文化

拝見 研究室の本棚 第2回 松沢哲郎所長・教授(霊長類研究所)

2008.10.23

高校時代から山岳部に所属。京大に入学したあとも年に120日は山にいたというのだから驚きだ。南極でオーロラを観察したり、土中の微生物を調べたりして、それが学問になることを身をもって知ったと話す。山行のお供は、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』やデュ・ガール『チボー家の人々』など、とにかく長くて読み応えのある本だったという。天気待ちの停滞が何日にも渡ることがあるからだ。「書を捨てよ町へ出よう」がスローガンの時代に、書を携え山に登った。

残りの240日もできるだけたくさんの本を読み、授業を聴いた。カントやヘーゲルの哲学に触れ、メルロ・ポンティの現象学やクワインの集合論なども読んだという。そうして雑多な書物を読み、山で自分の学問というものを考えた結果、たどり着いたのは「自分の頭で考え、目で見て、耳で聞いて実感しないと気がすまない。文字から得た知識だけでは納得できない」というものだった。

山登りで向き合った「自然」というものに対する観察、それは自然の一部である人間を知ることにつながる。自然の観察の仕方を教えてくれたものとして、三冊の本との出会いを紹介してくれた。まず、ジェーン・グドール『森の隣人』。1960年からのアフリカのチンパンジー観察をまとめた本である。人間の条件=「言語・道具・家族」というそれまでの常識を考え直させるリポートで、非常に衝撃的だったという。

つぎにコンラート・ローレンツの『ソロモンの指環』。犬や鳥や魚の行動を観察し、親しみの眼差しをもって書かれた記録で動物行動学の走りとなる。自然の観察が「研究」になるのだという思いを強めてくれたと話す。

そしてフォン・ユクスキュルの『生物から見た世界』。ダニやハエなどの昆虫、犬や鳥には世界がどう見えているか。そんなユニークな研究が存在することに気づかせてくれた本と語り「精神的にはユクスキュルの弟子なのだと思う」と自己分析するほど。我々が普段疑うことのない「我々の(世界)認識」が相対化され、その「認識をこそ認識する」という研究を知るきかっけになった。チンパンジーを研究することになったのは偶然であり、気持ちとしてはずっと哲学をしているつもりだと話す。その外見がチンパンジーの心の研究であり、比較認知科学という学問なのだ、と。

愛知県犬山市の霊長類研究所にある所長室は、とても質素な部屋だった。入り口近くにある本棚もわずかに2つ。うちひとつは所長として必要ないわば行政資料を収める棚で、もうひとつの棚に研究者として必要な本を収めている。実験室には大きな本棚があり、そこには30年分の資料・書籍が収まっているが、身の回りには必要最小限のものしか置かないようにしているのだという。

一般に「本を読む」というときの感覚の本は無く、論文執筆に必要な英語の単行本と自身の著作が並んでいるのみだった。細かく時間が区切られたスケジュール帳は本を読んでいる時間がない事を示していた。今は「本を書く」立場として研究に、教育に、講演にと心の研究を次代につなぐ活動に多忙をきわめている。(秀)

《本紙に写真掲載》