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拝見 研究室の本棚 第6回 文学研究を支え、創作を見守る本棚。 吉田恭子 教授(人間・環境学研究科)

2026.02.16

拝見 研究室の本棚 第6回 文学研究を支え、創作を見守る本棚。 吉田恭子 教授(人間・環境学研究科)
扉を開けると観葉植物が目に飛び込んできた。絨毯やソファが温和な空気を育む研究室の中央にある机には、巨大で重厚な英英辞典が鎮座している。さながら辞書を中心に書棚が取り囲む研究室で文学に向き合うのは人間・環境学研究科の吉田恭子教授。文学研究のかたわら、翻訳や英文作品の創作にも取り組む。

専門はクリエイティブ・ライティング。「アメリカ文学」「日本文学」のように、著者の国籍、作品の言語による帰属にこだわる従来の研究とは異なり、創作の視点に立って特にアメリカ戦後文学にアプローチしている。数年前からは、文学の創作や翻訳に携わる研究者と共同で「京都文学レジデンシー」を主宰。世界の作家や詩人、翻訳家を京都に招聘し、長期で滞在する経験を通して執筆に取り組んでもらう企画だ。世界中から寄せられた応募作品を読む中で、自身の文学観が欧米日中心の価値観で形成されていることを痛感させられるという。

戦中生まれの両親の書棚には文学全集があったが、幼少期には「手に取ってはいけないもの」だと思い込んでいた。10歳のとき、その中から芥川龍之介の短編「南京の基督」を読んだ。中国南京で娼婦をする少女の物語の「ワケがわからなかった」記憶が今でも残っているという。小中学生時代はミステリに熱中。『少年探偵団』や『シャーロック・ホームズ』のシリーズを、隣町の図書館にまで足を延ばして読んだ。「お小遣いはだいたいハヤカワ・ミステリ文庫に消えていましたね」。高校に入ると多様な本を「乱読」。今いる環境から抜け出したいという思春期の逃避欲に応えるように、自分と離れた舞台をもつ海外文学を多く読んだ。

大学入学当初は英語を忌避し、初修外国語としてフランス語と中国語を選択。両語が役立つと思い東洋史を専攻したが、のちに英文学専攻に舵を切った。きっかけはカート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』。水に落ちると世界が凍ってしまう危険物質をめぐるSF作品だ。SFには苦手意識があったが、科学や宗教が入り混じった世界観とスラップスティック・コメディ的な展開、人間の愚かさへの風刺といった組み合わせに衝撃を受けた。

90年代にバブルが弾けた。出版業界への就職を試みたが決まらず、「なりゆき」で大学院に進学。その後、アメリカに留学した。「1年だけ」と宣言したきり帰らず、留学先の大学に4年間通った。アメリカでは英語訳の哲学書や文学を大量に読まされた。隔週でニーチェを読み切るスピード感は、週に3行しか進まないこともある京大の精読主義とは全く異なるアプローチだったが、振り返ればどちらからも多くを学んだという。

ウェブスター辞典第2版。大きすぎて調べ物にはちょっと不向き。見つけた語を創作のインスピレーションに活用しているという



吉田先生はおすすめの書籍を3冊紹介してくれた。まず手に取ったのは『白球礼讃』(岩波新書)。草野球を愛好する詩人の平出隆氏が綴る野球エッセー集だ。とかく野球談義は選手や球団の話題で盛り上がりがちだ。しかし本書では、野球をやる歓び、観戦する歓びが詩的に言語化されている。「さすが詩人なので、岩波新書なのに冒頭から泣けるんです」。本棚の一部には野球セクションがある。王貞治選手が現役だった時代に子供時代を過ごした吉田先生は、特段野球ファンではない「一般的なアンチ巨人」だったという。野球を講義のテーマにするために調べ始め、野球の魅力を再発見。アメリカでは、9人の選手に打順が巡る機会均等なルールなどを国家のあり方に重ねる見方があるという。「こじつけに思えるときもありますが、野球を詩的に解釈するのがおもしろいです」。



『白球礼讃 ベースボールよ永遠に』/平出隆 著/岩波書店

続いて「寝る前に読むとほんわかする」と紹介してくれたのは短歌集『おやすみ短歌』。3人の詩人が選んだ「安眠にさそう短歌」と、その易しい解説文が収録されている。編者の1人である佐藤文香氏は、「京都文学レジデンシー」に参加した文筆家の1人で、京大でも句会を主宰している。詩の英訳にも取り組む吉田先生。現代詩は日本語が脱構築されているため、むしろ流暢な英語に訳す必要はなく、英語が母語でなくても挑戦できると語る。「パズルみたいで、難しいから楽しいです」。



『おやすみ短歌 三人がえらんで書いた安眠へさそってくれる百人一首』/枡野浩一・pha・佐藤文香 編著/実生社

最後は奈倉有里氏の『夕暮れに夜明けの歌を』。翻訳家の奈倉氏は、2008年に日本人で初めてロシアのゴーリキー文学大学を卒業。本作は大学時代の生活を活写したエッセー集である。ゴーリキー文学大はソ連時代に作家を育成するために創設された。著者の経歴に注目しつつ、青春の記録として高く評価する。寮で友人と貧乏暮らしをする姿や、ともに詩の暗唱にいそしむ姿。「今、学生さんに読んでほしい青春劇」だという。



『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』/奈倉有里 著/イースト・プレス

一度読んだ本は電子化などして処分することも多いそうで、本棚にはまだ読んでいない本が山ほどあるのだという。また、特に詩集は背表紙が薄いものが多く、見つけ出すのにも一苦労なよう。本棚を背に、「詩集の整理が目下の課題」と自嘲気味に語ってくれた。(燕)

手前に積まれた文庫本は奥に並ぶ本の関連書。「文庫本は埋もれてしまうので」

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