京大 琉球民族の遺骨を移管 子孫ら「墓への返還求める」
2025.06.16
京都帝国大学の研究者が戦前に沖縄県の百按司墓から持ち出した遺骨をめぐり、京大は5月21日に少なくとも29体の遺骨を今帰仁村教育委員会へ移管した。墓に祀られた王族の子孫らが、2018年12月に京大に遺骨の返還を求める裁判を起こし、23年に大阪高裁は請求を退ける判決を出すも、遺骨をふるさとへ返すよう付言していた。原告団長だった松島泰勝氏は「移管に際し京大から謝罪や説明がなかったことは我々を侮辱している」と述べ、墓への返還を求める考えを示した。
京大によると、京都帝大に所属した金関丈夫または三宅宗悦が沖縄県今帰仁村運天で収集した「人骨15箱」を今帰仁村教育委員会に移管した。少なくとも29体の遺骨が含まれるという。本紙の取材に対して、京大は今帰仁村教育委員会と移管に関する協議を行ったこと、協議に基づき移管したことは事実だとする一方、今回の移管は「大阪高裁の判決を受けて行われたものではない」との見解を示し、協議の内容や経緯の詳細は回答できないと説明した。
今帰仁村教育委員会の担当者によると、今帰仁村は百按司墓の県指定文化財や国指定文化財への認定を目指し、百按司墓に由来する「人骨資料」を後世に引き継ぐため、18年3月に京大に移管を求める要望を伝えていた。高裁判決が出た後に、京大から要望書に関して連絡があり協議を始めた。今帰仁村教育委員会は、京大と協議書を締結し、遺骨を埋葬せずに保管する方針を定めた。なお、今回の協議書の内容は、台湾大学が保管していた遺骨を19年に移管した際の協議書を土台にしたという。
現在、遺骨は今帰仁村歴史文化センターの収蔵庫で保管されている。今帰仁村教育委員会の担当者は元原告の閲覧を認める考えを示すも、「基本的に人骨は広く展示するものでない」として一般に公開する可能性は否定した。元原告の松島氏によると、6月22日に今帰仁村歴史文化センターで慰霊祭を行い、館長と遺骨の返還について話し合うという。松島氏は、今後について「本当の返還を目指して、今帰仁村教育委員会と継続的に活動を続けたい」と述べた。
原告は裁判で遺骨の返還を請求するとともに、京大が保管を続けていることと遺骨の実見申請を不許可にしたことへの慰謝料請求を行った。
23年の大阪高裁の判決では、原告の請求がいずれも退けられた一方、大島裁判長は判決文の中で「遺骨の本来の地への返還は現在世界の潮流になりつつある」と述べ「持ちだされた先住民の遺骨はふるさとに返すべき」だと付言した。その上で、原告、京大、教育委員会らで話し合いを進め「適切な解決への道を探ることが望まれる」としていた。原告はこれを「歴史的な判決」と判断して上告せず、京大と対話し返還を求める姿勢を示していた。
松島氏によると、この判決の後、原告側は京大に3回対話を求めるも全て拒否され、24年から始まった京大と今帰仁村との協議にも参加できなかった。今回の移管に際しても京大は原告側へ説明や謝罪を行っていないという。松島氏は「盗骨した京大が、遺骨の再風葬を認めないとする権限はない」として「移管協議書」は無効だとの考えを示した。
京大によると、京都帝大に所属した金関丈夫または三宅宗悦が沖縄県今帰仁村運天で収集した「人骨15箱」を今帰仁村教育委員会に移管した。少なくとも29体の遺骨が含まれるという。本紙の取材に対して、京大は今帰仁村教育委員会と移管に関する協議を行ったこと、協議に基づき移管したことは事実だとする一方、今回の移管は「大阪高裁の判決を受けて行われたものではない」との見解を示し、協議の内容や経緯の詳細は回答できないと説明した。
今帰仁村教育委員会の担当者によると、今帰仁村は百按司墓の県指定文化財や国指定文化財への認定を目指し、百按司墓に由来する「人骨資料」を後世に引き継ぐため、18年3月に京大に移管を求める要望を伝えていた。高裁判決が出た後に、京大から要望書に関して連絡があり協議を始めた。今帰仁村教育委員会は、京大と協議書を締結し、遺骨を埋葬せずに保管する方針を定めた。なお、今回の協議書の内容は、台湾大学が保管していた遺骨を19年に移管した際の協議書を土台にしたという。
現在、遺骨は今帰仁村歴史文化センターの収蔵庫で保管されている。今帰仁村教育委員会の担当者は元原告の閲覧を認める考えを示すも、「基本的に人骨は広く展示するものでない」として一般に公開する可能性は否定した。元原告の松島氏によると、6月22日に今帰仁村歴史文化センターで慰霊祭を行い、館長と遺骨の返還について話し合うという。松島氏は、今後について「本当の返還を目指して、今帰仁村教育委員会と継続的に活動を続けたい」と述べた。
元原告と対話せず
原告は裁判で遺骨の返還を請求するとともに、京大が保管を続けていることと遺骨の実見申請を不許可にしたことへの慰謝料請求を行った。
23年の大阪高裁の判決では、原告の請求がいずれも退けられた一方、大島裁判長は判決文の中で「遺骨の本来の地への返還は現在世界の潮流になりつつある」と述べ「持ちだされた先住民の遺骨はふるさとに返すべき」だと付言した。その上で、原告、京大、教育委員会らで話し合いを進め「適切な解決への道を探ることが望まれる」としていた。原告はこれを「歴史的な判決」と判断して上告せず、京大と対話し返還を求める姿勢を示していた。
松島氏によると、この判決の後、原告側は京大に3回対話を求めるも全て拒否され、24年から始まった京大と今帰仁村との協議にも参加できなかった。今回の移管に際しても京大は原告側へ説明や謝罪を行っていないという。松島氏は「盗骨した京大が、遺骨の再風葬を認めないとする権限はない」として「移管協議書」は無効だとの考えを示した。