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琉球遺骨 京大、収集・保管を新たに認める 返還請求訴訟 第七回口頭弁論

2020.12.01

京都帝国大学の研究者が1920年代に持ち出し京大が保管を続ける琉球遺骨の返還を求める裁判の第七回口頭弁論が11月19日、京都地裁で開かれた。被告・京大は、原告が前回口頭弁論で提出した書面を受けた書面を提出し、金関丈夫・助教授以外にも収集を行なった歴史があること、その一部を現在も京大に保管していることを新たに認めた。ただ、収集の違法性については否定した。次回口頭弁論は、2月26日14時半から行われる。

京都大学は、2017年に衆議院議員・照屋寛徳氏の照会の求めを受け、琉球遺骨26体の保管を認めた。遺骨は、1928年から29年にかけて京都帝国大学医学部の金関氏が今帰仁村の百按司墓から収集したと京大は説明していた。しかし、原告が7月30日の第六回口頭弁論に提出した板垣竜太・同志社大学教授の鑑定意見書によると、京大が現在保管している遺骨は、同じく医学部の三宅宗悦・講師が南島調査として奄美・沖縄本島の遺骨を収集する際に持ち出し、三宅氏の指導教官にあたる清野謙次・教授の「清野コレクション」に収蔵されたものだという。同意見書では、三宅氏らの収集は、奄美や琉球、北海道、樺太、朝鮮、台湾といった大日本帝国の領土内でも植民地やそれに準ずる地域を「日本特殊地方」と分類し、「割合手軽に大量的な蒐集を行ふのには沖縄の古墳を探るのが最も手取り早い」(三宅宗悦「奄美大島の人類学的興味」1934年)と記述するなど「植民地主義的ダブルスタンダード」が研究者にあったことが指摘されている。それらを受けて京大は、三宅氏が収集した百按司墓を含む沖縄県での遺骨収集を認め、本部町渡久地の古墓から収集した遺骨を現在も保管していることを認めたが、収集において違法な行為はなかったと主張した。

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