インタビュー

移ろう時代に鏡面を  対話と文化交流生んだ関西万博の姿 佐野真由子 教育学研究科教授

2025.12.01

移ろう時代に鏡面を  対話と文化交流生んだ関西万博の姿 佐野真由子 教育学研究科教授
9月16日号に続き、万博の特集企画を掲載する。大阪・関西万博は最終日までの一般来場者数が2500万人を超え、盛り上がりのうちに半年の会期を終えた。一方、開幕前は開催意義を問う声や、相次ぐトラブルへの批判が噴出した。そもそも万博とはどのような催事で、どのような開催意義があるのか。そして、今回の万博の成果はどのように捉えるべきか――。

教育学研究科の佐野真由子教授は、30年以上にわたり万博研究を続け、「万博学研究会」の代表も務めている。「時代を映す催事」を巡る論点についてお話を伺った。(晴)

佐野真由子(さの・まゆこ)京都大学教育学研究科教授
1992年、東京大学教養学部教養学科(国際関係論専攻)卒業。1999年、ケンブリッジ大学修士(国際関係論)。2015年、東京大学博士(学術)。国際交流基金、ユネスコ本部文化局文化遺産部勤務ののち、静岡文化芸術大学文化政策学部准教授、国際⽇本文化研究センター海外研究交流室准教授などを経て、2018年より現職。専門は文化政策史、文化交流史、万博研究。

目次

万博から社会を読み解く
万博は時代を映す「鏡」
万博は帝国主義の推進者?
関西万博は「成功」だったが…
開催国になる意義
研究者と万博の距離感

万博から社会を読み解く


――万博研究を始めたきっかけは。

大学2年生の時、岩倉使節団が欧米を歴訪した際の見聞録『米欧回覧実記』を読み込む授業の中で、明治政府が初めて公式参加した、1873年ウィーン万博を知りました。明治維新から間もない日本は、国の将来を左右するものとして万博を重要視しており、国際社会に向けていわば全身全霊で「自己紹介」を行いました。その経緯や結果が興味深く、1873年ウィーン万博を中心に、1862年ロンドン万博から1937年パリ万博まで範囲を広げ、卒業論文にまとめました。以降も「万博の中の日本」を切り口に研究を続けました。

だいぶあとになり、2007年にイギリスで、1862年ロンドン万博の開催全般にわたる実務資料を閲覧したことが研究の転換点になりました。ロンドン万博では日本の美術工芸品が展示されるなど、「日本」が初めて万博に登場し、もともと私もその角度から研究をしていたわけです。ただ、資料に目を通すうち、膨大な資料に「Japan」という文字はわずかしか出てこないことが分かりました。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、日本からの視点で研究している限り、日本が初参加し、どう扱われたかは大事件です。一方、世界全体を見渡して行われる万博全体の運営の中では、日本は多数の参加国の一国でしかなかったことに気付いたのは衝撃的でしたね。以降は視点を世界に広げ、万博それ自体の展開を追い、各時代の国際社会のあり方を明らかにすることを目指しています。

――「万博学研究会」の代表も務めている。

万博の全貌に関心を抱くうち、これは自分1人でこつこつと研究し続けるような対象ではない、と思うようになりました。分野横断的なチームを組んで研究するべきだと考え、まず2010年に少人数の勉強会を開きました。その後、紆余曲折を経ながら、多くの方々の協力で継続し、徐々に拡大してきたのが今日の万博学研究会です。政治学やメディア論、宗教学など、ありとあらゆる専門分野の研究者、また万博の実務に携わっている人々がメンバーに加わり、めいめいの関心をもとに、万博に関する研究や考察を深めています。

2020年に研究会で出版した論集で、初めて『万博学』の語を打ち出し、「万国博覧会という、世界を把握する方法」という副題を付けました。万博という具体的な催事をめぐって、開催国や参加国、あるいは建設業者など、様々な場所に残っている資料を突き合わせて読み込むと、それらがおもしろいようにつながり、当時の世相や国際社会のあり方が浮かび上がってきます。万博を切り口に社会を読み解くことが、私たちの提唱する「万博学」の研究視座です。また、万博は国家を基本単位として成立するものですが、その国家の中で実際に意思決定をし、行動しているのは人間です。国家の中の「人」を単位に考えることを、研究会では大切にしています。



◆書誌情報
『万博学―万国博覧会という、世界を把握する方法』
佐野真由子編、思文閣出版
2020年
8500円+税

大阪・関西万博のマスコットキャラクター「ミャクミャク」



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万博は時代を映す「鏡」


――万博の仕組みや理念とは。

万博は1851年に、ロンドンで初めて開かれました。現在は1928年に締結された国際博覧会条約のもと、国際機関である博覧会国際事務局(BIE)が管轄する公的な催しです。大型万博の場合、会期は半年間で、広大な会場に世界各国が結集してそれぞれの展示を行います。ここまで大規模な公的国際イベントはほかにありません。

万博はフランス語で「Exposition universelle」と呼びならわされてきたように、人類の全活動を普遍的に網羅するものです。食べ物から先端技術まで、日常生活に関わる全ての物事が展示対象に含まれる「万物」博覧会でもあるのです。国際イベントとして並列されることもあるオリンピックとは、実はまったく異なります。

――万博の特徴とは。

万博はただ人々を楽しませるためのイベントだと思われることもありますが、本質的に国家間外交の舞台です。そもそも万博はその創始から、国同士が外交ルートで声を掛け合い、開催することが基本ルールとされています。また今回の万博でも、会期中には連日、日本と他国、あるいは他国同士の高官の間で会合が持たれました。

様々な国や地域、企業などの展示を会場で一挙に観覧できる「総覧性」も特筆すべき点です。見るつもりのなかったものも目に入る、という点では紙の新聞と似ていますよね。ある国について知るならば、海外旅行が最も手っ取り早い手段ですが、全ての国に行けるわけではありません。万博は一度に数多くの国々について知ることができる稀有な場です。

万博は、その開催中の状況はもちろん、準備期間中のさまざまな経過を含め、「世界の状況を反映する装置」であり、時代時代を映す「鏡」なのです。

――現代において万博を開催する意義は。

直接多くの文化に触れてみるからこそ、様々な文化と関わることは面白く、自分の発想を広げてくれると気付くことができます。インターネットの発達を理由に万博の開催意義を疑問視する声もありましたが、「ネットで分かるから、じかに触れる機会など必要ない」というのは驕りですよね。

時代を反映し、世界の縮図として機能する万博は、これからも世界にとって意義のある催事だと考えています。19世紀の人たちが面白いものを作っておいてくれたと、研究してきて素直に思います。一方で、無理に開催する必要があるとは思いませんが、BIEの方に伺うと、現代でも、万博のホストを希望する国をわざわざ探したり、声をかけて立候補してもらったりするような状況にはなっていないそうです。

帰宅ラッシュ時の夢洲駅のホームは、来場者でごった返していた(8月20日午後9時30分ごろ)



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万博は帝国主義の推進者?


――万博と植民地主義の関係について研究している。

万博が始まった19世紀中頃は、イギリスやフランスなど西欧の宗主国が植民地を統治する、帝国主義の時代でした。世界は支配する側とされる側に分割され、その階層構造は万博の場にことさら明白にあらわれていました。私はこれを「初期万博的世界」と呼んでいます。

「初期万博的世界」が変容したのは、第二次世界大戦以降、植民地の独立が進んでからです。1967年のモントリオール万博では宗主国による「植民地展示」が姿を消した一方、新興独立国が一国として参加しやすいよう、「共同館」が整備されました。通常のパビリオンは個々の参加国が建設費を負担しますが、共同館は開催国が費用を負担し、そのなかにブースをもらって展示するので、経済的に貧しい国も万博に参加できるようになりました。ただ、その後の万博でもこの方式が続けられた結果、経済力の弱い途上国がそこに集まり、事実上「植民地群」の看板をかけ替えただけのようになってしまいました。私は近年の多くの万博で、共同館は先進国と途上国の間の不均衡を象徴する存在だと感じてきました。

――万博における植民地展示に目を向け、「万博は帝国主義を助長してきた」と批判する研究者もいる。

世界の隅々まで把握し、支配しようとする帝国主義国家の意図と、万博を結びつける研究が、1990年代を中心に文化研究の領域から提起されました。ただ、それ自体時代の産物であるはずの万博が、意思を持って帝国主義的な演出をしたかのように捉える見方には疑問が残ります。当時の状況を理解するには、万博を支えた制度にも目を向ける必要があります。

国際博覧会条約やBIEなど、現代も万博の基盤となっている国際制度が確立したのは、1910~30年代のことです。当時は当たり前であった植民地構造が、制度にも当然のように織り込まれました。事実、国際博覧会条約は1972年の改正まで、万博が取り上げうる分野として「植民地の開発」を挙げていました。当時の先進諸国にとって、今日の高齢化問題やエネルギー問題と同様、植民地の運営が極めて重要な課題であったことを赤裸々に反映していたといえます。

植民地構造を前提とする当時の人々は、「植民地の開発」をめぐる議論をする上で、「では植民地とはどんなところか」を示す展示を必要としました。それを来場者にわかりやすく、かつ印象的に伝えようとした「植民地展示」が、現代の価値観において批判される面を多く含んでいることは事実です。ただ少なくとも、帝国主義を意図的に促進する催事として万博を捉えることは、私のスタンスとは相容れません。

大阪・関西万博における共同館の内部



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関西万博は「成功」だったが…


――今回の大阪・関西万博は成功したといえるか。

成功か失敗かで言えば、成功だったと思います。世界の国々のあり方の多様性を来場者が感じ取ることができ、人々の間の対話が促進されました。

私は今回の万博の誘致が始まって以来、「熟議型万博」を提唱してきました。先進国と途上国の間の経済格差は今なお残っていて、展示内容にも差が出てきます。ならばいっそ、モノの展示を無くし、人の対話を中心に据えればよいと考えています。パビリオンにはその国の人だけがいて、その人に自国について語ってもらう。それを弾みに、来場者同士も「あの国でこんな話を聞いた」「この国ではこうだった」と、会場中で議論する――。これなら、富める国も貧しい国も平等に参加できます。ここまではなかなか実現できないとは思いますが、今回の万博では、様々な場所で対話を喚起するようなイベントが開かれ、人の交流が盛んだった点は評価できます。

また「世代を作る」効果もありました。今回、チケットの取りづらさや暑さ、行列の長さが話題になり、私が夢洲を訪れた時も、多くの来場者が不満を述べていました。ただ、この状況をポジティブに捉えると、10年ほど経てば「チケット取れなかったよね」「並んで大変だったよね」という共通の思い出になるのではないでしょうか。そういう「2025年大阪・関西万博世代」を作れたのは、大規模で会期も長く、多くの人を巻き込める万博だからこそだと思っています。

――開幕前は建設計画の遅れや、工事中の事故などが連日報道され、盛り上がりに欠けた印象だが。

これだけ大規模な催しである以上、批判があったこと自体は当然です。ただ、必要以上に後ろ向きな論調が開幕前に主流を占めたのは健全とはいえず、「万博を楽しみにするなど恥ずかしい」という雰囲気になってしまったことが非常に残念でした。

開幕前は具体的な展示内容が周知されず、展示に対する期待が芽生えませんでした。また、外交上の特別な重要性や長い歴史、世界が結集する総覧性といった、万博の意義も共有されませんでした。メディアは万博の本質に十分に目を向けず、事故や不備に飛びつくだけで、主催者側もまた、万博の理念を積極的に広報せず、マスコットキャラクターやタレント頼みの宣伝に終始していました。

概して今回の万博は、開幕に向けた機運醸成のあり方が、極めて表層的だったように思います。開幕後、来場者が発信した口コミで徐々に人気が高まり、結果的には盛り上がりを見せましたが、理念や意義がもう少し丁寧に伝わっていれば、より大きな成果が得られたと思います。

――植民地の格差構造は今回も残っていたか。

ある程度は改善されたと思います。今回の万博では、共同館(コモンズ)の割り振りを決める際に、地理的に隣接した国同士があえてバラバラに配置されたことも理由の1つでしょう。これまでの共同館では、地理的に近い国同士をまとめて同じ共同館に配置していたので、旧社会の構造が露わになってしまう「いやらしさ」がありましたが、その点は随分解消されたと思います。

一方で、国家間の格差は今なお残り続けています。万博のパビリオンは、まず大規模な独立館と共同館に区分されます。独立館はその中でも最大型のものとそれに次ぐ大きさのもの、独立館といっても長屋のような建物に区画を持って内部とファサードだけをデザインするものに分けられます。それぞれの格差は歴然としています。

大規模な独立館であるアゼルバイジャン館



区画分けされた独立館



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開催国になる意義


――今回の万博と、1970年の大阪万博の相違点は。

直接的な点では、来場者数はもちろん違いますね。今回の万博の一般来場者は、およそ2550万人。一方70年大阪万博の来場者は、6400万人強です。日本の総人口がようやく1億に届いた時代に、総人口の6割を超える人々が会場に足を運んだことは信じがたいですよね。現代の方が娯楽は増えていますから、万博の相対的なインパクトは、時代が進むごとに低くなっているのかもしれません。

私が強調したいのは「戦争からの距離感」です。70年大阪万博の会場での記録映像を見せていただいたとき、感想を聞かれた来場者が「ああ、戦争が本当に終わったのだと思った」「平和な世の中になったと実感した」などと口を揃えて言っており、頭を殴られるような衝撃を受けました。70年万博は日本の経済成長との関係でばかり語られがちですが、考えてみれば、当時は終戦から四半世紀しか経っておらず、戦争の記憶がまだ生々しく残っていたのですね。70年大阪万博は、日本で世界規模の催しが行われ、外国の人と交わって、当時、一般の人々が「平和が来たのだ」と実感できる機会だったのだと思います。

70年万博では、小松左京や梅棹忠夫など、知識人たちが自主的に万博の理念について議論した内容を、公的機関が積極的に取り込み、対外的な説明に活用していきました。世の中も理念を欲していたのではないかと思います。それに比べて2025年万博を後世から振り返ると、理念的な説明を歓迎しない、青臭い議論を尊ばない世相が時代の特徴として見えてくるのかもしれません。

――今回の万博で、日本が開催国になる必要性はあったのか。

70年大阪万博は、アジアの国が初めて開催国になった点で、万博史において有意義でした。ただ、日本はそれ以降、開催国を務めた回数が多すぎるように思います(※)。万博の開催国になることは、全ての国が経験すべき貴重な機会です。2025年の日本が、他国と争ってまで開催国になる必要があったかには疑問が残ります。

2010年の中国、12年の韓国、17年のカザフスタン、20年のUAE(コロナ禍のため実際に開催されたのは21~22年)、30年のサウジアラビアなど、21世紀に入って万博の開催国は多様化しています。様々な国がホストを務めることは、長い目で見れば格差なき世界への道筋にもなります。何度も万博を開催した日本には、未経験の国に開催を委ね、後押しする役割があるのではないでしょうか。


(※)日本で開かれた万博は表の通り。
現代の万博は「登録博」と「認定博」に大別される。登録博は最低5年の間隔をとって開催され、テーマが広範で、開催期間が最大6か月と大規模である一方、認定博は登録博と登録博の間に開催され、特定のテーマに絞って小さめの規模で行われる。開催期間は最大3か月。園芸博はBIEではなく国際園芸家協会の管轄だが、BIEが認定すると認定博の一種として開催される。なお登録博と認定博は、1996年以前はそれぞれ「一般博」「特別博」と呼ばれていた。

1970年大阪万博のシンボルだった『太陽の塔』



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研究者と万博の距離感


――今回の万博には、京大を含め大学の研究室も出展した。最後に、アカデミアと万博の関わりについて伺いたい。

万博はあらゆる人に参加の門戸を開いています。研究者個人が必要性と機会に応じて出展することは、何の問題もないと思います。

組織としての大学が万博に関わることもありました。関西のいくつかの大学では、学内に万博推進室のようなものを作って、学内で万博関連の企画を開いたり、学生をボランティアとして派遣したりしていました。経営面を含めて様々な狙いがあったのでしょう。そのように積極的に参加する姿勢もあれば、京大のように学問の府として超然とする姿勢もあり得ると思います。

――佐野先生自身は、ここ数年万博とどのように関わってきたのか。

今回の万博では、準備段階からいくつかの委員会に関わりました。主催団体である2025年日本国際博覧会協会の非常勤理事も務め、会期中はBIEが主導する、全公式参加国を対象とした国際審査団にも加わっていました。研究者としての純粋な関心に加え、研究者の現役真っただ中の時期に、せっかく万博が日本で開催される以上、機会をいただけるなら何らかの貢献をしたいという意識もありました。多くの関係者とも交わり、本当に勉強になりました。これらの仕事のほか、個人としての研究調査や万博学研究会での活動、シンポジウムなどへの登壇、まったくのプライベートでの訪問も含めると、夢洲には30回ほど足を運びました。この半年はかなり「万博漬け」でしたね。

ただ、私は万博そのものを研究テーマにしている以上、主催者側とかかわりを持っても、批判すべきことは批判し、自由に発言し続けられる距離感を絶対に保たねば、と考えていました。メディアの取材を受ける際にも、綱引きの連続でした。自分の研究と、現在進行形の社会の動きがここまで密接に関係するのはまたとない試練で、苦しいこともありましたが、結果としては自分にしかできない関わり方で、今回の万博である程度の役割を果たせたと思っています。いろいろな意味で貴重な数年間でした。

――今後の研究の展望は。

目下の研究課題としては、第二次世界大戦の終戦前後、ヨーロッパ各国の万博を巡る動きに関心を持っています。1945年6月にヨーロッパ戦線が収束すると、休止状態にあったBIEが復活し、西欧諸国の間で今後の万博の開催に関する話し合いが持たれました。意外なことに、その場では植民地の存在を前提とする戦前からの万博の仕組みが何の変質もなく議論されます。戦後初の大型万博となった1958年ブリュッセルでも引き続き植民地展示が行われました。第二次大戦が終結するという感覚は、日本と西欧では相当違ったのだろうと推察されます。万博を通じて、その点を掘り起こしていきたいです。

万博学研究会では、個々の人の単位まで掘り下げて研究するという原点に立ち返って、今後も活動していきたいです。また、研究会で年1回発行しているジャーナル『万博学/Expo-logy』の第4号を今月出版します。25人の論者がめいめいの視点から、今年の万博について考察した論集です。ぜひ手に取っていただければと思います。

――ありがとうございました。

私立大阪高校の生徒が関西万博で実施した、放射線科学について来場者に説明する活動の様子(25年9月16日号より)





◆書誌情報
「万博学/Expo-logy 第4号」
万博学研究会編、思文閣出版
2025年
2500円+税

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