宇治十帖の世界をたづねて 源氏物語ミュージアム(2022.01.16)

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千年の時を超えて愛される『源氏物語』。物語の全54帖のうち、最後の10帖は「宇治十帖」と呼ばれ、宇治を舞台に光源氏亡き後の物語が描かれている。

物語上での宇治に対して、現実の宇治は「源氏物語の町」として観光客で賑わっている。虚構と現実、古と今。変わらない宇治川の流れ。そのほとりにある源氏物語ミュージアムは、宇治十帖をはじめ源氏物語に関する展示を数々揃えるミュージアムであり、現代の宇治に物語の世界を蘇らせる。今企画では、源氏物語ミュージアムの展示を通じて、宇治十帖の世界へと入って行く。(滝)

目次


    源氏物語とは
    あらすじ
    「垣間見」と宇治十帖
    「橋」と宇治十帖
    おわりに

源氏物語とは


源氏物語は、平安時代に紫式部によって書かれた長編物語である。桐壺帝と桐壺更衣の大恋愛の末に生まれた、類まれなる容貌を持つ主人公・光源氏が、幼くして亡くした母の面影を慕って数々の女性と恋を重ねる様子が描かれている。宇治十帖は、光源氏亡き後に子の薫や孫の匂宮(におうのみや)を中心に進められていく物語である。

源氏物語最後の舞台となった宇治にある源氏物語ミュージアムは、宇治市立の博物館である。幻の写本と呼ばれている『大沢本』をはじめ源氏物語に関する資料を収集・保管し、様々な展示を公開している。1998年に開館し、10周年の2008年にリニューアルが行われ展示が増幅された。2018年の再リニューアル時には新たな展示が加わったのみならず、人形の衣装の時代考証が再度行われるなど、より平安時代の風俗を反映した展示へと調整され、現在に至る。

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あらすじ


宇治十帖は、光源氏が亡くなって9年後の話から始まる。薫と匂宮という二人の貴公子がヒーローである。思慮深く誠実な薫は、光源氏の次男。しかし実際は光源氏の正妻・女三宮と柏木の密通から生まれた子である。一方の匂宮は光源氏の孫であり、快活で行動的な人物。二人は親交が深いながらも、何かと張り合う仲であった。光がない場所でも感じることができる、香り。「光」源氏を失っても、「薫」と「匂」宮が物語を宇治の地で引き継いでいく。

さて、光源氏の異母兄弟に八の宮という人物がおり、政治から逃れ宇治で二人の娘を養育しつつ過ごしていた。その俗聖ぶりに惹かれた薫は、ある日宇治川のほとりにある八の宮邸を訪れる。その際、明るい月光のもと八の宮の二人の娘を垣間見てしまう。「橋姫」の巻に見られるこの垣間見の場面が、宇治の間では再現されている。ナレーションの声に合わせて月が現れ、暗い展示室内で薫の目線の先に姉妹の姿が浮かび上がると、観客は薫とともに、息をひそめて彼女たちの姿を見つめる。

静かに琴を奏でる姉・大君(おおいきみ)と、琵琶を弾く華やかな雰囲気の妹・中君(なかのきみ)。薫は、大君に惹かれることとなる。恋多き光源氏や匂宮とは違い、浮ついた話のなかった薫にとうとう恋が訪れた一方で、薫は偶然、母・女三宮と柏木の手紙を目にしてしまい、自らの出自に対する疑いを抱き始めたところで、「橋姫」巻が終わる。

その後、八の宮が「宇治の地を離れるな」と娘たちに言い残して亡くなると、薫は匂宮とともに大君たちのもとへ訪れる。急な貴公子の来訪に八の宮邸は騒然とするが、大君はすんでのところで姿を隠した。取り残された中君を目にした匂宮は彼女に惹かれる。二人はのちに結ばれることとなる。

一方大君は、父の遺言を頑なに守り薫の求婚に決して応えなかった。父・八の宮と同様に世を儚む彼女は、自身の無常観を体現するかのように急な死を迎える。薫の懸命の恋は実ることなく潰え、宇治の物語も悲しい終わりを迎える…かに思えた。

八の宮には、正妻の子である大君・中君の他に娘がいた。彼女こそ宇治十帖の三人目のヒロイン・浮舟である。薫が大君の面影を求めて中君に接近したところ、中君から「私よりも姉に似ている異母兄弟がいます」と教えられ、浮舟の存在が明かされる。

薫は浮舟と結ばれるが、決して大君のことを忘れはしなかった。浮舟はあくまで形代であり、その証拠に薫の足は次第に遠のいていった。

一方、たまたま浮舟の姿を見てしまった匂宮は、彼女のことが忘れられなくなっていた。とうとう匂宮は浮舟のもとへ訪れる。暗闇の中、室内に入ってくる男を薫だと思って受け入れてしまう浮舟。このことが薫に知られたら、とおののく浮舟だったが、情熱的な匂宮に次第に惹かれていってしまう。二人の貴公子の間で揺れ動く彼女はまさに浮舟であった。

 橘の小島の色は変はらじを
 この浮舟ぞゆくへ知られぬ

宇治川の激流に流されるように、物語は思いもよらないラストへ向かう。寄る辺のない身の程を思い知った浮舟は、宇治川へと身を投げるのだった。

浮舟の入水の知らせが京にまで伝わり、薫は悲嘆に暮れる。しかし浮舟は、川辺に打ち上げられたところを僧都に助けられ、一命を取り留めていた。浮舟はそのまま出家し、小野の山荘に入る。浮舟の存命を知った薫は急いで手紙を遣わせたが、浮舟は決して応えなかった。

 鐘の音の絶ゆる響きに音を添えて
 わがよ尽きぬと君に伝えよ

浮舟が母親である中将の君に宛てて読んだ、告別の和歌である。二人の貴公子の間で思い悩んだ浮舟は、宇治川でこの世に別れを告げたのだった。

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【宇治十帖 主な人物相関図】


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「垣間見」と宇治十帖


源氏物語ミュージアムの展示は大まかに平安の間と宇治の間2つのブースに分かれており、平安の間では光源氏を主人公とする前半の物語を、宇治の間では宇治十帖を扱っている。どちらの間にも、等身大の人形を用いて物語のシーンを再現している展示がある。平安の間で取り上げられているのは、空蝉と軒端荻を光源氏が垣間見る場面。そして宇治の間で取り上げられているのは、薫が八の宮邸の大君と中君を垣間見る場面だ。ここに「垣間見」という共通点が見出せる。源氏物語ミュージアムにおいて、垣間見は一つのテーマとなっている。現代語で「かいまみる」というと単に「ちらりと見ること」を指すが、古文では別の意味を持つ。平安時代の女性は家族以外の男性に顔を見せることが無いため、男性が女性を覗き見て恋に発展するという文化が生まれた。これを「垣間見」という。垣間見をきっかけに男女が出会う話は、源氏物語を含め物語上に多く見られる。

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【空蝉と軒端荻を垣間見る光源氏】

光源氏と薫


京の間で垣間見をしているのが光源氏、宇治の間で垣間見をしているのが薫。京の間と宇治の間が、そして光源氏と薫とが重ねられているように見える。宇治十帖はもちろん薫と匂宮がメインだが、あえて1人を選ぶとすれば主人公は薫だろう。

薫の垣間見から宇治十帖の物語が本格的に始動するという点は、それだけこの場面と薫が宇治十帖の中で重要ということであり、源氏物語ミュージアムの展示内で薫と光源氏が重なって見えることはただの偶然ではないとわかる。

また、2人は人物像にも共通点がある。光源氏は「光」と銘打っていながらも、「陰」の要素を多分に持っている人物だ。たしかに、容貌の美しさに加え、天皇の子でありながら母親の身分の低さゆえに賜姓され皇位継承権を剥奪された状況から、紆余曲折を経て准太上天皇という上皇に匹敵する地位に就くという出世ぶりは輝かしいというほかない。しかしその栄華とは対照的に、光源氏の晩年は暗い。歳の離れた新妻・女三宮は柏木と密通、表向きは光源氏の子である薫を柏木との間に設けたのち、罪に苛まれて光源氏を残して出家してしまう。さらに最愛の妻である紫上が亡くなり、世の無常を痛感するままに光源氏は出家を決意する。泣く泣く紫上の手紙を燃やして出家の準備をする場面で、光源氏の物語は終わる。本文が欠落したのか、もとから本文が無かったのかは定かではないが、巻名だけの巻である「雲隠」にて光源氏は逝去する。

ただ輝かしいだけでなく、どこか陰のある光源氏。ヒーローらしい魅力を備えながらも、光源氏の実子ではないのではないかという疑いを抱きながら世を儚む薫。源氏物語は、光と陰を併せ持つヒーローたちの物語である。

3.png【八の宮邸を垣間見る薫】

垣間見体験


垣間見を通して物語の主人公達を見ていった。次は視点を現代に戻してみよう。平安の間には、垣間見を体験できる展示がある。ボックス状の展示の両側には、中を覗くための穴がある。ボックスの内部は御簾で区切られており、手元のスイッチで手前の空間と御簾の向こう側の空間の光加減を調節できるようになっている。暗い内側から明るい外側を見ることはできるが、逆はできないため、手前の空間を暗く御簾の向こうを明るくした場合のみ、姿を垣間見ることができる。現代において垣間見を疑似体験できるという、源氏物語ミュージアムならではの展示である。

しかしこの展示は、垣間見体験を再現するにとどまらない。ボックス内の光を調節ができるというところに肝がある。二人でそれぞれの穴から覗いている場合を想像してほしい。こちら側が暗いうちは、相手の姿が御簾ごしにはっきりと見える。しかし、ひとたび相手が光の明暗を変えると、途端に自分が「垣間見られる側」に変貌する。

盗み見る側には、垣間見をしていると知られてしまうリスクが常に伴っていた。垣間見をする男性、される女性という関係性は、少しの光加減でいとも簡単に逆転してしまうものなのだ。御簾と光の機微に左右され、何が起きるかわからない垣間見の場面では、現実か物語かを問わず様々な出会いや展開が生まれたのである。

さて、この垣間見の原理を利用した別の展示が宇治の間にある。壁一面を覆うほどの大きな御簾の向こうに、匂宮と浮舟の姿が見える。しかし、ナレーションの説明が進んで浮舟が入水する場面になると、御簾の内の光が消えて人形が見えなくなる代わりに、御簾の表面に書かれていた和歌が浮かび上がる。浮舟・匂宮の箇所に限らず垣間見のしくみを展示の中に多く取り入れることで、宇治十帖の怒涛の展開を表現することに成功している。

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【気軽に垣間見を体験できる】

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「橋」と宇治十帖


「橋」は宇治十帖における重要なモチーフの1つとなっている。宇治十帖は「橋姫」巻に始まり「夢浮橋」巻で終わる。

ミュージアム内の平安の間から宇治の間へ行くための通路は「架け橋」と名付けられている。アーチを描く床によって、通路全体が1本の橋のように見える。照明が暗く優艶な雰囲気が漂う平安の間・宇治の間とは対照的に「架け橋」の空間は明るく、川の音に似た清雅な音楽が流れている。全体的にエメラルドグリーンの空間は、川面に反射する光を彷彿させる。他のブースとは一線を画す、幻想的な場所だ。

壁には京都から宇治へ行く歳に通る地名が順に書かれている。鴨川を渡り、山科を越え、六地蔵から木幡を抜けて宇治へ…橋を渡ることで、薫や匂宮が歩んだ道のりを追随できるようになっている。

また、架け橋を渡りきって宇治の間に入る観客を最初に迎えるのは古今和歌集に収録されている「宇治の橋姫」の和歌である。これは、宇治十帖が「橋姫」の巻から始まることを踏まえ、展示が宇治十帖の物語へ入ることを暗示しているのだろう。

地理的な意味で京都から宇治へ行くための橋と、京都の物語から宇治の物語へ渡るための観念的な橋が、文字通り掛けられているといえる。

 さむしろに衣片敷き今宵もや
 我を待つらむ宇治の橋姫

これが宇治の間の入口にある和歌の全文である。大意は、「筵に1人分の袖を敷いて、今宵も私のことを待っているのだろうか。宇治の橋姫は」となる。

橋姫は外敵の侵入を防ぐ橋の神として祀られている女神で、古くから嫉妬深い女神として知られていた。他方で、和歌の世界ではロマンチックな題として読み込まれることが多い。一説には「愛し姫」に通じるからとも言われている。

当時の交通状況を鑑みるに、宇治は京から牛車や輿で6時間要するほど遠く離れた場所であり、貴公子たちが気軽に通える場所ではなかった。「さむしろに」の和歌は、気軽に会いに行くことがかなわない妻に思いを馳せる男の心情を描き出している。

源氏物語の本文では、薫が大君に向けて詠んだ和歌に「橋姫」が登場する。しかし、「さむしろに」の和歌に出てくる「橋姫」が象徴する女性は大君に限定されないだろう。その証拠の一つに、源氏物語ミュージアムで上映されているオリジナル映画の一つ、『橋姫』がある。この映画の中で橋姫は、女性たちが嫉妬の情を抱く際に、それを象徴するように登場する。

匂宮が自分以外の女性を正妻に迎えたことで夜離れがすすみ、嫉妬心を募らせる中君。ひとたび自分を手に入れるとめっきり訪ねて来なくなった薫に不信感を募らせる浮舟。彼女たちは、嫉妬深いけれど愛しい、宇治の橋姫のイメージに重なっている。

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【「架け橋」を渡って宇治へ】

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おわりに


展示ブースから受付を挟んで反対側に、ミュージアムショップがある。その名は「花散里(はなちるさと)」。

 橘の香をなつかしみほととぎす
 花散る里をたづねてぞとふ

「橘の香」とは、昔懐かしい人の袖の香りを指す。源氏物語には「花散里」と呼ばれる女性が登場する。光源氏が若い頃から見知っている妻であり、その親しみやすい性格に惹かれて、妻としても昔語りの相手としても大切にした女性である。花の香りをしるべに時鳥が訪ねて来る場所。一緒にいて居心地の良い妻・花散里。ミュージアムショップ「花散里」はそういった、つい訪ねたくなるような場所だ。そしてそれは、ミュージアムショップに限らず源氏物語ミュージアム全体にもいえよう。日本文化への憧憬をくすぐる展示の数々は、花の香りがほととぎすを引き付けるように、我々をミュージアムへと誘っている。

宇治十帖の世界を体験しに、宇治川のほとりの源氏物語ミュージアムをたずねてみてはいかがだろうか。

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