〈寄稿〉百周年に寄せて 佐々木俊尚(ジャーナリスト)「インターネットやメディアはこれから『小さなコミュニティ』の模索へと向かう」
2025.04.01
京都大学新聞が主催する講演会に出演したのは、2009年の11月祭だった。雑誌「噂の眞相」編集長だった故岡留安則さん、当時は京大にいた社会学者(メディア論)佐藤卓己さんとの鼎談だった。タイトルは「IT時代のジャーナリズム」。
現在から振り返れば、2009年はさまざまな意味でターニングポイントとなった時代の最中だった。前年の2008年にリーマンショックが起き、翌々年には東日本大震災が発生する。インターネット上ではブログの文化が花開き、ツイッター(現エックス)がそろそろ流行りはじめていたころだ。2006年に起きたライブドア事件では、マスメディアの過熱報道に対し、弁護士や会計士などさまざまな専門家がそれぞれの立場からブログで反論。インターネット言論というものが存在するのだ、ということを世に知らしめた。
そういう状況の中で、ネットはひょっとして既存メディアにとってかわるのだろうか? もしそうだとしたら、ジャーナリズムはどう変容するのだろうか? そんな議論がSNSでも活発になっていたのである。鼎談はそういう中で行われたのだった。語られたのは組織ジャーナリズムの必要性や、メディア空間が今後どのように再編されるのかといった議論だったと記憶している。
あれから15年が経った。この間にメディアをめぐる状況は大きく変化している。2011年の福島原発事故や2020年からの新型コロナ禍で、マスメディアの科学リテラシーの乏しさが明るみに出た。それだけではない。安全保障など環境が大きく変わっていくのについていけなくなったマスメディア報道は、左右のイデオロギーに傾斜しがちになっていったこともあり、新聞の部数減とも相まって信頼度を著しく落としていった。
いっぽうのインターネットも、初期には「ランチなう」などと平和なやりとりがされていた牧歌的な時代はすぐに終わり、急速に政治化していき、いたるところで罵声の応酬が持ち上がる荒れた世界に変わっていく。デマやフェイクニュースもあふれかえり、陰謀論にはまる人が増えていった。マスメディアもSNSも信頼しかねるという、非常に混沌とした時代に突入していったのが2010年代以降のメディアの状況だったのである。
そんな中で、小さなコミュニティという方向に注目が集まっている。たとえば2000年代に流行ったSNS「mixi」の後継ともいえる「mixi2」が今年始めに発表され、創業者の笠原健治氏はそのコンセプトを「おおむね平和な、身内で安心してワイワイしやすい空間」と「ダイヤモンド・オンライン」のインタビューで説明している。読書好きが心穏やかに過ごせる場所を目指すという新しいSNS「Reads」も話題になった。
米国のテック系メディア「ザ・バージ」は、「インターネットの未来は小規模なコミュニティ」と題する論考を発表し、記事や動画などのコンテンツを軸として、投稿者や読者が直接つながることのできるコミュニティがこれからやってくるだろうと予測している。
こうしたサービスや論考が出てくる背景には、先ほど言及したマスメディアの衰退とともに、グーグルやアマゾンなどの巨大テック企業の支配が強くなりすぎていることへの人々の反発もある。
このような観点から、大学新聞という非常に小さなコミュニティメディアの可能性を考えていくべきだと思う。単に「紙の新聞はもう終わり」「ウェブメディアもなかなか読まれない」という短絡的な感想の投げ合いに終始するのではなく、メディアやコミュニティの未来の可能性を踏まえた上で模索する段階に来ているという認識を持つべきだ。大学新聞の潜在的な可能性は大きいとわたしは感じている。
現在から振り返れば、2009年はさまざまな意味でターニングポイントとなった時代の最中だった。前年の2008年にリーマンショックが起き、翌々年には東日本大震災が発生する。インターネット上ではブログの文化が花開き、ツイッター(現エックス)がそろそろ流行りはじめていたころだ。2006年に起きたライブドア事件では、マスメディアの過熱報道に対し、弁護士や会計士などさまざまな専門家がそれぞれの立場からブログで反論。インターネット言論というものが存在するのだ、ということを世に知らしめた。
そういう状況の中で、ネットはひょっとして既存メディアにとってかわるのだろうか? もしそうだとしたら、ジャーナリズムはどう変容するのだろうか? そんな議論がSNSでも活発になっていたのである。鼎談はそういう中で行われたのだった。語られたのは組織ジャーナリズムの必要性や、メディア空間が今後どのように再編されるのかといった議論だったと記憶している。
あれから15年が経った。この間にメディアをめぐる状況は大きく変化している。2011年の福島原発事故や2020年からの新型コロナ禍で、マスメディアの科学リテラシーの乏しさが明るみに出た。それだけではない。安全保障など環境が大きく変わっていくのについていけなくなったマスメディア報道は、左右のイデオロギーに傾斜しがちになっていったこともあり、新聞の部数減とも相まって信頼度を著しく落としていった。
いっぽうのインターネットも、初期には「ランチなう」などと平和なやりとりがされていた牧歌的な時代はすぐに終わり、急速に政治化していき、いたるところで罵声の応酬が持ち上がる荒れた世界に変わっていく。デマやフェイクニュースもあふれかえり、陰謀論にはまる人が増えていった。マスメディアもSNSも信頼しかねるという、非常に混沌とした時代に突入していったのが2010年代以降のメディアの状況だったのである。
そんな中で、小さなコミュニティという方向に注目が集まっている。たとえば2000年代に流行ったSNS「mixi」の後継ともいえる「mixi2」が今年始めに発表され、創業者の笠原健治氏はそのコンセプトを「おおむね平和な、身内で安心してワイワイしやすい空間」と「ダイヤモンド・オンライン」のインタビューで説明している。読書好きが心穏やかに過ごせる場所を目指すという新しいSNS「Reads」も話題になった。
米国のテック系メディア「ザ・バージ」は、「インターネットの未来は小規模なコミュニティ」と題する論考を発表し、記事や動画などのコンテンツを軸として、投稿者や読者が直接つながることのできるコミュニティがこれからやってくるだろうと予測している。
こうしたサービスや論考が出てくる背景には、先ほど言及したマスメディアの衰退とともに、グーグルやアマゾンなどの巨大テック企業の支配が強くなりすぎていることへの人々の反発もある。
このような観点から、大学新聞という非常に小さなコミュニティメディアの可能性を考えていくべきだと思う。単に「紙の新聞はもう終わり」「ウェブメディアもなかなか読まれない」という短絡的な感想の投げ合いに終始するのではなく、メディアやコミュニティの未来の可能性を踏まえた上で模索する段階に来ているという認識を持つべきだ。大学新聞の潜在的な可能性は大きいとわたしは感じている。
ささき・としなお 毎日新聞記者や『月刊アスキー』編集者を経てフリージャーナリストとして活動している。
