文化

〈隣町点描 #3〉長岡・神足(京都府長岡京市) 旧都おかれたたけのこの里 史話に意外な接点も

2025.06.16

〈隣町点描 #3〉長岡・神足(京都府長岡京市) 旧都おかれたたけのこの里 史話に意外な接点も

筍料理などを振る舞う料亭「錦水亭」。明治期の数寄屋建築が水上に建つ様が美しい


本稿は、京都市に隣接する12の市町から、半日程度の散策に適したエリアを1つずつ紹介していく企画だ。3回目の今回は、京都府長岡京市の長岡天神駅、長岡京駅周辺を訪問する。(汐)

京都市の形をよく見ると、南西にカニの爪のような形の出っ張りがある。長岡京市は、その間に挟まれた窪みに位置する自治体だ。市中心部の長岡天神駅へは、烏丸から阪急電車で約10分。市外の町では京都市から一番行きやすいと言っても過言ではない。金曜2限の授業を終えて、午後から出かけた。

駅前は狭い通りにファストフード店や不動産店が並び、いかにも私鉄沿線という雰囲気の賑わいだ。近くの観光案内所で地図を貰って散策を始める。駅名になっている「長岡天神」こと長岡天満宮がすぐ西にあるから、初めにお参りしていくことにする。

駅を背に歩くと賑わいはすぐに遠のき、畑も見え隠れするのんびりした空気にかわる。途中の直売所には「筍」の文字。竹林の広がる乙訓地域らしい特産品だ。春になると商店街やスーパーの店先に並ぶのを見かけるが、そういえば買ったことがないなと思い出す。あく抜きを億劫がって敬遠しているのだが、今度の旬に食べてみるのもいいかもしれない。

天満宮の門前は観光地にありがちな猥雑さがなく、いたって閑静で風情がある。鳥居をくぐると目に入る大きな池は八条ケ池と言い、茅葺の料亭が水面に映る様子が美しい。左右に折れ曲がって続く参道を進んでいくと、願うべきことを思いつかないうちに拝殿についてしまい、とりあえず無心で拝んだ。今にして思うと秋に控えた院試の合格祈願をすればよかったのだが、この時はすっかり失念していたのである。

拝殿の脇に寄附募集の立て看板があり、読むと本殿の葺き替えのためだという。拝殿の奥にちらりと覗く本殿は平安神宮のものを1941年に移築したとある。思わぬところで左京区とのつながりが見つかるものだ。平安神宮が祀る桓武天皇のとき平城京から長岡京に遷都した縁で、腐朽が進んでいた社殿の更新のため遷されたそうだ。

天満宮を後にし、観光案内図で見つけた城址を目指して、阪急の駅の反対側に向かう。JR長岡京駅がある神足地区は西国街道沿いに栄えた旧市街地だ。村田製作所の本社があり、高層の社屋が住宅の向こうに聳え立っている。駄菓子の旗を掲げた旧家があり、興味をひかれて近づくと、市が運営する「神足ふれあい町家」という施設だった。江戸末期の商家・石田家住宅を保存し、売店のほか、イベントスペースや喫茶などに活用されているそうだ。古い家屋は、経済上法律上の理由で見られなくなった、虫籠窓や欄間細工など手仕事の伝統意匠が素敵で、こうして1軒でも多く残して公開されているのは嬉しい。

目指す勝竜寺城址はこの町家からJRの線路を越えた場所にある。天守はないが水を湛えた堀に囲まれいかにも城らしい。堀にはたくさん鯉がいて、近づくと餌をくれと言わんばかりに口をあけて集まってくる。随分人慣れした様子からして、普段から近所の人が餌をあげているのかもしれない。城内は公園として整備されていて、ちょうどアジサイの見頃を迎えていた。花見と洒落こみ腰かけたベンチで、先の町家で買った「筍もなか」を食べてみる。個包装を解くと、筍を模した形のもなかが出てきた。餡の中には炊いた筍が入っていて、シャキッとした歯触りと風味が全体を引き立てている。3つ入り600円で特産の筍を手軽に楽しめるので、お土産にちょうど良い。

勝竜寺城の北門跡。山崎合戦後、光秀はここから敗走したと言われる。枡形のつくりや門の礎石、戦国時代の石垣が一部残る



公園内には市立の展示室があり、勝竜寺城の発掘資料や歴史、関係人物の略伝を紹介している。淀川右岸に天王山が迫る要衝にある勝竜寺城は細川藤孝が京都の前線として1573年に改修した城で▼本丸を中心とする階層構造▼土塁だけでなく石垣を用いた構造▼御殿の機能を持った本丸など、以降の近世城郭の祖型となる先進的な城だったそうだ。細川忠興と玉(ガラシャ)が新婚期を過ごしたり、本能寺の変では玉の父・明智光秀が占拠したりと、日本史の有名な逸話にも関係するという。観光地としての知名度が高くないだけに、意外性があって面白い。

城から歩いて10分くらいの所に、恵解山古墳と呼ばれる前方後円墳があるということで、最後に足をのばしてみた。墳丘は草木を刈って整えられ、埴輪を並べて復元されている。円状の後円墳を回りこむと前方に出て、境目を見ると教科書的な鍵穴の形をしていることがわかる。全長は124㍍、端から端へ歩いて1分半くらいで、結構大きく感じる。

恵解山古墳。後円墳の木が残っている辺りが墓地になっている



1980年に発見されたこの古墳は一帯では最大の規模を持ち、5世紀に中央政権と結びついた一帯の有力な統率者が埋葬されたと考えられている。京都市内で見るのは天皇陵ばかりだから、古墳がある風景は新鮮だ。死者を葬った後円墳の上には墓地が造成されている。偶然だろうが千年以上の時を経てなお墓の機能を持ったというのは面白い。なにか墓地的なゲニウス・ロキでも宿っていたのだろうか。もっとも、共同墓地を上に作られては、埋葬者が意図した権威が無残に解体されてしまっているのだが。

前方部から周囲を見渡すと、墳丘を含む周辺は公園として整備されていて、地元の人がボール遊びや犬の散歩に勤しんでいる。ごくありふれた夕方の公園の風情で、誰もすぐそばに大昔の墳丘があることを意識していないらしい。珍しがって古墳の周りを一人うろつく筆者はさながら不審者だと思い至ると急にいたたまれなくなり、そそくさと写真を撮って家路についた。

京都市に食い込むようなエリアながら、城郭や古墳など市内とひと味違う旧跡の多い長岡京市は、京都の歴史観光に飽きた時にちょうどいい行き先だ。羽束師の免許センターも近いので、免許試験や更新の予定があれば、ついでに訪れてみてはいかがだろうか。

歩いたルート:長岡天神駅→長岡天満宮→西国街道→勝竜寺城→恵解山古墳→長岡京駅
滞在時間:約3時間

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