インタビュー

受験生号インタビュー特集 研究の現在地 VOL.1 小説から「人間」を見る イギリス文学 廣野由美子教授

2022.02.16

進みたい大学や学部を選んで入試に臨むのは大きな決断だ。そして入学してみると、大学での学びもまた選択の連続である。専攻は?研究室は?卒論のテーマは何にしたらよいだろう?

ひとつの学部・学科のなかにも多くの研究室があり、様々な研究が行われている。いまどのような研究が進められているのか、研究者はどんなことに興味を持っているのか。諸研究の現在のすがたを知ることは、ときに自分の興味や関心を発見する機会にもなるはずだ。現在取り組んでいる研究や今後の展望について、二人の研究者に話を伺った。(編集部)

(関連記事:受験生号インタビュー特集 研究の現在地 VOL.2 遺伝子から動物を知る 分子動物生態学 村山美穂教授(2022.02.16)

気ままな読書は楽しいものだ。だが自分ひとりで物語に向き合っていると、それをどう味わうべきか迷いを覚えることはないだろうか。英文学を研究する廣野由美子教授が、読み手が抱く素朴な疑問に向き合ってくれた。イギリス小説に描かれた人の生き様を見つめる氏は、小説とその研究をどう捉えているのだろうか。(凡・桃)

hirono.png 廣野教授(研究室にて)

廣野由美子(ひろの・ゆみこ)人間・環境学研究科教授 1982年、京都大学文学部文学科卒業(独文学専攻)。英文学に転向後、神戸大学大学院文化学研究科博士課程単位取得退学。学術博士。現在京都大学大学院人間・環境学研究科教授。メアリー・シェリー、ジェイン・オースティンなど19世紀イギリス小説を研究。著書に『小説読解入門—「ミドルマーチ」教養講義』(中公新書)、『批評理論入門—「フランケンシュタイン」解剖講義』(中公新書)など多数。訳書にジョージ・エリオット『ミドルマーチ』全4巻(光文社古典新訳文庫)など。


『ミドルマーチ』全4巻
ジョージ・エリオット(著/文)
廣野由美子(翻訳)
光文社 2019年1月より発行


目次

    生きる力を育む文学
    作家の言葉に触れる
    「人間」を描く小説
    「やりたいことがたくさん」


生きる力を育む文学

――文学作品を読んでいると、漫然と読んでいるだけでいいのかと不安になることがあります。
「あるひとつの正しい読み方で読まなければならないのでは」と心配する必要はありません。文学作品と自分との関係は一対一の対決で、読み方は自由です。

ただ、それは読み方の基礎があってこその自由で、読む力が弱いとどう読むべきか迷いが生まれます。そういうとき私たち研究者が示したことがヒントになったり刺激になったりするかもしれません。自分で読む力をつけることが肝心ですが、その役に立つことができたらいいなと思っています。

――読む力とは具体的にどのような力で、どのようにすれば身につくのでしょうか。
例えば、物語を読んでいて、ある場面で心動かされるとそこから先に進めず繰り返し読んでしまうことがありますよね。そうした際に、なぜ自分は感動したのかという理由や、小説がいかに書かれているかを分析することで、表面的な読みに留まらず作品を深く味わうことができます。

文学、特に小説は人間の生き方を具体的に例証するもので、社会学や心理学をはじめ人間研究に関わる諸学問を結びつける可能性を持っています。自分が発見し感動した読み方を大切にする一方で、そうした文学の可能性、小説に埋まっている宝に気づける読み方ができるといいと思います。

――諸学問をつなぐことこそが、先生が見出す文学研究の意義ですか。
もちろん文学自体の研究を深めることが第一の目的であって、お節介に他の学問をつなぐために研究しているわけではありません。文学研究なんて何の役に立つのかとよく言われますし、その考え方もある程度理解できます。お金にはならないし、理系の学問のように科学技術の発展に貢献することもできませんからね。

ですが、いざというときに土台となる力を養う上で文学は重要です。文学は人間の具体的な姿を描いていますから、理論では表せない複雑で陰影のあることも表現できます。聖書でも、イエスは例え話を使ってキリスト教とは何かを伝えていますよね。比喩としての物語は身近でわかりやすい具体例として私たちに迫って来る。これこそが物語の力です。

そして物語の中には、人間にとってお金とは何かという経済学的な話や、社会で生きるとはどういうことかといった社会学的な話が出てきて、色々な学問が理論的に言っていることが切実に腑に落ちる。こうして文学は初めて真の教養になり、土台となる力を養う可能性を持つわけです。

――土台となる力とは、具体的にどんな力でしょうか。
例えば今の社会はコロナ禍で類のない状況に置かれています。さらにひどい状況としては戦争がありますが、そうした非常時には医学や科学の力では対処しきれないことがあるはずです。

窮地に立たされた時に必要となるのが、人間が持つ生きる力です。そして文学はそれを育てる力を持っています。物語を読むことで、いろんな人の目を通して今の自分とは違う場所、時間、立場を経験して世界を広げていくことができるからです。

――先生が、それを強く実感した読書体験はありますか。
よく聞かれますが、一冊には絞れませんね。私は小・中学生のころにものすごくたくさん文学作品を読みました。それが自分の基本的な力になっていると思いますし、今でもそれを実感します。本の世界に入っていくことが何よりも楽しくて、いいことかどうかはわかりませんけど、実生活よりも本の世界のほうがリアルに感じられる面もありました。

具体的にはモンゴメリの『赤毛のアン』シリーズとジーン・ポーターの『リンバロストの乙女』が特に好きでした。不遇な少女が自分の世界を切り開いていく話で、その姿は自分にとってもひとつのモデルになりましたから。

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作家の言葉に触れる

――やはり翻訳より原書を読むほうが有意義なのでしょうか。
子供の頃から日本文学より外国文学が好きだった私は、翻訳のおかげで文学の世界を知りました。だから翻訳には感謝しているし、その読書体験が原書でなかったから意味がないとは全く思いません。

ただ、原書で読むと翻訳の何倍もの読みが引き出せるんですよ。子供のころに簡約版で読んだ『ロビンソン・クルーソー』を、その後完訳、原書と読み進めてそれがわかりました。そこに描かれた人間の生き方が一つ一つの原語からにじみ出てくるというか。

また、最近ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』を翻訳してわかったのは、翻訳者によって訳し方が全く違うということです。もし翻訳を読んでつまらないと思っても、それは作品そのものではなく翻訳者の日本語の問題かもしれません。本を読むのは大変だからと映画で話の筋を追っただけで、原作について知った気になるのも間違いです。映画はあくまで監督の解釈の結果だと認識したうえで評価する必要があります。

作品を真に理解するためには原書を読むのが一番です。ただし翻訳は、外国文学と出会うきっかけになるという意味で大きな役割を持っています。読む側は翻訳と原書が違うのだと認識したうえで、翻訳の力を借りて世界を広げていけばいいと思います。

――翻訳ならではの味わいはありますか。
人によって「味わい」の定義は違うでしょうね。私は『ミドルマーチ』の翻訳の際、この難解な文章をスムーズに読めるようにすること、エリオットという作家の持ち味をストレートに伝えることを目指しました。その結果味わいがわかったと言ってもらえることもあるでしょうし、逆に味が抜けてしまったと見られることもあるでしょう。ひねりがある格調高い文章こそ味わいがあると思う人もいますから。いずれにせよ、原作者が持っている癖を忠実に伝えるのは難しいので、原作に勝るものはないという結論になってしまいます。

最初から最後まで原文で読まなくてもいいんですよ。翻訳で目に留まった部分だけでも原書で読んでみると、原作の雰囲気がかなりわかります。例えば半年限りの授業であっても、その間だけは原書と徹底的に向き合ってみる。苦労して本格的なものの一部だけでも覗いてみる、そんな経験は専門に関わらず、後になってすごく大切な記憶になるはずです。

――正直なところ、英語があまり得意ではないのですが。
実は私、もともと専攻はドイツ文学でした。大学に入ってからドイツ語を学んだので、単語を全く知らないわけですよ。専門の授業で1ページ予習するのに4時間も5時間もかかって、ものすごく苦しかった。

それに比べると英語はみんな相当勉強してきているから、一言一句全部辞書を引かなければわからないわけではないですよね。苦行のようにすぐ辞書を引いているとかえって読む喜びを削いでしまいますし、意味を推測しながらある程度読み進めて、あとで確認のために調べるようにするといいです。次第に辞書を引く苦痛を忘れるほど面白いところが出てきたり、よくわかると思う文章に出会って、ああ英語ってこんなに力強い文章表現ができるのかって思えたりして。それは本当に喜ばしいことで、苦労する価値があることだと思います。

――翻訳する作品をどのように選んでいますか。
まずは自分がとても好きな作品で、ぜひとも訳したいという気持ちが無ければ選びません。翻訳作業は苦しいから。ひとつの言葉には複数の訳の可能性がありますし、その言葉の背景にある意味も調べなければなりません。スムーズに読める日本語を目指せば、作家ではなく私自身の言葉になってしまうという葛藤もある。

その次は、翻訳が少ないとか、あるけれどその訳では不満だとか、切実な理由があるものに絞ります。これこそ最高だという訳になかなか出会えず、自分の訳を出したいけれども世の中が求めてないんじゃないかなと思うものもあります。そう考えると、読みたいのに翻訳がない、あるいは、翻訳がないために存在すら知られていないといった作品を翻訳した方が、役に立てるんじゃないかと。

『ミドルマーチ』を翻訳しようと思ったのは、すごく好きな作品なのに日本の人に読んでもらえないのが残念だったからです。世界では『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』に並ぶほど高く評価されているのに、日本ではあまり知られていません。私が最初に出会った訳は既に絶版になっていたし、格調高いけれど少し古めかしくて難解な文章だったので、読みやすいものを出したいと思っていました。

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「人間」を描く小説

――イギリス小説が持つ独自の魅力とはどんなものだと思いますか。
その魅力に気づいたきっかけはジェイン・オースティンの『高慢と偏見』との出会いでした。それまでは日常生活よりも広い世界での経験こそ文学的だと思っていたんですけど、この作品はものすごく狭い世界、家庭の中の日常が描かれています。それでいてとても鋭く、そして深く人間を描写していて、自分が追究したい小説はこれだと思いました。それでイギリス文学へ転向することにしたんです。

オースティンは辛辣な皮肉を用いながら人間を批判的に描きますが、一方で人間は愛すべきものだという信頼のようなものがあって、その両者のバランスがとれた独特の人間理解が感じられます。全部とは言えませんが、イギリス小説はそうした人間の描写の仕方に力を入れてきましたし、文学史の中でオースティンのような作家を高い地位に置いているわけです。

同じ英語で書かれていてもアメリカ文学は対照的です。日常的な世界よりもむしろ非日常の、絶壁に立たされたときにどうするのかといったところで人間を描こうとする面があります。イギリスから海を渡っていった人々が作った新しい文学ですからね。今までとは違うものを目指そうという傾向が見られます。

――オースティンなど文学史上で重要とされる作品に注目することで、イギリス小説の独自性を見出せるということでしょうか。
もう一つ注目したいのは、イギリス小説の出発点ですね。近代小説は18世紀はじめ、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』から始まりました。彼はセルカークという人が5年間無人島に置き去りにされ救助された実話をもとにして、28年間無人島で生活した人物ロビンソンの話をでっち上げ実話として発表したんです。日にちを忘れないため木にナイフで一日ずつ刻んでカレンダーにしたとか、ある時砂の上に人間の足跡を一個発見して、人食い人種から身を守る対策を立てたとか、ロビンソンがどう生きたのかひとつひとつ細部を「リアル」に描いています。その結果人間のありのままの姿を描くことになり、これこそが小説だとみなされるようになった。

オースティンやディケンズ、エリオット、ハーディなど、作家の性別や経験によっても小説世界の広さに差があり特色も違いますが、魂や神といった抽象的なテーマよりもむしろ人間の生き方や個人の性格を描き出すという伝統の上にある。そうしたイギリス小説の伝統的特色を抽出すると独自性が浮かび上がってきます。

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「やりたいことがたくさん」

――今後は児童文学に関する研究も視野に入れているとのことですが、どのように研究を進めていくおつもりですか。
19世紀のイギリス小説をメインに研究することを変えるつもりはありません。ただ最近なぜか昔に回帰していくような気がすることがあって、子供の頃に読んだ作品、いわば点としてぽつんと存在していた昔の思い出が文学研究へとだんだん繋がって線になってきたんです。今読み返せばかつて見えていた世界が変容してしまうかもしれず、それはもしかしたらショックを受けるかもしれません。でも、自分の文学研究のルーツである児童文学を、研究者としての目で眺めたいと思っています。

目の前でやりたいことはいろいろありますが、エリオットの研究はもっと深めたいですね。『ミドルマーチ』をできるだけ多くの人に読んでもらいたい、というのがひとつの目標なので。他には、ブロンテ姉妹の次女エミリーの『嵐が丘』について本を2冊出しましたが、あの作品についてもう一度見直してみたいです。姉のシャーロットが書いた『ジェイン・エア』についてももっと研究したいです。ノーベル賞作家カズオ・イシグロは英文学の中では特にシャーロットに影響を受けたと言っています。彼の作品のテーマといえば「記憶」ですが、『ジェイン・エア』もその切り口で分析できるのでは、と。

いま挙げたのは主流の作家たちですが、マイナーな作家の作品を再評価することも大切だと思っています。メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』も、私が『批評理論入門』を出した17年前頃は日本であまり読まれていませんでしたが、今では読者層がかなり広がりました。今注目しているのは『シェイクスピア物語』を書いた、メアリーとチャールズというラム姉弟です。シェイクスピアの戯曲を、子供向けに散文で小説に仕立てています。特にメアリーは病気や不幸な事件があったためにほとんど忘れ去られた人です。この姉弟に限らず、評価されるべきなのに見落とされている作家を再評価する仕事も進めたいと考えています。

――ありがとうございました。
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