インタビュー

【京大出身者インタビュー 京大出たあと、 何したはるの?】Vol.14 起業家 内藤裕紀さん 京都発 学生団体から上場企業へ

2026.02.16

【京大出身者インタビュー 京大出たあと、 何したはるの?】Vol.14 起業家 内藤裕紀さん 京都発 学生団体から上場企業へ
京都(大学)と資本主義はどうにも縁遠いように見える。東京と離れているという強みに憧れて京大を目指す受験生諸君も少なくないはずだ。だが、京大在学中に起業し、上場を果たした経営者も存在する。出版やゲーム、アニメ、マーチャンダイジング(グッズの企画制作)などエンタメ領域の事業を幅広く手がける株式会社ドリコムの代表取締役・内藤裕紀さんに話を聞いた。(涼)

目次

「時間と効率性」の勉強で京大へ
大学に通わない大学時代
時代とともに事業も転換

「時間と効率性」の勉強で京大へ


――高校時代は何を。

高校時代は成績もクラスでビリの方で、本当に何もしていませんでした。ようやく受験に向き合い始めたのは高校3年生のころです。進学校だったこともあり、周りは東大へ行って官僚か弁護士を目指す子たちが多かったのですが、僕はそもそもそこに興味がありませんでした。

興味を探す意味も含めて、日本経済新聞などに載っている経済セミナーへたまに行くようになりました。小さい頃から「発明家になりたい」という漠然とした夢があったのですが、そこで初めて「自分で会社を作る」選択肢があるのを知りました。まだ今ほどベンチャー企業がメディアでも注目されていなかったころです。初めて進路を真面目に考えたとき、自分で会社を立ち上げてなにかサービスを作っていきたいなと思いました。

――そこから京大受験へ。

父親が関西出身だったのと、ノーベル賞受賞者が多いのでまず京大を考えました。あとは何個かセミナーへ行くなかで、慶應の商学部にいたマーケティングの教授の話がすごく面白かったので、慶應もいいなと。

――高校時代は文系。理系でないアプローチで「発明家」を目指した。

当時一番得意だったのは数学だったので理系の感覚もあったんですが、やはりビジネスへの関心が一番強かったんです。なので経済学部と商学部を受けました。得意分野と関心で選んだ形ですね。

――一浪して京大経済学部へ。

現役のときは偏差値30いくつとかでした(笑)。一浪のときも夏までは何も勉強しませんでしたが、9月から始めて半年ぐらいは誰よりも勉強したんじゃないかなと思います。でも、最初の2ヶ月はほぼ高校受験の勉強をしてました。もう内容を忘れちゃってて……。

受験勉強の変数って、勉強時間と効率性の2つしかないと思うんですよね。前者はどれだけ勉強時間を増やすかでしかないので、1日18時間は勉強していた気がします。やろうと決めたものが終わらなければ睡眠時間を削るだけという。効率性についてはゴールありきで、過去問から考えて優先順位の低いものは全部カットしていきました。

――入学してからは何を。

みなさんもそうかもしれませんが、大学とは何かよくわからず入ったんですよね。例えば1回生の一般教養では古典的な経済学を勉強しますが、僕はもっとビジネスの話を聞きたかったんです。だから「あ、これ行ってもしょうがないな」と思って。前期の試験ぐらいまで受けたあと、もうほとんど大学へ行くのを止めました。

そこからはバイトをしてお金を貯めて、1回生の終わりぐらいから自分で仕事を始めていきました。大学に通っていたのは半年くらいなので、みなさんの参考になるかはわかりません(笑)。

――印象に残っている授業は。

全然ないですね。今もそうかもしれませんが、経済学部は「パラ(ダイス)経(済)」って呼ばれてて。当時は制度上、1コマに3つも4つも授業が取れるという無茶苦茶な感じだったのでわーっと取っていましたが、どれもピンと来ませんでした。

でも、経済学部でマーケティング関係をやられていた若林靖永先生は覚えています。会社が上手く立ち上がって上場した後ぐらいにご連絡をいただいて、授業へ話しに行ったことがあったんです。変な話、休学中の3回生くらいのときには、京大の大学院生向けの授業で講師をやってたんですよ。ビジネスの実践をやっている人に来てほしいと言われて(笑)。

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大学に通わない大学時代


――学業から仕事へシフト。最初の仕事は。

最初はWindows 95が出た頃だったので、パソコンの家庭教師の派遣事業を始めました。ただ、この事業は全然鳴かず飛ばずで終わりました。

――インターネットに注目したのはこれからの成長を予感して。

そうですね。講師を集めるときに全く会ったこともない人たちがネットを通して集まっていたので、「インターネットすげえな」と思ったのが1回生の終わり、90年代末くらいです。

――大学へ行かずにどう仲間を集めたのか。

起業したい学生のインカレサークルに顔を出しました。京大だけでなく同志社や立命館など、関西圏の学生が集まる場があったんです。

あと、会社を始める前はビラを京大の法経本館とか同志社の情報学科とかにベタベタと貼ってました。怒られましたが(笑)。

――そこから法人化。

最初は一人一人を家庭教師として派遣していただけでしたが、インターネットサービスの開発・提供を行うようになりました。途中で法人でないと取引できない案件が出てきて、必死に資本金を集めたという経緯です。大きなクライアントさんからも案件が来たので、本当に試行錯誤しながら毎日企画書を書いていました。

ドリコムを法人化したのは2001年です。当時は、日本初のブログサービス「マイプロフィール」や、社内ブログなど企業向けのインターネットサービスの受託開発が主な事業でした。

――段々と学生ではない仲間が増え始める。

上場する1、2年前まではほとんど学生でした。平均年齢はたぶん、会社全体で20代半ば。とても若い会社でした。そこに社会人を含め、わっと人が入ってくるというカオスな時期もありました。なんかもう記憶が怪しいぐらい走り続ける日々を送っていましたね。

――学生団体と法人化したあとの一番の違いは。

やはり、メンバーに社会人が入り始めるのが一番大きいです。入ってくる人たちが家族を抱えていたりすると、楽しいからだけでなく、ちゃんと皆さんの生活を見ていく必要が出てくるんですね。ただ、第1期の決算が売上数万円レベルだったのに対して、第2期になったら売上が7千万ぐらいになって、お金を十分に給与として払えるぐらいになってはいたんです。短い間にぐわっと変わっていきました。

――京都に本社を置いて上場。

最初はB to Cサービスが多かったんですが、途中からB to Bが伸びていきました。そのクライアントがほとんど東京の会社だったので、結果京都から東京中心になったんです。会社の成長に伴い上場を決意しました。もしB to Cのままで伸びていたら、もしあのとき東京の大学へ行っていたら、また違う人生だったかもしれないですね。

――京都ならではの強みは。

社会人に対する学生の割合が高いのは特殊な環境ですよね。学生中心に起業するなかでほぼ競合もおらず、いろんな人たちが集まって来たのは良かったです。

ちなみに年に2回、京大出身の経営者の会を開いているのですが、スタートアップの方々のプレゼンを聞いていると、やはり変わったプランを持っている人が多いと感じます。それは京大らしいのかなとは思いますね。

――退学から法人化、上場へ。リスクを取り続けてきたようにも見える。

上限ギリギリまで休学して、25歳で退学しました。会社が上場する1年ぐらい前に、大学生が社長では上場できないと言われていたので、退学したとしても4ヶ月ぐらいの勉強時間が無駄になるだけだし、またなにか困っても4ヶ月勉強すればいいだろう、ぐらいな感じでした。なので退学はあまりリスクと感じていませんでしたね。学生時代の一定の期間に結果を出せなければ、普通に就職するとも決めていました。

上場についても、当時は今ほど上場するような新興の会社も多くなかったし、情報もなかったんです。上場企業とはどういうものかの知識もないまま、なぜか上場企業の社長になってしまったような感じで。なってみてから「これは大変だ」と(笑)。

――上場前後で会社の形は変わる。

求められるものは全く変わりますよね。特にインターネット系の会社は少なかったので、他社さんも含め苦労した部分はあったかと思います。

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時代とともに事業も転換


――上場後、ソーシャルゲーム事業への参入が転機に。

はい。B to Bのマーケット自体がそこまで大きくなかったので、事業の転換を模索していました。もともと、インターネットで世の中を変えるとしたら「コミュニケーション」か「検索」か「ショッピング」だと考えていて、ドリコムではブログなどコミュニケーションにフォーカスしたサービスを提供していました。ソーシャルゲームもそういったコミュニケーションの延長として参入を決意しました。なので「ゲーム業界への参入を決めた」というよりは、コミュニケーションとエンターテインメントを掛け合わせたら何か面白いことができるのではと思っていたんです。

――エンタメへの関心は昔から。

ドリコムのロゴにも、「with entertainment」と入っています。これは会社のミッションとして掲げている言葉ですが、もともとエンタメには個人としての興味関心が学生時代からずっとありました。影響を受けた作品をピックアップするのは難しいですが、数年前に『スラムダンク』が再度映画化されたときは感動しましたね。こんなに長きにわたって感動を与えてくれるコンテンツはすごいな、と。事業としてエンタメに関わるようになってからは、ちょっとアンテナを広げて見に行くものを増やしたりもしています。空いている時間はほとんどエンタメ鑑賞に費やしてますね。

あと最近すごいなと思うのは、日本の映画がグローバルに勝てるようになってきたことです。映画館に足を運ぶ回数はすごく増えました。

――在学中に触れた印象的な映画は。

『リング』と『タイタニック』です。両方とも、ちょうど大学時代に公開されたんですよ。出町や三条の映画館で観ていました。

――最近ではソーシャルゲームの開発受託だけでなく、ゼロからの作品作りにも挑戦する。

コンテンツ産業はまだまだ伸びる市場なんですよね。これまでは他社原作のIPをお借りしてゲームを作っていましたが、やはり自分たちで作っていくことこそがコンテンツマーケットの一丁目一番地なんです。そこをやれないと自分たちの会社にはコアがなくなってしまうと思うようになり、5年前ぐらいから自社でIPを作って保有する方向に舵を切りました。具体的な例としては出版のチームを立ち上げました。出版事業立ち上げのコアメンバーを集めた時には、ノベルとかコミックからアニメまで一気通貫で、スピーディーに広げられる会社にしようと話していましたね。現在も、映像化、特にアニメ化できる作品を意識しています。日本の実写はグローバルで通用しにくいなと見ていたので、今グローバルにコンテンツをお届けするフォーマットとしてはアニメが一番いいだろうと。

――社長として、普段はどのような仕事を。

自分の場合はほとんどが会議です。ただ、他業種の他社と比較すると、エンタメの会社は特殊だと思います。コンテンツそのものに関する現場意思決定と経営の距離がものすごく近いし、だからこそ常にインプットをして、面白いか否かの肌感覚をアップデートし続けるよう意識しています。

――どんな仕事が一番楽しいか。

自分の時間が効率的に、結果として出やすいものに使われていると感じられる仕事が好きです。限られた時間で「レバレッジをかける(少ない資源でより大きな成果を狙う)」わけです。ビジネスを構造化して、サスティナブルに会社が成長し続ける仕組みを考えるのが一番楽しいと思います。

――内藤さんにとって起業とは。

僕はいま47歳です。周りの経営者は引退したり、一線から外れて会長になったりといろんな人がいるんですが、振り返ってみると、僕は起業したり経営したりすることそのものが好きなんだなと思います。起業とは仕事であり趣味ですね。

――好きなことを仕事にする難しさもある。

例えばすごく結果を出している野球選手も、野球が好きで始めて、野球が好きだから前線でやれていると思うんです。好きでいられるからこそ時間や能力をかけられるので、好きと仕事が一致するならそれは素晴らしいですよね。

ある一定程度までは、時間さえ使えばある程度成し遂げられると僕は思っているんです。ひたすらやりまくったあとに、初めて時間を費やしても成し遂げるのが大変な何かにぶつかると思うので、そこまではがむしゃらに走って頑張ったらいいんじゃないかなと思います。受験にしても、就職活動にしても。

若い時期、自分に一番投資できるとしたら「時間」です。積極的に課題にぶつかっていくのがいいと思います。

――ありがとうございました。

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内藤裕紀(ないとう・ゆうき)さん
株式会社ドリコム・代表取締役。1978年、東京都生まれ。98年、京都大学経済学部に入学。2001年に立ち上げた有限会社ドリコムを03年に株式会社化、06年には当時史上最年少で東証マザーズへの上場を果たす。同社はエンタメ事業を中心に、祖業であるインターネットを生かした幅広い事業に取り組む。

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