〈隣町点描 #4〉天王山(京都府大山崎町) 夏は受験の……天王山に登ってみた
2025.08.01
宝積寺三重塔。秀吉が一夜で造らせたという逸話が残る近世以前の建築で、国の重要文化財に指定されている
本稿は、京都市に隣接する12の市町から、半日程度の散策に適したエリアを1つずつ紹介していく企画だ。4回目の今回は、京都府乙訓郡大山崎町の天王山を訪問する。(汐)
元受験生、あるいは受験生のみなさんは「夏は受験の天王山」という言葉を一度は耳にしたことがあるだろう。明智光秀と羽柴秀吉が天下を賭けて争った山崎合戦で、戦地を一望する天王山の占拠が雌雄を決したことから、天王山は勝負どころを象徴する山として広く知られている。9月に院試を控えた筆者にとって、今夏はまさに「天王山」と言えそうだが、試験勉強が不得手中の不得手な筆者、制することができるか甚だ不安である。それならまずは本物の天王山を制する感覚を掴んでおけば安心だろうということで、現実逃避、もとい士気向上をめざして登ってみることにした。
夏が登山シーズンだというのは気温の下がる高山だからこそであって、天王山のような低山となれば話は別だ。麓とほとんど変わらない高温の中で身体を動かすから熱中症や脱水の危険があるし、蜂や蚊も活発な季節で刺されてはかなわない。それでもあえて登るとすれば、気温の低い朝に限る。熱中症対策に凍らせたスポーツドリンクを携えて、朝6時に自宅アパートを出発した。目指す天王山のお膝元、大山崎駅までは自転車と阪急電車で京大のある吉田から40分ほどの行程である。
摂津と山城の国境にあたる大山崎は西国街道が通る交通の要衝で、天王山と淀川に挟まれた狭い場所に鉄道の線路や道路が束になって通っている。大山崎駅前の道が旧街道にあたり、旧家が点在する町並みには宿場町として栄えた面影がある。日本の荏胡麻油生産はここが発祥で、神社に隷属して油原料となる荏胡麻の独占的購入を認められた大山崎神人の拠点として中世から栄えた。駅の西側にある離宮八幡宮は製油発祥地の氏社として、全国の製油業者の信仰を集めているらしく、境内には四日市や東京など各地の講の名前があった。
町の裏手を走るJRの線路を越えるとすぐに天王山の登り口。急な坂道を森に分け入るとクマゼミの声に包まれ、慣れぬ早起きでぼんやりした頭に高い鳴き声が響くのがつらい。案内図によれば、標高270㍍の山頂までは2㌔弱の道のりだ。天王山の名の由来となった牛頭天王を祀る酒解神社を始め、山中に点在する寺社や史跡を巡るようなルートになっていて、山歩きに退屈することもなさそうである。
登山口から10分弱進むと宝積寺(宝寺)の仁王門がある。平安遷都以前に聖武天皇の勅願で創建したとされる古い寺院で、太宰府へ下る菅原道真がこの寺で出家したり、山崎合戦で秀吉が布陣したりと、興味をそそる歴史が多い。山腹の小さな境内にお堂がひしめき合い、桃山時代に秀吉が一夜で建てたと伝わる丹塗りの三重の塔が目をひく。観光地としての知名度は低そうだが、それが不思議なくらいの見どころの多さだ。
登山道は寺の裏に回り込むように進んでいく。宝積寺より先は舗装がなくなり、いよいよ登山道らしい様相だが、道は階段状に整備されていて歩きやすい。山のなかはさすがに少し涼しいのか、クマゼミの声は麓に遠のき、ミンミンゼミの鳴き声が響いている。時刻は7時を少し回ったところ、登山道が日陰になっているため朝の涼しさを存分に享受でき、身体を動かすのもそこまで苦にならない。
夏の低山は人が少ないと油断して歌いながら登っていたら、わき道からひょっこり人が出てきて恥ずかしい思いをした。進んでいくと意外に人が多く、頂上に着くまでに10組くらいの登山客に出会う。子連れで来ている軽装の方もいて、地元の人の手軽なハイキングコースになっているらしい。
道中はさしたる難所もなく、拍子抜けするほど簡単に頂上についた。麓から登頂までは、ゆっくり登っても1時間もかからない。天王山など簡単に制することができると書けば、今夏が勝負どころの人間にはとても耳触りがいい。頂上は広場として整備されており、椅子がいくつか置かれて休憩できるようになっている。木が生い茂っていて眺望はないが、木が陰をつくって涼しいのが良い。登った記憶が新しいうちにと、スマホでこの記事の下書きをしたためる。山頂は静かなもので、屋外ながら意外に集中して作業ができる。
記事の構成を決めたところで山を降りることにした。山頂から下ったところに、旗立松展望台と青木葉谷展望台という2つの展望台がある。旗立松展望台はその名の通り羽柴軍が山崎の戦場に向けて旗を掲げたところで、光秀が布陣した勝竜寺城方面を望む。眼下には淀川・桂川・木津川の3川合流と大山崎ジャンクションを望み、山崎が入京の関門になる要所であることが見て取れる。青木葉谷展望台からは、住宅やマンションが建ち並ぶ北摂の家並みの先に大阪都心を一望できる。日本有数の経済都市に発達した秀吉の城下町を、勝利の地たる天王山から望むというのは独特の感慨がある。
思えばここで地歩を固めた豊臣氏の天下も、半世紀足らずで終わりを迎えた。天王山を制したからといって、後の安泰が保障されているわけではない。強引に教訓めいたものを引き出すならば、勝利という明確な目標を持って天王山を制するのは、愚直にやればじつは容易く、天王山を制したあとに、どのように振る舞うかが重要ということになるだろうか。そういう意味で、勉強が大詰めになる受験生の夏を「天王山」になぞらえるのは示唆的だ。夏を制しても、受験を制したとしても、その後の安泰が保障されているわけではない。せっかく時間のある夏休み、合格に向けて試験勉強に躍起になるのもよいが、めざす合格の先に何を望み、そのためにどう振る舞うべきか、考えてみる時間を作るのも大切かもしれない。
もっともらしい教訓を捻り出してみたところで、試験勉強から逃避していて良い理由にはならない。筆者は試験勉強が不得手だとか泣き言を言っていないで、差し当たっては目の前の試験に向けて、専攻分野の知識涵養につとめるべきなのだった。暑さを恐れて早く家を出たのが幸いして、午前11時には帰宅できたから、自宅で机に向かうことにする。休日ならようやく起きたばかりという時間だから、一日がはじまる前にうまく気分転換できたような心持ちで、早起きはいかにも三文の得である。
天王山に抱かれた大山崎の町には、今回紹介した宝積寺のほかにも、宇多法皇の祈願した山崎聖天や、千利休の茶室がある妙喜庵といった名刹が多い。ハーフティンバースタイルの近代の洋館を擁する大山崎山荘(本紙2022年12月1日号に展示評掲載)も魅力的だ。小さな町で、ここに挙げたスポットは徒歩でも難なく回ることができる。京大周辺から1時間以内でアクセスできるから、興味があればぜひ訪れてみてほしい。
市町村情報
京都府乙訓郡大山崎町人口(2024年):1万6千
歴史:
山崎宮造営(653年)、宝積寺開山(724年)、荏胡麻油の生産がはじまる(9世紀後半)、大山崎神人による油販売の独占(14世紀)、山崎合戦。羽柴秀吉が明智光秀破る(1582年)、離宮八幡宮の神領として自治が行われる(江戸時代)、大山崎町が町制施行(1967年)
歩いたルート:
大山崎駅→離宮八幡宮→宝積寺→天王山山頂→旗立松展望台→青木葉谷展望台→大山崎駅
滞在時間:約3時間


