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自由主義を詠む戦中俳句 文書館で京大俳句展

2011.03.05

「特高が来た俺を主義者とでもいふのか」―時計台記念館にて、12月7日から2月6にかけて京大文書館による企画展「「京大俳句」と一九三〇年代の京大」が開かれた。これは昨年当時の資料が寄贈され、また『京大俳句』終刊70年を記念してのことという。記念館一階の歴史展示室には直筆の俳句や当時の写真、発行された俳誌『京大俳句』など20点以上が並んだ。現在の京大俳句は戦後に復刊されたものである。

企画展によれば『京大俳句』の創刊は1933年、京大三高俳句会に参加していた京大卒業生が中心であったという。自由主義を唱えて俳句の理論的研究を強調し、また季語にこだわらない新興俳句の中心的存在となった。京大俳句は30年代後半に前全盛期を迎える。日中戦争が本格化するにつれ、戦争を対象とした俳句を積極的に詠むようになる。

1940年、『京大俳句』の会員15名が特高から治安維持法違反の容疑で検挙され、うち3名が起訴された。検挙・起訴の理由は、『京大俳句』が「プロレタリアリズム、社会主義リアリズムに基づく所謂共産主義思想宣伝」を目的に「階級的反軍反戦意識」を広めたというもの。1940年2月に世に出るはずだった『京大俳句』は没収され、現存しているものが展示されていた。『京大俳句』はこれを最後に終刊となった。

京大俳句と『京都帝国大学新聞』の関係は深く、数か月に一度「「京大俳句」抄」のコーナーが設けれらていた。検挙された中村三山の「特高が来た俺を主義者とでもいふのか」の句などが、1939年12月20日付の紙面に載っている。

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