文化

〈隣町点描 #2〉宇治・白川(宇治市) 平安の歴史が眠る製茶の里を訪ねて

2025.05.16

〈隣町点描 #2〉宇治・白川(宇治市) 平安の歴史が眠る製茶の里を訪ねて

白川の茶園。覆下栽培が行われている


本稿は、京都市に隣接する12の市町から、半日程度の散策に適したエリアを1つずつ紹介していく企画だ。2回目となる今回は、宇治市の宇治地区と、東郊の白川地区を訪問する。

夏も近づく八十八夜、5月といえば茶の季節。今が「旬」の隣町はここだ、ということで、京阪電車に揺られて茶のまち・宇治を目指している。出町柳から宇治へは乗り換え含めて約30分。休日の昼前とあって、観光客の姿が多い。宇治は京都南郊の景勝地で、貴族らの別業の地として宮廷文化が花開いた。「宇治十帖」の舞台になったこともあり、王朝文化の残り香を求めて多くの観光客が訪れる。平等院鳳凰堂や源氏物語ミュージアムなどの有名スポットは、今日も軒並み混雑していることだろう。無計画に宇治までやってきたが、筆者は人混みが苦手なので、穴場を探しながら巡ることに決めた。

宇治の市街地に向かって、宇治川にかかる大きな橋をわたる。日本三大古橋に数えられる宇治橋だ。この場所に橋がかけられたのは飛鳥時代の7世紀で、都から近江への途上にあたる一帯は昔から人々の往来があった。上流をのぞめば両岸に山並みが迫り、宇治の町は川が盆地に抜ける谷口にあるというのがよくわかる。常緑樹に覆われた濃緑の山肌に、萌黄の新緑が点々と目立つ。

宇治橋をわたると大きな交差点がある。ここを左に折れると道は三つ又に分かれる。左は平等院の表参道で、右は商店街の新町通り。これらが宇治周遊のメインルートらしく、観光客で溢れかえっている。中央の道にはビル3階ほどの高さがある大鳥居が建っているが、そちらに向かう人はほとんどいない。鳥居の先にある神社が気になり、迷わず中央の道に進む。

案内板によれば、この道は京と奈良を結ぶ昔の街道筋にあたるらしい。しばらく進むと山際の丁字路に突き当たる。神社はこの辻の左手にあった。ここ「縣神社」は古代の地方官制の区分である「県」の守護神で、平等院が開かれてからはその総鎮守とされたが、平等院とあわせて訪れる観光客は少ないらしく、境内は至って静かだ。橋詰の大鳥居から想像されるより、よほど小ぶりな社殿だが、掲げられた提灯には製茶業者が名を連ね、地元の崇敬を集めていることがわかる。

お参りを済ませて、次はどこに行こうか思案する。せっかくお茶の季節に来たので、茶畑を見てみたいのだが、近代以降の宅地化で町中にはほとんど残っていない。地図を探すと、市街地のひとつ山向こうに白川という集落があり、そこには今もまとまった茶畑がありそうだ。公共交通機関はないが、縣神社からなら徒歩20分ほどと、十分歩ける距離だったので、そちらに向かうことにした。

ツアー客がたむろしている平等院の裏門を横目に滋賀へと続く府道を進むと、やがて家並みが途切れて、左に宇治川、右には山が迫ってくる。宇治橋からそれほど離れていないが、ここまで足を伸ばす観光客はほとんどいないようだ。川岸には岩肌がのぞき、早くも山奥の風情が漂う。しばらく歩くと、宇治川から分かれる谷川に沿うように、交互通行の道路が右に分岐している。森の中へ消えていく道はとても人里に至る雰囲気ではないが、標識によればここが白川の入口らしい。山道を登ると程なく人家が現れ、あっさり開けた場所に出た。家並みの裏手には田畑があり、鶯やひばりの鳴き声が響く。宇治の街から歩いてきたことを忘れてしまうほど、いかにものどかな農村の景色が広がる。

集落には茶園の看板が並んでいるが、道沿いは住宅が多く、裏手の畑がよく見えない。脇道に入って高いところから見渡すと、黒い覆いをかけた腰ほどの高さの棚が斜面に広がっているのがわかる。茶畑と聞くと新幹線の車窓から見るような、青々とした茶樹が丘一面を覆う様子を想像するのが普通だろう。一方、抹茶原料の碾茶や、玉露の生産が盛んな宇治では、光を遮ることで茶葉を薄く柔らかくし、香りや甘味を引き出す覆下栽培が昔から行われてきた。地元の人に尋ねてみたところ、茶樹が完全に覆われるのは茶摘み前の4月から5月だけで、茶樹が完全に覆われた景色はこの時期しか見られないそうだ。

集落を歩いていると、生活道路に古い瓦葺きの寺門があるのを見つけた。歴史ありげだがいかにも生活に馴染んでいて、案内板のようなものも見当たらない。何の門かと調べてみたら、この場所には平等院の奥院・金色院が置かれており、その惣門が残されているのだと知る。金色院は、平等院を建立した藤原頼通の娘・寛子が1102年に創建したと伝えられ、享保の頃には周辺に16の僧坊が建ち並んだ。しかし、廃仏毀釈の影響で明治に廃寺となり、跡地は農地に変わっていったのだという。こういう何気ない里山に、平安に遡る深い歴史が眠っているのは驚きだ。

山べりにある白山神社はもともと金色院の鎮守社で、同院の数少ない遺構だ。苔むした急な階段の先に覗く茅葺き屋根の拝殿は鎌倉中期の建物だという。近年葺き替えられたと思しき綺麗な屋根から地域で大切にされていることが伝わってくるが、よそからここを訪ねる人はほとんどいなさそうだ。築750年にもなる建物が、これほどひっそりと、しかし大切に残されているのが何とも奥ゆかしい。

住宅のような様式の白山神社拝殿。1276年の建築と考えられている



山道を降りて、宇治川沿いの府道に戻る。このまま川下に向かって帰っても良いのだが、案内標識にある「天ケ瀬ダム 右 10分」というのが気になる。これほど街に近いところにダムというのも珍しいのではないだろうか。10分なら大した距離ではなかろうと見積もって、最後に見に行くことにした。一帯は天ケ瀬とよばれ、ダムの建設までは川の流れも激しく、奇岩巨岩も多かったという。宇治市内から来ているのか、川釣りやランニングをしている人を時折見かける。このくらいの人けがあると、山あいの1人歩きも寂しさを感じないので良い。

宇治川の作った深い谷を半ばまでふさぐように作られたダムの威容は圧巻の一言に尽きる。琵琶湖から滔々と流れ出る川の流れをこの壁1つで堰き止めていると思うと、その力強さは計り知れない。大きなダムというのはもっと辺鄙な場所にあるものと思い込んでいて、宇治市街からほど近い場所にこれほど立派なダムがあるとは知らなかった。手軽に非日常感を味わえて、何ともお得な気分である。

天ケ瀬ダム。1964年完成で、高さは74㍍に及ぶ



駅への帰り道を調べたら、なんと徒歩50分。川上へ川上へと進むうちに、随分遠くまで来ていたらしい。遠雷を聞いて見上げれば、今にも降り出しそうな空模様。足も流石に疲れてきた。他に手段がないかと探していたら、ダムの管理事務所近くにバス停の標柱を発見。喜びも束の間、バス停には時刻表が貼られていなかった。昨今の運転手不足の情勢もあるし、路線が廃止されてしまったのだろう。重たい足をひいて、4㌔弱の山道を川下へ泣く泣く歩く。2度も神社にお参りした効験か、雨が降る前に駅に戻ることができたのは幸いであった。

ある茶店で聞いた話だが、今は茶摘みと製茶の最中で、玉露や煎茶の一部は新茶が店先にでているものの、すべて新茶で揃うにはもう少し時間がかかるということだ。山の緑も梅雨にかけて深まり、水辺に似合う美観を呈することだろう。宇治の「旬」はむこうひと月といったところか。茶と自然を楽しむのも良いが、王朝文化の名残をたずねる王道の宇治観光も捨てがたい。本紙2022年1月16日号の掲載では市内の「源氏物語ミュージアム」を紹介している。過去記事はWebで無料で読めるから、お出かけの際はあわせて参考にしてほしい。(汐)


市町村情報
京都府宇治市
人口(令和6年):17万4千
歴史:
宇治橋架橋(646年)、藤原頼通が平等院を建立(1019年)、明恵が茶業を宇治に伝える(13世紀)、山城国一揆(1485年)、足利義昭が槇島で挙兵(1573年)、五ケ庄に萬福寺建立(1661年)、上林一族による代官支配(江戸時代)、宇治市が市制施行(1951年)

歩いたルート:京阪宇治駅→縣神社→白川→白山神社→天ケ瀬ダム→京阪宇治駅
滞在時間:約4時間

関連記事