文化

〈映画評〉難民家族 5600kmの旅 『ミッドナイト・トラベラー』

2021.10.01

アフガニスタン国内には内紛、テロ、食糧不足、自然災害の被害など様々な懸念事項が未解決のまま残されており、それに伴う難民が今なお数多く生まれている。UNHCRのデータによれば、2019年時点で国内避難民は約200万人、国外へ避難している難民は約270万人にのぼる。本作は、そのようなアフガン難民の一人であり映画監督でもあるハッサン・ファジリが、アフガニスタンからヨーロッパまでの5600㌔に及ぶ旅路を、約4年間に渡って自身のスマホで記録したセルフドキュメンタリー映画である。

本作の主な出演者はアフガニスタン人の4人家族、父親のハッサン・ファジリ、母親のファティマ・フサイニ、長女のナルギス、次女のザフラである。作中で詳しい年齢は語られないが、旅の開始時点でナルギスは6、7歳、ザフラは3、4歳ほどであろうか。一家が難民となった理由は、ハッサンが製作したアフガニスタンの平和に関するドキュメンタリーフィルムがタリバンの怒りを買ったことにある。その映画を主演した俳優はタリバンによって殺害された。アフガニスタン国内に留まっていては命が危ないと判断したハッサンは、家族とともに国外に避難することを決断する。

この映画の優れた点は、二つの相反するメッセージが巧みに織り込まれているところにあるだろう。一つには、過酷な難民の生活をありのままに映すことで生まれる無機質な政治的メッセージ、そしてもう一つが、それほどに過酷な環境に置かれてなお、​​​彼らは私たちとなんら変わらない感覚で温かな家庭を守る生きた人間だという事実である。

まず前者について述べたい。一家の旅は苦労の絶えないものであった。長い道のりを移動しながらの生活は大きな困難を伴う上、たどり着いた移民収容施設も受け入れる体制が整っていないことがしばしばである。また、悪徳な密航業者によってトラブルに巻き込まれたり、移動先のヨーロッパで激しい移民排斥運動に直面したりと、精神的にも大きな負担が強いられている。難民の直面する現実が非常に厳しいものであることは明らかである。

一方で作中には、「難民」という冷たい言葉でひとくくりにすることのできない、体温のある生活を送る人々の姿が等身大で記録されている。特に印象的な場面として、ナルギスが母ファティマとの会話で「誰がなんと言おうと私は肌を隠さない」と気持ちを吐露するシーンがある。この場面には、ナルギスの素直で繊細な感性がよく表れている。また、成長していく子供がどのように宗教と向き合うのか、イスラム圏で女性がどのように生きていくかという避けて通ることのできない重要な問題も示されている。作中には、こうした個人の素朴な感覚や生きていく上で不可避な諸問題が現実感を持って描写されており、見る人は彼らと同じ目線で彼らの感覚を共有し、人種も国籍も宗教も違う人々に心からの共感を抱くことができる。

加えて、本作には、映画監督としての自分と父親としての自分の間で揺れ動くハッサンの心情も綴られる。作品終盤、ザフラが行方不明になってしまう場面。林や草むらを探すハッサンは、一瞬、自分が茂みの中から息絶えた姿の娘を見つけ、そこへ妻がかけ寄ってくる場面を想像する。父としてむごい姿の娘を発見する可能性に恐怖を感じながら、映像作家としてそれを期待してしまう。そんな映画製作者の苦悩までも詳細に語られるのだ。

難民というテーマが持つ強い政治性と血の通った個人の生活、ハッサンに差し迫る死と子供たちの成長。安易な一義的テーマに終始することなく、私たちが生きる世界に存在しているこれらの二面的事実を含み持つことが、この映画の胸にせまるリアルさを生んでいるのかもしれない。

1979年のソ連軍侵攻以降、今日に至るまで、アフガニスタン国内は幾度となく混乱状態に置かれてきた。ソ連軍の撤退後、ソ連への抵抗勢力であったイスラム教徒民兵組織が内部分裂を起こし内戦に発展したためだ。その後、パキスタンの神学生を中心に組織されたイスラム原理主義組織タリバンが台頭し、武力によって政権を奪取した。9・11テロ以降、アメリカの軍事介入によって一時的にタリバン政権は崩壊したが、2021年現在、アメリカ軍がアフガニスタンから撤退したことで20年ぶりにタリバンが政権の座に戻っている。アフガン問題が再燃する今こそ、多くの人にこの映画を見てもらいたい。(桃)

製作年:2019年
監督:ハッサン・ファジリ
制作国:アメリカ・カタール・
カナダ・イギリス
原題:Midnight Traveler
上映時間:87分

関連記事