絵画のなかでも、銅の板に描かれた油彩画(銅板油彩画)を特に研究しています。銅板油彩画という実験的な試みがどのような状況の中で始まったのか、あるいは誰がやり始めたか。その理由や文化的な文脈を探っています。確認できる最古の史料では、1530年代に製作されたことがわかっており、現存する最古の銅板油彩画は1560年代に制作されたものです。その後、16世紀後半から17世紀前半まで急速に流行しましたが、そのブームはあっという間に終わりました。特殊な趣味や目的に合致して流行し、その趣味が無くなって流行がしぼんだのです。どういった時代の要請によってこれだけ流行したか、なぜ流行が終わったか、ということを解き明かしたいです。


銅板油彩画『トロイの炎上』アダム・エルスハイマー作(1600年頃) Adam Elsheimer, Der Brand von Troja, um 1600/01, Bayerische Staatsgemäldesammlungen – Alte Pinakothek München, URL: https://www.sammlung.pinakothek.de/en/artwork/2mxqDb748b (Last updated on 24.05.2022)




――ヨーロッパの絵画がカンヴァス画に収斂したのはなぜでしょうか?

ひとつには汎用性が要因だと思います。つまり、カンヴァス画は使いやすさ・描きやすさに優れている。一方で、銅の板に絵を描くのは高い技術が必要です。表面がつるつるしているので、筆のタッチがダイレクトに表現に出てしまいます。なので、筆が滑ってしまうような技量の劣る画家では上手く描けません。

また、絵を注文する人にとっても、カンヴァス画の方が一般に需要が大きいでしょう。銅板油彩画は小さく、ものすごく精緻なものですが、同じ値段なら比較的大きなカンヴァス画の方が飾り映えするので需要があります。また、画布に比べ銅板は高価なので、画家にとっても費用対効果が高いと言えます。銅板は大型絵画には向かないですし重いので、制約が多いですね。結果として様々な用途に向いていて使いやすい木板やカンヴァスが生き残ったのです。

――銅板油彩画が生まれた背景には、どのような需要があったのでしょうか。

銅板油彩画が生まれた当時、パラゴーネと呼ばれる、諸芸術の優劣論争が流行っていました。パラゴーネとは、イタリア語で「比較」の意味です。このなかで、彫刻と絵画のどちらが芸術として優れているか、という論争がありました。彫刻擁護派は、彫刻は大理石やブロンズでできており耐久性に優れているが、絵画はカンヴァスや木板なので脆弱で劣ると主張しました。絵画擁護派も、絵画の物質的な脆弱性を実感していたと思います。というのも、古代彫刻は多く残っていましたが、古代絵画はほとんど見つからなかったのです。当時の人にとって、芸術制作の大きな目的は後世に名を残すことだったので、自分の描いた絵がいずれ失われるだろうと考えると切なかったはずです。そんななか、金属板油彩画と石板油彩画は、絵画擁護派の期待を一身に背負う形でほぼ同時期に登場します。絵画擁護派は絵画が永遠性を獲得した、と喜びました。

また、銅板油彩画の特徴は、当時の宗教画に求められる在り方に合致していました。そのため、キリスト教宣教師が海外宣教に銅板油彩画を持って行きました。日本にも、欧州に派遣された使節団が土産として持ち帰ったものが残っています。木の板は、湿気で腐ったり、虫に食われたりしますが、銅板はもちが良く、携帯に向いていますから。また、いつ帰れるかわからない決死の長旅に持って行くのに、絵画の素材自体がしっかりしているということはシンボリックな意味でも頼もしいです。たとえば、オリンピックのメダルも紙だったらいまいちですよね?人間は素材のもつ堅牢性に象徴的な意味を見出します。

また、銅板に上手に描くとつるっとして筆の跡がでません。人間である画家が描いたことを感じさせないという点でも、布教に用いるのに適したと思います。

他にも様々な目的で特殊な支持体の絵画が求められました。たとえばスレート(*3)は、硯のような光沢のない素材です。祭壇画を見るとき、絵画表面が反射すると鬱陶しいので、画家たちは反射を嫌いました。石板はマットな質感なので絵の具の反射を押さえることができ、大きな祭壇画に好まれました。

石板の場合、最初はスレートという、瓦のような素材を支持体として、その全面に油絵の具を塗る技法が登場します。これは、支持体が石であることすらよく見ないとわかりません。しかし次第に大理石やアラバスター(*4)を使って、素材のもつ石目模様を絵柄に活用するものも出てきます。これらは、自然の美しさと人間の技術の競争という意味合いでつくられたのだと思います。また、アラバスターやラピスラズリ(*5)といった高価な素材に絵を描かせるということ自体が非常に豪華な趣味だとみなされました。他にも、半透明の鉱物であるアラバスターの表裏両側に描いているものがあります。これはスタンドのようなものに置いて展示されていたことが財産目録からわかっていて、光にかざして見たのだろうと推測できます。

*3 スレート 粘板岩。
*4 アラバスター 白色の鉱物。
*5 ラピスラズリ 青色の鉱物。和名は瑠璃。


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就職後、研究の道へ「一度きりの人生、知らないことを」


――西洋美術史の研究を志したきっかけを教えてください。

学部生のころは美術がよくわかりませんでした。京大で考古学を専攻し、学部を卒業後に就職しましたが、うまくいかず、会社では出世できないなと。すごく落ち込み、人生のどん底でした。そこでジェネラリストではなく、専門領域をもつスペシャリストとして生きていきたいと思うようになりました。その頃イタリアに旅行して古代彫刻や絵画を見たんですが、何が描かれているかわからなかった。会社に勤めて一年後くらいに、一度きりの人生なら全く知らないことを勉強しようと思いたちました。大学院に行けるだけのお金をためて会社を辞め、京大の美学美術史学専攻に学士入学しました。憧れを追いかけたいという一心で西洋美術を研究しています。

――日本で西洋美術を研究する意義とはなんでしょうか。

西欧の研究者に比べると、語学や文化の面で不利だとは思います。西欧の研究者はラテン語やギリシャ語を、日本人が古文漢文を学ぶように習得しますし、英語は出来て当たり前です。一方で日本人は古代語を大学で学び始めるので、いくら努力しても時間が足りないというのが正直なところです。そうはいっても、ヨーロッパの文化も断絶していて、現代のヨーロッパの人々も学び直しているので、日本にいてもその点は変わりません。今はオンラインで会議もできるし、インターネットに英語で論文を発表できます。その点では非常に便利になりました。

自国人しかその国の美術を研究しないのではつまらないですし、異文化の人が互いの美術を研究することは相互理解に繋がります。美術というのは、その国の人が美しいと思って大切にしてきたものなので、その美しさがわかれば、国同士が争う際にもどこかでブレーキがかかると思います。そういうことを広めていければ嬉しいですね。私が研究して、西洋美術史をやりたいという学生に教え、さらにその教え子が種を蒔いていけばいいなと思っています。

――これから研究したいテーマを教えてください。

現在取り組んでいる銅板油彩画の研究が終わったら、次の研究は、王道に戻って物語画を扱いたいと思っています。物語画は神話や聖書場面を題材とするもので、西洋の絵画ジャンルでは最高の位置にあります。物語画はイタリアの芸術理論家によって確立され、フランス・アカデミーに流れていきましたが、私は北方ヨーロッパにもこのメインストリームとは異なった物語画の流れがあったと考えています。なので、次の研究ではヤン・ブリューゲルを中心に非イタリアの物語画をテーマにしたいですね。王道のテーマにひねりを加えたものを、と。定年後は、高校生や大学1年生が読んで西洋美術史が面白そう、やりたい、と思えるような本を書きたいです。

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ネットに画像溢れる今本物を見る価値は


――私たちが美術作品に触れる場として最も身近なのは美術館です。どの美術展に行くか、どういう基準で選べばよいでしょうか。

基本的には気になるのを見た方がよいと思います。個人の画家に焦点を当てたものは面白いですね。その画家がどう育っていくのかよくわかるからです。それから、海外のひとつの美術館のコレクションを展示する美術館展もよいですが、テーマにそって学芸員さんが複数の美術館から借りてきて構成したものは見応えがあります。何がよいかというよりは、とにかくたくさんの美術展に行くことをおすすめします。たくさん見ると、自分の趣味がわかりますから。

――美術展はどのように見たら面白いですか。

まずはキャプションを読まずに絵だけを見ましょう。キャプションを読むとそこに書いてあるものを絵のなかに探してしまいます。文字情報に引っぱられ、絵そのものを見ることができなくなるともったいないですね。また、一周したら、気に入った絵だけをもう一回見ていくといいですね。

企画展に行きがちですが、常設展もおすすめです。コレクションがしっかりしている美術館に通って、なじみの美術館をつくるといいですね。その館のコレクションを全部覚えるとひとつの基準ができ、他の展示を見るときにも役立ちます。

好みは人それぞれなので、自分の趣味をしっかり持つべきです。自分が好きな絵のタイプを探すと、美術展を見るのが面白くなると思います。色彩が鮮やかな画家が好きなのか、あるいは、構成がしっかりした画家が好きなのか。

――現在は、美術館の所蔵品の画像がインターネットで簡単に見られます。あえて美術展に足を運び、本物を見る意義とはなんでしょうか。

今のインターネット上の情報量の多さは活用すべきだと思います。特に海外の美術館は、著作権の切れた作品の高画質画像を無料で提供しており、肉眼で見えないような絵の具のひび割れが見えることもあります。また、画家の名前を検索するとその作品を一覧できます。これは研究ツールとして素晴らしいですし、利用すべきです。

しかし一方で、本物の絵画を見ないとわからないこともあります。絵画は二次元造形だと考えがちですが、三次元性があります。絵の具が盛り上がっていたり、あるいはあえて盛り上がらせていなかったりするからです。一方でインターネットの画像は二次元です。美術展で絵画を実際に見て、こうした三次元性を体験するのは大切だと思います。

また、美術展では絵の大きさを感じることができます。実際に見たら絵画が思ったより小さかったり、大きかったりして驚くこともあります。絵画がその場を支配する雰囲気というのもあるので、それを感じるということも大事にしたいです。(了)

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