文化

〈寄稿〉百周年に寄せて 粉川哲夫(批評家)「メディア唯物論のすすめ」

2025.04.01

新聞にかぎらずメディアは「フェイク」でよいことになった。メディアの変質は、歴史の常で、驚くことではないが、一国の大統領がそう宣言するようなことはかつてなかった。

考えてみれば、有名人とりわけ政治家の「名言」の多くは、メディアの「捏造」であった。それがメディアのサービスでもあり、そういう操作がなければ「世論」も「社会意識」もなかっただろう。

しかし、このことは、メディアのニュースが嘘ばかりを流し、信用できなくなったということではない。そうではなくて、メディアの「真実」が、その内容よりもその物理的形式や環境次第であるということを公的に明らかにしたということである。

ファクトチェックなるもので「嘘」や「まちがい」とみなされても、それがどういう物理的・技術的な方法や環境で流されるかに左右される度合いが極度に高まったのである。

メディアといっても、紙メディアと電子メディアとでは機能のしかたが全然ちがう。紙メディアであっても、新聞とテレビとネットとではみなちがい、そういう違いが内容を決定する。

また、同じ新聞でも、部数のちがい、配布方法の相違も内容に影響するし、もっと些末なレベルでは、紙質やサイズのちがいも無視できない。

メディアは、発声や身ぶりによる身体的なコミュニケイションにおいても、その声、身ぶり等々のちがいで、文章にすれば「同じ」表現が、全然別の意味で機能する。

だから、いかなるメディアにおいても、その「内容」だけを問題にすると、すべてが「フェイク」になったり、逆に「民意」になったりし、「真実」を表現することが虚しくなる。

電子メディアや、テクノロジーに依存する生活環境が全地球規模で浸透するにつれて、一見些細なことが世界的な影響を起こすことが実感されるようになったが、その意味では、生産規模の小さい「マイナー」なメディアや、「手作り」のメディアの重要性が高まっていることは事実である。

しかし、そうしたマイナー性は、いわゆる「ソーシャル・メディア」に見るごとく、「失言」とか「舌禍」とかのネガティヴな機能を果たすことのほうが多く、いまや、それは、マイナー性をよそおった操作の技法にもなりつつある。

トランプは、そうした、「ぽろっと言ってしまった」ないしは明らかな虚偽を平然とかたり、その一方でそのメディア環境を、そういう「錯誤」や「虚偽」がどうでもよくなる方向に誘導して、自己の本来の目的を果たす名人であるが、これは、大なり小なり現在のあらゆるメディアの動向である。

そこでは、新聞であれネットであれ、その内容だけを問題にしても、その物理的な環境や条件を問題にしないかぎり、批判にも賛同にもならない。ネットであれば、どんなコンピュータで送受信をしているのか、ノートパソコンなのかスマホなのか、OSは、アプリは、ユーザーはデスクに座ってなのか、歩きながらなのか、等々も顧慮しなければならない。

紙の新聞は、いまや消えゆくメディアとみなされているが、それは、ネットのほうが即時性が高いとか、紙はかさばるからではない。それよりも、新聞自体がメディアとしてのその物理的条件を変え、それに馴染むことのできない読者が増えたからである。

些末な例を挙げよう。新聞には、たいてい、紙面の一番下の白紙部分に8つほどの針穴があいている。断裁のときのピン止めらしいが、読者の側からすると、新聞ばなれの要因になる。

この穴は、産経新聞から朝日新聞にいたる大手新聞でも、また、わが京都大学新聞においても変わらない。手元にある1993年7月1日号(1面は「「金曜日」を考える」という特集)でも六つの穴がある。

なにを言いたいかというと、この穴は、紙が薄い場合には、紙同士を留め付けることになり、1面から2面を開こうとしても、紙が2枚くっついていて離れず、4ページ目が出てきてしまうという結果をまねく。

ちなみに、京大新聞の場合は、紙が適度に厚いのでそういうことはない。問題は、極力紙を薄くする傾向のある大手の新聞である。

こういうことに気づいたのは、わたしが高齢者になってからなので、最初は、指の感覚が衰え、ページも満足にひらけなくなったのかと思った。しかし、よく見ると、紙が薄すぎるためにページとページがぴったりと密着していて、指に唾でもつけないと次のページ目が開けないからなのであった。

これでは、めんどうだから開きにくいページは読まないという読者もいるだろう。いや、増えているはずだ。その結果、こういう不便なものはいらないという意識がたかまる。

同じようなことが、テレビにもネットにも言えるはずで、内容をいくら「一新」しても、技術的な慣例に寝そべっているメディアは消えざるをえないし、読者やユーザーの側も、そういう側面を無視していると、メディアのしたたかな操作にふりまわされるだけである。


こがわ・てつお 批評家・ラジオアートパフォーマー。東京経済大などで教授を務めた。

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