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〈映画評〉秋の実写邦画特集 『国宝』『宝島』/『大長編 タローマン 万博大爆発』/『遠い山なみの光』

2025.10.01

〈映画評〉秋の実写邦画特集 『国宝』『宝島』/『大長編 タローマン 万博大爆発』/『遠い山なみの光』
長く続いた猛暑もようやく終わり、外は涼しくなってきたが、実写邦画界は今なお熱い! 今号では、今年公開の実写邦画4作品を特集する。話題の超大作から、コアなファンに愛される奇作まで……。芸術の秋、本映画評をきっかけに、映画鑑賞にどっぷり浸かるのも良いだろう。(編集部)

目次

「上映時間3時間」は妥当? 『国宝』『宝島』
でたらめであることの魅力 『大長編 タローマン 万博大爆発』
語り得ない記憶と痛みを描く 『遠い山なみの光』

「上映時間3時間」は妥当? 『国宝』『宝島』


映画の上映時間は、実写なら2時間前後の場合が多く、2時間30分を超えると大作の部類に入る。3時間近い映画はそうそうないし、観るのには勇気がいる――評者の印象は、おおむねこんなところだ。ハリウッドですら3時間近い映画はそうそう作られない。まして、僅かな製作費で恋愛モノやミステリーモノばかり濫造している実写邦画はなおさら、と思っていた。

今年、実写邦画界に2つのビッグタイトルが現れた。『国宝』と『宝島』である。『国宝』は吉田修一の、『宝島』は真藤順丈の同名小説を原作とする。上映時間は『国宝』が175分、『宝島』が191分と3時間前後の大ボリューム。実写邦画の製作費は平均で3〜4億円、大作でも10億円と言われている中、『国宝』は12億円、『宝島』に至っては25億円が費やされたという。両作とも、ここ最近の実写邦画としては想像もできなかった超大作だ。

両作のあらすじを簡単に紹介しておこう。『国宝』の主人公は極道の息子・喜久雄(演:吉沢亮)。抗争によって親を失った彼は歌舞伎役者に引き取られ、跡継ぎの俊介(演:横浜流星)と共に切磋琢磨していく。その喜久雄が「人間国宝」になるまでの一代記である。一方『宝島』の舞台は第二次大戦後、アメリカ統治下の沖縄。米軍基地から物資を盗む「戦果アギヤー」の首領・オン(演:永山瑛太)の失踪の謎を、刑事のグスク(演:妻夫木聡)ら3人の視点から描き出す。『国宝』は1960年代〜2010年代、『宝島』は1950年代〜70年代を舞台としており、年代記的な構成をとることも共通点の1つだ。上映時間が長くなるのも必然といえば必然である。

まず両作とも、演出や演技の質の高さに目を見張る。『国宝』は現役の歌舞伎役者や舞踊家の指導のもと、主演の吉沢亮は1年以上、横浜流星も1年近い稽古を受けたという。2人が共演する終盤の『曾根崎心中』は息を吞むほどの凄みに溢れ、吉沢がクライマックスで披露する『鷺娘』の踊りは艶やかさと妖しさが同居する。評者は全く歌舞伎に疎いが、映画ではなく本物の歌舞伎を芝居小屋で観ているような錯覚に陥った。

『宝島』は、終盤の「コザ暴動」のシーンが白眉をなす。軍人が沖縄の住民を車ではねたことで、沖縄の人々の怒りが爆発する。米軍関係者の車を片っ端から横転させ、米軍統治の象徴だった嘉手納基地に押し入ろうとする。何百人というエキストラが動員され、妻夫木聡の渾身の演技も相まって、沖縄の人々の怒りや悲しみがまざまざと伝わってくる、本作を代表する名シーンとなった。

ただ、両作ともシナリオにはいくつか難点が見受けられる。『国宝』は喜久雄と俊介にフォーカスし、2人の栄枯盛衰を見事に描き出したが、その分幼馴染や婚約者、恋人など、喜久雄の生涯に現れる女性たちが割を食っている。十分な登場時間が与えられないため、唐突に登場して唐突に退場していく展開が多発し、彼女らの生き様に感情移入することはままならない。また本作は、年代が切り替わると喜久雄の置かれた状況が一変し、その説明も随分あっさりしているため、どこかぶつ切りで、ダイジェストのようなシナリオに感じられた。

『宝島』はオンの失踪の謎を物語全体の推進力としつつ、占領から独立へ向かう沖縄の歴史を描く構造となっているが、2つの要素はあまり繋がり合っていない。また前者の描写はあまりに淡泊で、3時間超の物語のフックとしては力不足だ。後者の描きようは気合十分で、沖縄が辿った運命を長尺で描き出した功績は大きいものの、どちらが本筋か分からず、物語に没入しきれない観客も多かったのではないか。オンの魅力が十分に描かれないまま早々と退場してしまう割に、終盤の真相解明シーンはやけに長いなど、時間配分の面でも難があるように思えた。

こうしたシナリオの難点は、「3時間」という上映時間がむしろ短いゆえに生まれたように、評者には映る。もちろん一観客としては、3時間ぶっ通しで同じ映画を見続けるのは辛いものがあった。ただ、『国宝』は女性たちの生き様と行く末を更に奥深く描写していたら、芸を極めるために周囲を切り捨ててゆく喜久雄の恐ろしさが際立ったはずだ。『宝島』も、オンの人物描写にもっと時間を割き、グスクたちが20年もオンを捜し続ける動機づけを補強してほしかった。この点、3時間の映画として一気に描くのではなく、2部作構成ないし配信ドラマなど別の形式を採り、より長い時間をかけて描くことも適していたのではないかと思えてくる。一方、重厚な演出や圧巻の演技を大スクリーンで楽しめる点で、映画という形式のメリットは大きい。どちらを取るのかは難しいところだ。

長大な上映時間と桁違いの製作費をもって放たれた『国宝』と『宝島』は、実写邦画でも海外映画のような超大作を作れる、という希望と共に、重厚な物語を短い上映時間にまとめ上げねばならない、映画という形式の難しさを示してくれた。『国宝』は8月中旬に興行収入100億円を突破し、9月末時点では154億円と、実写邦画の最高記録・174億円を射程圏内に収めた。傍ら、『宝島』は初週の興行収入ランキングが7位、2週目は9位と厳しい船出だ。京大周辺のシネコンでは上映回数が早くも1回に絞られており、製作費と興行成績は比例するわけではない、という厳しい現実を見せる。とはいえ、興行成績が作品の価値を損なうことはいささかもない。実写邦画界に希望を見せてくれた両作に続き、アニメ映画の天下を打ち破るような、新たな大作/名作が現れることに期待したい。(晴)

『国宝』の主人公・立花喜久雄(演:吉沢亮) ©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会


『宝島』より、左からヤマコ(演:広瀬すず)、グスク(演:妻夫木聡)、レイ(演:窪田正孝) ©真藤順丈/講談社 ©2025「宝島」製作委員会


◆映画情報
『国宝』
原作 吉田修一(朝日文庫/朝日新聞出版)
監督 李相日
脚本 奥寺佐渡子
配給 東宝
2025年6月6日より公開中
上映時間175分

『宝島』
原作 真藤順丈(講談社文庫)
監督 大友啓史
脚本 高田亮ほか
配給東映/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2025年9月19日より公開中
上映時間191分
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でたらめであることの魅力 『大長編 タローマン 万博大爆発』


1970年代、1本の特撮ヒーロー番組が放送された。その名も『タローマン』。「若い太陽の塔」を模した巨人が、これまた岡本太郎の作品を模した奇獣と戦う。でたらめな存在である奇獣には、CBGこと地球防衛軍の銃やミサイルが効かない。そこに現れるタローマンがまさしくでたらめな攻撃をしかける。全く予測不能な展開だが気がつけば地球は守られている――

そんな設定で、2022年にNHK Eテレで放送された深夜の5分番組が『タローマン』だ。放送が反響を呼び、一部の熱狂的ファンを獲得して今回の映画化に至った。映画の舞台となるのは1970年の大阪万博と、昭和100年に行われる全宇宙の祭典「宇宙大万博」。タローマンとCBG、そして未来人が2つの時代を行き来して奇獣と戦い、万博開催を目指す。

昭和100年の世界は、タローマンが体現するでたらめとは対極の秩序と常識にあふれる世界だ。ここではでたらめとみなされるものは排除され、「正しい」ものだけが認められる。未来人のエランは、「常識検定1級」を誇らしげに掲げ、効率だけを追求した栄養食を摂取する。一方で、「常識人間」になれなかった人々は都市の外にトタン屋根の小屋を建てて暮らす。効率や秩序だけを求める世界や格差社会の行く末を暗示しているのか。

と、教訓めいたことを感じそうになる頃にタローマンが現れる。奇獣を前に、ビルに腰掛けたり転がったり。街は大抵タローマンが壊す。天邪鬼だから人々に応援されると戦いをやめる。そして引用される岡本太郎の言葉の数々。目の前の映像に思考が追いつく前に、岡本太郎の常識を破壊するような思考が投げ込まれる。意味があるようで意味がない。そうかと思えば不意に胸に刺さるセリフ。それこそが『タローマン』の魅力だ。

ただ、感じたのは良くも悪くもファンの期待に映画がしっかり応えていたことだ。友情や親子愛が描かれ、敵役の奇獣はタローマンが結局倒す。ファンにはおなじみ、社長のあのセリフももちろん用意されている。大人から子供までファンなら誰もが楽しめる2時間だ。もはや予定調和ではないか。映画化とグッズ展開、大衆化の中で、ファンの期待を裏切れなくなったのだろう。

でも、きっとそれでいいのだ。映画の後半に印象的なセリフがある。「でたらめなんてうまくいった人が言っているだけじゃない」。いくら岡本太郎の言葉に心動かされても、現実を見れば、学校へ行って企業に就職する人が大半だし、世の中はそのおかげで回っている。映画では秩序ある世界の価値もはっきりと認めている。どんな価値も否定しない、それこそがでたらめの寛容さであって魅力だ。大切なのは1つの価値観が全てではないということだ。秩序ある世界に疲れたら、タローマンのでたらめな行動に困惑してみるのもいい。

これ以上それらしい考察を書くのは映画の趣旨に合わなそうなので、あとは興味のある人に映画館で確認してほしいというほかない。分からないことの楽しさがもしかしたら分かるかもしれない。出町座では10月9日まで上映。以降続映未定。(省)

芸術の巨人・タローマン Ⓒ2025『大長編 タローマン 万博大爆発』製作委員会


◆映画情報
監督・脚本 藤井亮
配給 アスミック・エース
2025年8月22日より公開中
上映時間105分
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語り得ない記憶と痛みを描く 『遠い山なみの光』


エンドロールが流れた時、「これで終わり?」というのが正直な感想だった。決定的な結末が来ることを予想して待っていたので、意外な終わり方に肩透かしをくらった感覚を抱いた。それでもなぜか、スクリーンに映し出された物語に不満はない。これこそ、本作の魅力ではないか――。

1980年代のイギリスで暮らす日本人女性(演:吉田羊)はかつて、長崎に住んでいた。そんな彼女の2人めの娘・ニキ(演:カミラ・アイコ)はライターとして、母のナガサキでの経験について書きたいと思い、渡英以前の話を聞きたいとせがむ。女性は初めは語りたがらないが、少しずつ記憶を解きほぐしていく。ここまでとは別軸で、1950年代の長崎を舞台に、緒方悦子(演:広瀬すず)と佐知子(演:二階堂ふみ)の物語が展開されていく。悦子は専業主婦として夫に尽くしながら、おなかの子とともに幸せな家庭生活を送っていた。一方佐知子は、シングルマザーとして娘を育てながら、アメリカ軍兵士と交際しいつかは渡米することを夢見ていた。対照的ながらも2人は出会い、友達として仲を深めていく。2人とも戦時中に原爆による地獄を見た者で、「被爆者」として受けた傷が残っている。そんな共通点が2人を近づけた。イギリスと長崎でそれぞれ進んでいく物語が、どうつながるのかが、本作の見どころの1つである。

ニキ以外の女性3人には、それぞれにナガサキの記憶があり、そこから逃れたいという思いと逃れられない苦しみを共通してもっている。しかし本作の中で、3人を苦しめている原爆や戦争の映像は登場しない。3人の語りと作中で流れる爆撃機の音だけが戦争の記憶を物語っているのだ。この「多くを語らない」表現方法により、観客はその痛みを自ら想像し、自分の近くに感じることができる。これを助けるのは役者たちの演技力だ。彼らは決して多くはない台詞のなかで、仕草や表情、声色で語る。たとえば、徴兵中で悦子が被爆した事実を知らない夫が、「被爆するとおなかの子に影響することもあるから、君が被爆しなくて本当によかった」と悦子に話すシーン。その言葉を聞いた悦子がおなかに手をあて、視線をやるところには、特に台詞はなくとも悦子の複雑な胸中がうかがえる。また、物にフォーカスしたカットが多いことも特徴的だ。部屋に置いてある雑誌や写真、手の仕草などが、時に断片的にも感じるほどアップで抜かれているのが印象深い。これら1つひとつが、結末へのヒントになっている。注意深く観ていなければ見逃してしまうものも多い。観終わったときに、すべての疑問が解決するわけではなく、少しわかりにくい結末だと感じるかもしれない。だが、だからこそ何度も観たくなるのかもしれない。曖昧で説明されない部分に解釈の余地があり、それこそ文学や映画の醍醐味である。

戦禍の地獄を経て、戦後急速に変化していく1950年代の長崎で、「被爆者」としての自分や被爆の記憶から自由になりたいと願う悦子と佐知子。悦子は「今はあんときとは違うとです。私たちも変わるとです」と言い切り、佐知子も「女は目覚めなきゃ」と微笑む。これらの台詞は、1980年代のイギリスでニキによってもう一度語られる。「私たちは変わる」。その決意が彼女らにとっての「光」なのかもしれない。しかしやはり光は遠く、落ちる影は濃い。その光にも影にも心を震わされる一作。(悠)

戦争を乗り越え、「希望ならたくさんある」と微笑む悦子(左)と佐知子 © 2025 A Pale View of Hills Film Partners


◆映画情報
原作 カズオ・イシグロ
監督 石川慶
配給 ギャガ
2025年9月5日より公開中
上映時間123分
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