〈寄稿〉百周年に寄せて 菊地夏野(名古屋市立大学人文社会学部准教授)「京大新聞と90年代の京大と今と」
2025.04.01
●書評委員会
私が文学部に入学したのは1993年で、書評委員会が始まったのは1996年か1997年のことではないかと思う。
当時はまだのんびりした時代で、いわゆる「京大らしさ」がまだまだ生きていた。授業(当時は講義と言っていた)は出席しなくてもなんとか単位は取れたし、授業よりもサークルやバイト、個人的な活動にいそしむのが大学生活だという雰囲気があった。その中で京大新聞は学内の隅にあった販売箱でひっそり売られており、それなりの存在感を持っていた。
私は当時からジェンダーやフェミニズムの活動をしていて、京大新聞社には知人友人も多かったので、書評委員会に声をかけてもらったのだと思う。新聞の書き手を多様化し、紙面をより充実させたいという意図だと聞いた。メンバーはそれぞれの関心や問題意識に応じて本を選び、書評を書いていった。その中でもまだ記憶している印象的な書評もある。しかし怠惰な私は結局書かずに終わってしまったことをここにお詫びしておきたい。
●京大矢野事件
振り返ればそれだけでなく、京大新聞とは深い縁があった。私が入学した1993年には京大矢野事件がメディアを騒がせていた。東南アジア研究所所長(当時)矢野暢氏が複数の秘書や職員、院生らに性暴力を行っていたことが発覚した事件である。私はこの事件について入学前に京都に下宿探しに行った日に母親から聞いて知り(母親は週刊誌で知った)、ショックを受けた。そんな怖いところに入ってしまったことが不安になったのだった。被害者の甲野乙子さんが提訴し、入学後、2回生の頃には学内でシンポジウムも行われ、この事件は長期にわたって問われた。この矢野事件についてその詳細を教えてくれたのが京大新聞だった。京大新聞社が毎年発行していた『京都大学を知る本』が、矢野事件の概要や論点を丁寧に特集していて、大変役に立った。関連で、京大新聞にはキャンパス・セクハラについて、名古屋大学の学生グループとの座談会記事も掲載してもらった。
その後私は「ジェンダーを考えるサークルり〜べ」さらに「性暴力のない京都大学を目指すグループ紅」を作ることになるのだが、この矢野事件の時の経験から学んだことが大きかった。
●京大学生運動とジェンダー、フェミニズム
90年代の京大は、まだまだ「自由」があり、学生の自主活動も活発な中で、京大新聞も重要な役割を果たしていた。私は文学部自治会にも関わっていたが、他に様々な社会的な課題に取り組む活動も盛んだった。学外の市民運動との連携も活発で、私は授業よりもそのような運動の中で多くのことを学んだ。同時に、それらの運動は、ほとんどが男子学生が主導していて、男性的な論理やスタイルで行われていた。私はそのようなあり方に批判的だったので浮いていたと思う。けれども、一人一人が自分の好きなことをマイペースで続けるのが良いことだという当時の価値観に支えられて、なんとか楽しい大学生活を過ごすことができたような気がする。
実は入学後すぐに、京大新聞社のボックスに見学に行ったこともある。活動に興味があったので入ることを検討するためのものだった。在室した学生に親切に応対してもらったが、女性編集員は数名しかいないと聞き、入るのを諦めた。(現在はメンバーのジェンダー比はどのくらいなのだろうか?)また、その後ジェンダーに関する活動をする中で、京大学内で過去にフェミニズム的な学生の運動があったことを知った。当時入り浸っていた文学部東館地下(L地下)の自治会・サークルBOXではそれらのグループのビラも発掘した。それらの運動は京大新聞に記録されているのかどうか気になり、図書館で京大新聞のバックナンバーを調べたのだが残念ながら言及している記事は見つけられなかった。
京大新聞に限らず、京大の学生運動の男性中心性は歴史的なものだ。今このことを批判するのは以前より容易である。だがだからといって、学生運動の重要性を全て否定できるものでは当然ない。運動の歴史を評価しつつ、その内部の限定性を批判することは難しいことだが、その作業こそがより良い未来につながる。現在でも京大内外で、そのような困難な作業に努力している学生、非学生は多数存在している。そのような活動にここでエールを送りたい。
●現在の京大と全国の大学と
最後に、たまたまだが去年後期にある学部の非常勤講師として京大に毎週通っていた。就職して名古屋に移ってから京大に来る機会はちょくちょくあったが、毎週というのはなかったので最近の京大の雰囲気がわかるかと思い楽しみだった。本部キャンパスの建物はさほど変わってなく、ルネも古びたものの大きくは変わっていなかった。だが若干、以前より人気が減り、ひっそりしているように感じられた。私がいた頃は、昼となく夜となく常に学内にはひとがいて、わいわいがやがやしていた。もちろん立て看は季節を問わず路上にひしめいていた。私自身も作成に関わっていた。楽器の音や、芝居の練習の大声も聞こえていた。今あまり感じられないのは学生はじめ教職員皆忙しくなったためだろうか。
授業には出席しないと単位を認められなくなり、そもそも授業回数が増え、また経済状況そのものが悪化しているのでバイトに割く時間が増えたのは想像に難くない。こんなに忙しければサークルや自主活動などとても余裕がないだろう。これはもちろん京大だけではなく全国の大学に共通することだが、この20数年間で特に大きく変わったのが京大ではないかと推測される。
大きな変化は2004年の国立大学法人化から促進したが、すでに90年代後半から大学「改革」は始まり、それを批判的に問う運動も学内で行われていた。その過程での総長団交とそれをめぐる創造的な取り組みは今でも脳裏に焼き付いている。その後2009から2011年に存在したくびくびカフェを発端とした京大非常勤職員の実態調査にも参加したが、このような先進的な取り組みが真に生かされることのないまま状況は後退しているようだ。
私の勤務している公立大学も同様の苦境にある。みな労働と管理の強化に疲弊して動けなくなっているのだ。だがそろそろ異なる動きが実現されても良い頃だ。吉田寮の闘争など一部の勇気ある人々のみに任せず、それぞれの創意工夫が増えてほしい。京大新聞に関心を寄せるひとびとであれば共通する思いだろう。そのような動きをつなぐ役割を京大新聞には一層期待したい。
私が文学部に入学したのは1993年で、書評委員会が始まったのは1996年か1997年のことではないかと思う。
当時はまだのんびりした時代で、いわゆる「京大らしさ」がまだまだ生きていた。授業(当時は講義と言っていた)は出席しなくてもなんとか単位は取れたし、授業よりもサークルやバイト、個人的な活動にいそしむのが大学生活だという雰囲気があった。その中で京大新聞は学内の隅にあった販売箱でひっそり売られており、それなりの存在感を持っていた。
私は当時からジェンダーやフェミニズムの活動をしていて、京大新聞社には知人友人も多かったので、書評委員会に声をかけてもらったのだと思う。新聞の書き手を多様化し、紙面をより充実させたいという意図だと聞いた。メンバーはそれぞれの関心や問題意識に応じて本を選び、書評を書いていった。その中でもまだ記憶している印象的な書評もある。しかし怠惰な私は結局書かずに終わってしまったことをここにお詫びしておきたい。
●京大矢野事件
振り返ればそれだけでなく、京大新聞とは深い縁があった。私が入学した1993年には京大矢野事件がメディアを騒がせていた。東南アジア研究所所長(当時)矢野暢氏が複数の秘書や職員、院生らに性暴力を行っていたことが発覚した事件である。私はこの事件について入学前に京都に下宿探しに行った日に母親から聞いて知り(母親は週刊誌で知った)、ショックを受けた。そんな怖いところに入ってしまったことが不安になったのだった。被害者の甲野乙子さんが提訴し、入学後、2回生の頃には学内でシンポジウムも行われ、この事件は長期にわたって問われた。この矢野事件についてその詳細を教えてくれたのが京大新聞だった。京大新聞社が毎年発行していた『京都大学を知る本』が、矢野事件の概要や論点を丁寧に特集していて、大変役に立った。関連で、京大新聞にはキャンパス・セクハラについて、名古屋大学の学生グループとの座談会記事も掲載してもらった。
その後私は「ジェンダーを考えるサークルり〜べ」さらに「性暴力のない京都大学を目指すグループ紅」を作ることになるのだが、この矢野事件の時の経験から学んだことが大きかった。
●京大学生運動とジェンダー、フェミニズム
90年代の京大は、まだまだ「自由」があり、学生の自主活動も活発な中で、京大新聞も重要な役割を果たしていた。私は文学部自治会にも関わっていたが、他に様々な社会的な課題に取り組む活動も盛んだった。学外の市民運動との連携も活発で、私は授業よりもそのような運動の中で多くのことを学んだ。同時に、それらの運動は、ほとんどが男子学生が主導していて、男性的な論理やスタイルで行われていた。私はそのようなあり方に批判的だったので浮いていたと思う。けれども、一人一人が自分の好きなことをマイペースで続けるのが良いことだという当時の価値観に支えられて、なんとか楽しい大学生活を過ごすことができたような気がする。
実は入学後すぐに、京大新聞社のボックスに見学に行ったこともある。活動に興味があったので入ることを検討するためのものだった。在室した学生に親切に応対してもらったが、女性編集員は数名しかいないと聞き、入るのを諦めた。(現在はメンバーのジェンダー比はどのくらいなのだろうか?)また、その後ジェンダーに関する活動をする中で、京大学内で過去にフェミニズム的な学生の運動があったことを知った。当時入り浸っていた文学部東館地下(L地下)の自治会・サークルBOXではそれらのグループのビラも発掘した。それらの運動は京大新聞に記録されているのかどうか気になり、図書館で京大新聞のバックナンバーを調べたのだが残念ながら言及している記事は見つけられなかった。
京大新聞に限らず、京大の学生運動の男性中心性は歴史的なものだ。今このことを批判するのは以前より容易である。だがだからといって、学生運動の重要性を全て否定できるものでは当然ない。運動の歴史を評価しつつ、その内部の限定性を批判することは難しいことだが、その作業こそがより良い未来につながる。現在でも京大内外で、そのような困難な作業に努力している学生、非学生は多数存在している。そのような活動にここでエールを送りたい。
●現在の京大と全国の大学と
最後に、たまたまだが去年後期にある学部の非常勤講師として京大に毎週通っていた。就職して名古屋に移ってから京大に来る機会はちょくちょくあったが、毎週というのはなかったので最近の京大の雰囲気がわかるかと思い楽しみだった。本部キャンパスの建物はさほど変わってなく、ルネも古びたものの大きくは変わっていなかった。だが若干、以前より人気が減り、ひっそりしているように感じられた。私がいた頃は、昼となく夜となく常に学内にはひとがいて、わいわいがやがやしていた。もちろん立て看は季節を問わず路上にひしめいていた。私自身も作成に関わっていた。楽器の音や、芝居の練習の大声も聞こえていた。今あまり感じられないのは学生はじめ教職員皆忙しくなったためだろうか。
授業には出席しないと単位を認められなくなり、そもそも授業回数が増え、また経済状況そのものが悪化しているのでバイトに割く時間が増えたのは想像に難くない。こんなに忙しければサークルや自主活動などとても余裕がないだろう。これはもちろん京大だけではなく全国の大学に共通することだが、この20数年間で特に大きく変わったのが京大ではないかと推測される。
大きな変化は2004年の国立大学法人化から促進したが、すでに90年代後半から大学「改革」は始まり、それを批判的に問う運動も学内で行われていた。その過程での総長団交とそれをめぐる創造的な取り組みは今でも脳裏に焼き付いている。その後2009から2011年に存在したくびくびカフェを発端とした京大非常勤職員の実態調査にも参加したが、このような先進的な取り組みが真に生かされることのないまま状況は後退しているようだ。
私の勤務している公立大学も同様の苦境にある。みな労働と管理の強化に疲弊して動けなくなっているのだ。だがそろそろ異なる動きが実現されても良い頃だ。吉田寮の闘争など一部の勇気ある人々のみに任せず、それぞれの創意工夫が増えてほしい。京大新聞に関心を寄せるひとびとであれば共通する思いだろう。そのような動きをつなぐ役割を京大新聞には一層期待したい。
きくち・なつの 京大文学研究科博士課程修了。専門はジェンダー論。
