文化

〈隣町点描 #1〉大津(大津市) 湖水に育まれた歴史と文化のまち

2025.04.16

〈隣町点描 #1〉大津(大津市) 湖水に育まれた歴史と文化のまち

湖面を悠々と水鳥が泳ぐ。観察するとそれぞれ個性があって面白い


京都に住んでいるうちに、隣町に行かずにおくのはあまりにもったいない。就職や進学で京都を離れてしまえば、帰省や観光で京都に遊びにくることはあっても、わざわざ近郊の町まで足を運ぶことは考えづらい。京都に住んでいる今しか行けない場所は、金閣寺でも清水寺でも四条のお洒落カフェでもないのだ。休日のおでかけは、ぜひとも京都市を飛び出そう。

本稿は、京都市に隣接する12の市町から、半日程度の散策に適したエリアを1つずつ紹介していく企画だ。初回の今回は、大津市の大津駅周辺を訪問する。(汐)

金曜日の昼下がり、やってきたのは山科駅。この日は午後が丸々空いていたため、陽気に誘われて大津に行くことにしたのである。山科から大津へはJRでひと駅5分180円、思い立ったらすぐ行ける手軽な距離感が良い。

県都の名を冠する大津駅だが、駅前は小さな雑居ビルがいくつか並ぶくらいで、いかにも安閑たる雰囲気だ。駅からまっすぐ伸びる通りが下り坂になっていて、突き当りに湖面がのぞく。滋賀の代名詞でもある琵琶湖を、まずは見に行くことにしよう。

湖岸までは駅から歩いて10分もかからない。街を背にして湖水を望むと、北に視界を遮るものは何もない。京都にも鴨川があるとはいえ、ここの空の広さは別格だ。ゆったりとした空気に促されて、水べりに腰をおろす。誰かがオカリナの練習をしているらしい。素朴な音色が春の湖畔によく似合う。

港に入る遊覧船の汽笛が短く響いた。我に帰って時計をみると、1時間近く経っている。大津のまちも歩きたいから、そろそろ行こうと立ち上がった。今度時間があったら一日過ごすつもりで、本や弁当を持ってきても良さそうだ。

大津のまちにはふるい町家が方々に残っている。町かどにあった案内板によると、都に近い大津は人や物資が集まり、東海道最大級の宿場町として賑わったそうだ。情緒ある町並みを進むと、朱塗りの楼門が立派な神社を見つけた。鳥居の扁額には「長等神社」とある。桓武天皇が飛鳥から遷した大津京の守りとして、7世紀に創建された歴史ある神社らしい。忘れがちだが、大津は京都からみて先輩にあたる古都なのだ。

長等神社は本殿を回廊が取り囲む珍しいつくり。この回廊を一周して神前でお参りするというのを、歳の数だけ繰り返すと、魔除や縁結び、安産などの祈願になるらしい。せっかくなのでやってみる。回廊の中は少しひんやりした空気で身が引き締まる。神前にもどるたびに拝礼するのを何度も繰り返すうち、だんだん無心になってきた。21周もするとちょっとした達成感があって、何か清々しい気持ちで本殿を後にする。これこそが魔除の効験なのかもしれない。

長等神社。朱塗りの楼門は都城の入口を思わせる



下宿にご飯が炊いてあるから、夕飯どきまでに帰ることにする。駅に向かう道中に、アーケード街があった。昔ながらのお店が多く、和やかな雰囲気が素敵だ。ちょうど小学校の下校時間で、子どもらの楽しげな声が響いている。

商店街には川魚店が並ぶ。珍しがって覗いてみると、琵琶湖で獲れた淡水魚を売っていた。モロコがちょうど旬だというので、白焼を1串買って夕餉に頂くことにする。すぐ帰れる距離なので、気軽に食べ物を買えるのが良い。商店街を抜ける手前あたりに、杉玉を吊るした店構え。なんでも大津で唯一残った酒造だとか。湖魚のお供にちょうどいいと思って、清酒の小瓶を買って帰る。

古いまち並みに現れる商店街



JRと地下鉄を乗り継ぎ、吉田のアパートに着いたのは夕方6時くらい。お土産があれば家に帰ってからも遠足気分が続く。初めて食べるモロコは、雑味がない淡白な味だが、味付けをしない白焼でも、しっかり身の味が立っている。少しお醤油を垂らしたり、大葉に巻いて食べたりしても楽しめる。お供に求めた「浅茅生」はすっきりとした少し辛めの酒で、食事が進む美味しさだ。

モロコの白焼(左)と小アユの佃煮(右)。地酒と一緒に頂くのが格別



山の向こうの大津のまちには、長い歴史と雄大な湖の幸にあずかり、京都とはひと味違う空気が漂っている。滋賀に行っても琵琶湖だけ見て帰る人が多い印象だが、ぜひ町なかにも足を運んでみてほしい。


市町村情報
滋賀県大津市
人口(令和6年):34万5千
歴史:
667年 近江大津宮おかれる
8世紀 比叡山開山
1586年 秀吉が大津城を築く
17世紀 東海道大津宿おかれる。膳所藩、堅田藩がおこり城下町を形成
1872年 滋賀県庁おかれる

歩いたルート:
大津駅→なぎさ公園→長等神社→ナカマチ商店街→大津駅
滞在時間:約4時間

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