文化

〈寄稿〉百周年に寄せて 山極壽一(総合地球環境学研究所所長)「京都大学新聞の未来を考える」

2025.04.01

新聞とは世界の出来事を総覧できる地図であると同時に、ある立場から現代の風潮に対してしっかりと意見を述べる瓦版的性格を有する。しかし、新聞の力は今、急速に弱りつつある。SNSの普及によっていつでもどこでもただでニュースを見ることができるようになったし、自分で探さなくても好みに合った情報をいくらでも届けてくれる時代になった。さらに、情報を受け取るだけでなく、自ら発信して意見を述べることができるようになった。紙面を広げて、関心のなかったニュースに目を奪われたり、考えてもいなかった意見に心を動かされたりするようなことは少なくなった。時間を有効に使うには、自分に関連する情報だけを拾い集め、自分にとって豊かな暮らしを模索するほうがいいと誰もが思うようになった。

京都大学新聞の読者は第一に京都大学の学生であり、第二に京都大学の教職員、第三に他大学の学生や教職員、一般の方々となる。京都大学は100年以上の歴史と独自の伝統を有し、あらゆる学問領域を網羅するアカデミックな世界だ。京都大学新聞の役割はまず、この世界の羅針盤となることである。京都大学は自学自習に基づく自由の学風が伝統である。これを理解するのは結構難しい。自学自習とは自分で学ぶべきことを探し、しかるべき教員や仲間と巡り合うことである。学問とは何よりも好奇心がその原動力だからである。それは自分勝手に好きなことをやればいいということではない。世界や社会を広く見つめ、自分の考えを深くめぐらせながら、多くの学友たちと意見を交わし、自分にとって何を学ぶべきかを自らの意思で決定し実行するのである。そのために、どんな学部や大学院の講義もゼミもすべての学生に開かれている。参加する対象が限られていても、熱意をもって頼めばだいたい参加を許可してもらえる。京都大学の学生はある学部のある学科に入学したのではなく、総合大学としての京都大学へ参加したのである。

教職員もそれを忘れてはいけない。学生たちは放っておいても自分で学ぶという態度ではいけない。常に探求心を失わず、学生たちを刺激し、共に学び、新たな課題に挑戦していかねばならない。そんな姿勢を学生たちに示すことこそが、自由の学風という伝統の核心なのである。京都には「おもろいやん」と相手の考えに応答する文化がある。しかも、その後に「ほな、やってみなはれ」という言葉が続く。それはおもろいことに挑戦する姿勢に対する共感と激励、そして支持である。自分だけの好奇心で挑むのではなく、その内容と将来にわたる展開を周囲に理解してもらって初めてその窓が開く。

私は総長になった時、「大学は窓」というWINDOW構想を立ち上げた。大学は世界や社会へ向かって窓を開く使命があり、教員は学生とともに学び、窓を開けて彼らを送り出さねばならない。そのためには自分の分野については世界の動向を誰よりも知っている必要があるし、学問に対する社会の空気をよく心得ている必要がある。構想の最初のWはWild and Wiseである、学生は賢いだけでなく、野生的でなければならない。自然は一つとして同じことを繰り返さない。常に新しいことに出会う中で、知識や経験を巧みに応用しながら課題に挑戦していく気概をもたねばならないのである。

大学はその野心を試す実験場である。京都大学新聞はそのための羅針盤になるべきであり、必要な情報を届け、意見交換の場を作らねばならないと思う。この100年、京都大学新聞はその使命を立派に果たしてきた。総長を引退してから大学に足を運ぶことはなくなったが、東京の学士会館には旧7帝大の新聞がおいてあり、学士会の理事として出席する際に目にすることがある。他大学の宣伝を主とした内容とは異なり、大学への批判も含めアカデミアを流れる思想特集を組むなど、独自の特色を出している。しかし、時代が急速に変わりつつある中、いくつかの点で改善の余地があると私は思う。

まず、新聞を多くの若者は見ない。スマホで自分の好きなニュースを探すし、求めなくても自分に合った情報が配信されてくる。学生たちに読んでもらうにはどうすればいいかを考えてほしい。ウェブサイトに記事を掲載するだけではなく、LINEやNoteなどを使って配信することを考えてほしい。

何より、どんな記事を作るかが重要である。必要なニュースは最小限にして、世界の大学や学生の動向を特集したり、対話を重視した議論を展開するのがいいと思う。SNSで飛び交っているのは自分勝手な感想や敵意あふれる意見だ。同世代の若者が何を考えているか、京都大学新聞がファシリテータとなり、公平な議論の場を作らねばならない。その上で、教職員との議論が重なっていけば京都大学は面白くなる。留学生の意見も聞く必要があるし、時には大学外の意見も必要だろう。これからの新聞は情報を届けるのではなく、多様な議論の場となり、未来を創造していくことが求められると思う。


やまぎわ・じゅいち 理学研究科教授を経て第26代京大総長。専門は霊長類学。

関連記事