文化

京大雑記 ノーベル賞を待機してみた→結局は周りの空気にのみこまれ

2011.11.18

―10月3日夕方、吉田キャンパス本部棟には多くの報道陣が押し寄せ、山中伸弥教授(iPS細胞研究所他)がその有力候補として期待されていたノーベル医学・生理学賞受賞者の発表を待っていた―というのはよく聞かれるようなフレーズだが、実際に報道陣が、行われるのが不明な記者会見をどのようにして待機しているのかはあまり知られていない。そもそもマスコミが自分の仕事場について取り上げることはごく稀なことであり、彼らの仕事場はあくまでも仕事場であって、その仕事場自体について「第三者の立場」に立って報道する機会はそれほど多いと思われない。加えて「記者クラブ制度」などによって、その様子が外部の人に知らされにくいとも言われている。

では、記者会見ないしそれを待機している記者の様子では一体どうなっているのか。営利企業ではなく学生団体である京大新聞だからこそ言えること・言わなければならないことがあるように思われる。そういったことから、医学・生理学賞受賞者の発表があった夕方の一部始終を書いてみたいと思う。

まず、その発表は夕方6時半からであったが、2時間ほど前に学内を回っていると、もうすでに本部棟の周りをTV局の中継車3、4台が囲み、建物3階分以上はある、鉄塔のような高いアンテナ(と思われるもの)が立てられていた。記者会見を行うという連絡は一切受けていなく、またノーベル賞はだいたい年配の人から与えられるので、まだ若い研究者には与えられないだろうとは思っていだが、「記者会見場がどうなっているのだろうか気になるし、万が一のことがあれば」と思った私は早速、本部棟の中へ入っていった。

本部棟はその10月3日から身分証明をしないと入れないという規則が出来ており、私はその対応に戸惑うものの、なんとか記者会見室に入ることができた。だがその時には、カメラやテレビカメラなどの機材がたくさん入っており、設けられた座席(確か100席ぐらいあったと思う)には荷物や名刺が置かれるなどして、そのほとんどが確保されていた。

かろうじて後ろから2番目の席を確保したものの、記者会見まで1時間以上あって暇で仕方ない。前の方に座っていた人が新聞を読んでいたりするから、私も自習タイムをとることにした。それなりの会議室の椅子とあって、大変座り心地が良かった。

6時を回ると、席をはずしていた人も戻ってくるようになり、だんだんと慌ただしくなってきた。すると、後ろの方で「ノーベル医学・生理学賞に京大・山中伸弥教授が……」という声が聞こえて来て、「発表時間はまだだ、これはいかに」と振り返ると、それはテレビの生放送に備えたリハーサル練習であった。最初のうちは面白いぞと思って聞いていたが、どうやら読み合わせは1回だけでなく、5回以上も同じようなセリフでずっと繰り返し読み合わせたので、だんだんと嫌気がさしてきた。

発表時刻の6時半に近づくと、ますます会見場は緊張感に包まれるようになった。報道陣が必死になっているのがよく伝わってきた。もっとも早く受賞者を知ることの出来る方法は、インターネットでノーベル財団のウェブページを見ることだ。私もノートパソコンと回線機器を取り出して見てみるが、確かにそこには発表時刻までのカウントダウンの時計が表示されている。そこで「どうせなら私がこの中で一番最初に受賞者の名前を調べてやる」と、今となってはバカらしい「マスコミへの挑戦」を思いついた。

だがここで、私は誤って「F5」(更新)のキーを押してしまう。するとサーバーはパンク状態でなかなか元のページに繋がらなくなってしまった。ノーベル賞受賞者の発表なんか(そもそもその賞の価値について私はまだ理解しきれていない)で「焦らない・緊張しない」と心に決めていた私だが、さすがにこのときはパニックになってしまった。さらに近くの人がパソコンで音の鳴る時報ソフトを立ち上げていたので気になってしまった。

「ポ、ポ、ポ、ポーン」

6時半の時報は鳴った。だが私はその瞬間もまだウェブページの更新を待っていた。周りの報道陣も自分の会社の人と携帯電話でやりとりをして確認しては「まだか、まだか」と言いあったり、私と同じようにウェブページの更新をずっと待っていた人もいた。

しばらくすると、どよめきのような声が前の席の方から聞こえてきて、何か残念そうな顔をした人が立ちあがってきたので、それが山中教授以外の人が受賞者になったということを意味することはすぐに分かった。

その後、カメラマンが受賞者や総長がつく予定だった長机の周りに集まり、置かれてあるマイクに向けてフラッシュを焚き始めた。「受賞ならず」という記事にその写真を添えようとしているのか、それともこれは一種の慣例のようなものなのだろうかと、私は推測してみた。マイクの撮影が終わるとカメラマンや記者は一気に退出していった。

TV局のリポーターは「…報道陣が引きあげていきます」とか中継していたが、山中教授が今年に受賞することをあたかも「確信」していた人々には、ここにいた私も含まれると思われるのではないかと、ますます気がかりになってきた。もちろん、山中教授には栄誉な賞を取って欲しいけれども。こうして私も会見室を後にした。

果たして、ノーベル賞は本当に価値があるのか―問題はそこではない。いざノーベル賞受賞者が出るとなるとマスコミが本当に殺到するわけだが、外部の人から見て、いささか熱狂し過ぎ、期待し過ぎだろうという批判をすることは出来るだろう。しかし、その熱狂や期待を糧とする人々に囲まれていると、知らず知らずのうちにそれに同調してしまうこともあり得るのではないのではないだろうか、ということが案じられる。(春)

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