【卒業生インタビュー 京大出たあと、 何したはるの?】Vol.10 俳優 山西惇さん 「誰かを救う」芝居を届ける
2025.01.16

ドラマ『相棒』で角田六郎役を演じる山西さん ©テレビ朝日・東映
記念すべき第10回は『相棒』に角田課長役で出演するなど、30年以上にわたり舞台・映像作品で活躍する俳優の山西惇さんにお話を伺った。(晴・扇・燕)
目次
父に憧れた青年期演劇との出会い
「食うぐらいならなんとかなるで」
「ヒマかっ?」への葛藤
演技が誰かの救いに
夢中になれるものを探して
父に憧れた青年期
――幼少期について。
テレビや深夜ラジオが大好きでした。僕が子供だった頃は、テレビは『8時ダヨ!全員集合』や『オレたちひょうきん族』が、ラジオはタモリさんや明石家さんまさんの番組が流行っていて、夢中になって見聞きしていました。人前で何かすることも好きで、昼休みにテレビ番組の真似をして、皆に見てもらうこともありましたね。
中学の部活はサッカー部でしたが、万年補欠で、試合には全部で20分くらいしか出ませんでした(笑)。高校は軽音楽部に入りました。楽器はできないので、ボーカルで参加していました。ほかに、文化祭で披露する舞台劇に相当情熱を傾けていましたね。友達とあれこれ言いながら、台本をゼロから作ったり、当時人気だった女性アイドル「ピンク・レディー」の仮装を披露したり。やることはめちゃくちゃでしたが、今の自分の原点になっていると思います。
――京大を目指したきっかけは。
母方の叔父が2人とも京大出身だったので、「自分も京大に行くのかな」というぼんやりした思いはありました。受験期は工学部建築学科を志望しました。父が建築家で、お客さんと1対1で向き合う姿に憧れていました。文理選択に迷いがあったことも一因です。理系分野だけでなく、哲学や芸術といった文系分野への造詣も必要な建築業に惹かれ、本気で建築家を目指していましたね。
ところが建築学科は落ちて、第2志望の石油化学科に受かったんです。そこで石油化学科に進学したのですが、その前後は本当に悩みました。高校時代からの迷いが大きくなり、大学時代は人間の頭の中や人間が作り出したものなど、どちらかというと文系的なものへと興味が移りました。だから演劇への関心も増していったんだと思います。一時は文学部への転部を考えたこともありました。
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演劇との出会い
――大学入学後、「劇団そとばこまち」に入団した。
最初は軽音楽部への入部を考えていましたが、バンドを組んでいた同級生が皆東京の大学に行ってしまい、自分1人だけで入る勇気がなかなか出なかった。かといって、サッカーは絶対に嫌(笑)。そうして色々なサークルを見て回っている時、そとばこまちに出会いました。当時の座長は辰巳琢郎さん。「将来は劇団四季のように芝居で食える集団にする」というのが口癖でした。僕が中高の時にやっていたような舞台を完成度高くやっていて、「自分のやりたいことにかなり近い」と思い入団しました。
ところが僕が入った年に、そとばこまちは学内サークルではなくなってしまったんです。梅田の「阪急ファイブ」(現在の「HEPFIVE」)で公演し、学生にしてはかなりの入場料をもらっていたことで、「サークルの趣旨から外れてきている」とサークル間の協議会で問題視されたんです。僕が入学した1980年代初頭は、まだ学生運動が根強かった時代。世間のイメージとは異なる「ノンポリの演劇」を志した人たちの集団がそとばこまちでした。それゆえ、最終的にはサークル棟を追い出されてしまって。僕の入団後の初仕事は、夜中でも大声の出せる、安価な稽古場を探すことでした(笑)。最終的に、地下鉄工事の事務所が入っていた烏丸御池のビルのワンフロアを貸してもらい、そこで稽古を始めました。
当時は朝イチの必須科目を受けて、学校が終わってからは夜中まで稽古していました。アイスホッケー部にも入部しましたが、基礎練で体がガチガチになってしまい、3日で辞めてしまいました。でも、そとばこまちは辞めようとは思いませんでした。もちろん辛かったけど、とにかく楽しかったです。先輩方も本当に面白い方ばかりでした。生瀬勝久さんを始めとして、先輩方は今でも芝居やマスコミの業界で活躍されています。
――学業については。
入学してすぐの時、ある教授に「大学とは、勉強する方法を学ぶ場所だと思ってください」と言われました。「勉強しに行く場所」ではない、ということにすごく納得しました。卒業論文は有機化合物について書きました。テーマは「α‐アニシルネオペンチル系化合物のソルボリシス」です。
――卒業研究の詳細は。
必須科目を落として留年したこともあり、不真面目な学生だと思っていましたが、指導教官だった小松紘一先生と先日食事をした際に「君ほど真面目に実験していた学生はいなかった」と言われました。卒業研究は実験が主で、自分が立てた仮説を検証するための実験をあれこれ考えるのが楽しかったです。1つの仮説の立証に3ヵ月ほど時間がかかり、結局研究はあまり進みませんでした。ただ、分からないことが分かっていく楽しさを味わいました。
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「食うぐらいならなんとかなるで」
――大学卒業後は、一旦メーカーに就職された。
分からないことを探る研究活動は楽しかったけど、「一生続けるのはどうなのか」という気持ちにもなりました。俳優も候補に上がりましたが、芝居が好きすぎて「仕事にして好きじゃなくなったら嫌だ」と思い、最終的には顧客との繋がりがある企業で働くことを決めました。マスコミ志望だったのですが、面接では「理系の学科なのになんで?」と言われ、なかなか採用されなかった。最終的に小松先生の勧めもあり、合成潤滑油メーカーに進みました。
――メーカーでの主な業務内容は。
大きな会社ではありませんでした。他の企業ではやらないような、ニッチな分野の商品開発を主に請け負っていて、僕はカメラのレンズを磨く時にかける、切削液の研究をしていました。サンプルができたら営業の人とカメラメーカーに行き、プレゼンをしました。先方の要望を聞いて、商品を改善していくのが楽しかったですね。
――就職後の劇団との関係は。
就職後もそとばこまちとの縁は続いており、15周年記念公演にゲストとして出演しました。するとその公演後、先輩方が大量離脱してしまった。東京での仕事が増え、座長の座を譲った辰巳さんと、その後を継いだ方の折り合いが悪く、それが他の団員にも波及してしまったんです。
消滅の危機に瀕した劇団を引き継いだのが、同じくその公演にゲストで出ていた生瀬勝久さんと、今NHKで『チコちゃんに叱られる!』のプロデューサーを務めている後輩の小松純也くん。僕も旗揚げに参加することになり、新生そとばこまちが立ち上がりました。
それから3年弱は会社と劇団を行き来していました。西宮北口の会社に行って、終わったら京都の稽古場で稽古して、土日は丸1日稽古……という生活が続いたのですが、年6回公演をやっていたので全く休みがなかった。そのうち「会社と劇団、どちらにも多大なる迷惑をかけるようになるのでは」という危惧を持ち始めました。
――そうした中で俳優業に転身。
生瀬さんが座長になってから初の東京公演で、僕が演出を務めることになりました。ところが同時期に、会社から「ハワイで開かれる学会へ参加せよ」と連絡があったんです。困り果てて生瀬さんに「このままでは会社にも迷惑がかかる。どうすればいいでしょうか」と相談したところ、「食うぐらいならなんとかなるで」と言われました。生瀬さん自身、俳優としてレギュラーを持ち始めていて、本当に俳優業で生計を立てていました。そこで、僕も思い切って俳優業に舵を切りました。生瀬さんは覚えていないそうですが(笑)。
――ご家族の方の反応は。
特に反対はされませんでした。実は父と母も大学時代、演劇を通じて知り合ったんです。大学時代、僕がそとばこまちに入ると聞いた際は「とうとう来たか。これはもう反対できへんで」と言い合ったそうです(笑)。2人とも、1度ハマると抜けにくい「演劇の魔力」があることを重々分かっていた。「あんたは周りに恵まれたからな」と言って、最終的には演劇の方に背中を押してもらいました。
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「ヒマかっ?」への葛藤
――出世作『相棒』には、角田六郎役で20年以上出演し続けている。
メインライターの輿水泰弘さんが、何度かそとばこまちの芝居を見に来てくれたんです。その縁で、僕に角田課長役のオファーが来ました。最初に出演したのは、まだ連続ドラマではなく「土曜ワイド劇場」で2時間ドラマとして放送されていた時代。初登場の回は、ちょうど生瀬さんもメインゲストとして出演されていました。
――20年以上演じていて、変わったことや変わっていないことは。
課長と僕の境目はどんどんなくなっています(笑)。撮影所に行って着替えをして、眼鏡をかけると、もう何も考えなくていいのが、最も大きな変化です。
変わらないことは、主人公たちに投げかける「ヒマかっ?」というセリフ。プレシーズンのリハーサルで口にしたのですが、窓際部署に追いやられた人に「ヒマ?」と聞くおかしさから、スタッフが爆笑したんです。そこから20年以上言い続けています。一時期、これをお決まりのフレーズにすることで飽きられはしないか、という葛藤もありました。でも今は「これだけ世の中に浸透しているんだったら」と割り切って、よく言うようになりました。
――440話ほどの過去の放送回の中で、特に思い入れのある回は。
相棒は複数の脚本家が担当するので、時々「こんな部分があったんだ」という一面が明らかになる、課長のメイン回があります。課長が高校生の時に所属していた、写真部の顧問との逸話が盛り込まれた「あとぴん~角田課長の告白」(シーズン15第9話)、課長の後輩刑事を巡り、課長が主人公の右京さんと対立する「バクハン」(シーズン17第4話)、チンピラに「メガネザル」と呼ばれた課長が激昂する「人生最良の日」(シーズン13第13話)は印象深いですね。
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演技が誰かの救いに
――俳優生活の原動力は。
芝居を通じて、観客の皆さんに「明日からも生きていこう」と思ってもらうこと。僕自身「この舞台と出会えてよかった、救われた」と思った瞬間が何度かあります。自分が演劇に救われたのと同じように、少しでもいいから観客の皆さんの中で救われる人がいればいいな、と思いながら演じています。
――役を演じる上で心がけていることは。
悪役や敵役を演じることが多いです。ただ、役のことは善悪ではなく「強さ、弱さ」という尺度で捉えたいと思っています。人間誰しも弱い部分があり、そこが結果的に「悪いところ」として出てくるので、「弱さを見つけて寄り添ってあげよう」という気持ちで演じています。脚本や設定にはないものを自分なりに深めていくと、段々とその役に対して「俺だけはお前のことを分かってるよ」という気持ちになる。そうなると、演じていて楽しくなりますね。
――「バイプレーヤー」(名脇役)として名高いが、ご自身の思いは。
自分の中で、主役と脇役であまり差はつけたくないと思っています。登場人物は「俺、脇役やな」とは絶対に思っていないはず。俳優は登場人物の人生を背負って画面や舞台に出ていくので、どんな役であれ、自分の出演場面は自分が主役のつもりで演じています。
――角田課長の出演場面では、右京さんではなく課長が主役?
それはちょっと語弊があるけど(笑)。「角田課長物語」というものがあって、僕はその主演をずっと務めている。そして『相棒』という別の物語に、「角田課長物語」の主役がちょっと映り込んでいる、というイメージですね。
――舞台と映像の演じ方の違いは。
舞台は翌日にも公演があるので、「あの場面は明日、もう少し大きな声で言ってみよう」など、試行錯誤を繰り返せるのが魅力です。「毎日同じことをやって飽きないんですか?」と言われたこともありますが、舞台において同じ演じ方というのはないんです。
映像は、その瞬間でのベストの演技を求められるというのが特徴です。昔は撮影が終わってから「何であんな演技をしてしまったんだ」という後悔ばかりでしたが、ある時から「あの時のベストが尽くせたのだから、それでいい」と割り切れるようになりました。
劇団出身の分、やはり舞台に愛着はありますが、最近は映像もどんどん楽しくなってきています。ただ、演劇が全般に大人しくなっているようにも感じていて。僕が若い時に目の当たりにした、先輩方のものすごい演技には敵わないとしても、あの熱量だけでも今の若い人に届けたいと思いながら演じています。
――昨年は読売演劇大賞と芸術選奨を受賞された。
おととし『エンジェルス・イン・アメリカ』と『闇に咲く花』という舞台に出演しました。どちらも「これ以上の作品はなかなかない」と思った素晴らしい作品です。舞台俳優は表立って評価されにくい仕事なので、ノミネートされた時は「ちゃんと観てくれてる人がいるんやな」と嬉しかった一方、「この2作で賞が獲れなかったら、当分無理なのでは」という思いもありました。だから「最優秀賞獲れました!」と連絡があった時は大泣きしました。役者を始めてからの人生が報われたと思いました。
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夢中になれるものを探して
――今後の役者生活の展望や目標を。
ちょっと前までは「とにかく今よりもっと難しいことをやりたい」と思っていました。先へ先へ進んでいく感じがすごくいいなと思って。今後もその気持ちは持ち続けたいですが、これまでの経験を蔑ろにはしたくない。「少し年を取ったから、同じようなことでももうちょっと深められるんじゃないか」と思い直しているところです。体が続く限りは仕事をしていきたいと思っています。
――学生・受験生に向けたメッセージを。
どんなジャンルであれ、夢中になっている人には敵わない。学生生活は夢中になれるものを見つける道のりの途中です。「俺、これに夢中になれるな」というものをいつかは持てるようになろう、という気概を持って、1つ1つ頑張ってください。
――ありがとうございました。
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山西惇(やまにし・あつし)
1962年、京都市生まれ。東大寺学園高校を経て京都大学工学部石油化学科(当時)卒。在学中より「劇団そとばこまち」に所属し、卒業後は合成潤滑油メーカーに就職。劇団との両立を経て俳優業に専念する。2024年、第31回読売演劇大賞で最優秀男優賞を、第74回芸術選奨で文部科学大臣賞を受賞。ドラマ『相棒』(2000〜)では、01年より角田六郎役を演じる。
1962年、京都市生まれ。東大寺学園高校を経て京都大学工学部石油化学科(当時)卒。在学中より「劇団そとばこまち」に所属し、卒業後は合成潤滑油メーカーに就職。劇団との両立を経て俳優業に専念する。2024年、第31回読売演劇大賞で最優秀男優賞を、第74回芸術選奨で文部科学大臣賞を受賞。ドラマ『相棒』(2000〜)では、01年より角田六郎役を演じる。
〈ドラマ『相棒』とは?〉
今年でシリーズ25周年を迎えるドラマ『相棒』。警視庁の窓際部署「特命係」に所属する、天才刑事・杉下右京(演:水谷豊)と熱血刑事・亀山薫(演:寺脇康文)のコンビが、数々の難事件に立ち向かう姿を描く。
山西さんは特命係の隣部署、組織犯罪対策部・薬物銃器対策課の課長、角田六郎役として出演中。普段は飄々と振る舞いつつも、仕事には熱い思いを抱える角田課長。山西さんの名演に注目だ。
『相棒 season23』は、テレビ朝日系列で毎週水曜夜9時放送。(晴)
今年でシリーズ25周年を迎えるドラマ『相棒』。警視庁の窓際部署「特命係」に所属する、天才刑事・杉下右京(演:水谷豊)と熱血刑事・亀山薫(演:寺脇康文)のコンビが、数々の難事件に立ち向かう姿を描く。
山西さんは特命係の隣部署、組織犯罪対策部・薬物銃器対策課の課長、角田六郎役として出演中。普段は飄々と振る舞いつつも、仕事には熱い思いを抱える角田課長。山西さんの名演に注目だ。
『相棒 season23』は、テレビ朝日系列で毎週水曜夜9時放送。(晴)