〈展示評〉棒と人間のひびきあい 『棒と人との新しい関係展』
2025.07.01
椅子の脚の1本のみ引き延ばされた『Bo Stool』
握る、振る、折るなど、人間は棒に対して色々なアプローチをとることができ、棒もそれに対して異なる反応をみせる。あまり考えないことだが、棒はあふれんばかりの可能性を秘めた存在なのだ。今回のプロジェクトではどのような棒の可能性が引き出されたのか。ここでは展示作品の中から筆者の印象に残った3つを紹介する。
まず紹介するのは、円形の台座の上に20㌢ほどの木の棒が立っている『I’m here!!』だ。作品の周りには眼鏡や財布、スマホが置いてある。この作品は、棒の「目立つ」という特性に着目し、所在が分からなくなりがちなモノの目印となることを目的に制作された。発想の原点は、駅前などにある背の高い時計を人々が待ち合わせ場所として使うことだという。考えてみれば、確かに私たちは棒を目印にして集まりがちだ。京大生にとって待ち合わせ場所としてなじみ深いクスノキも、抽象化すれば棒である。日常に潜む棒と人との関係性を丁寧に掬い上げ、棒の可能性を見出した秀作だ。目印となる棒をポータブルにすることによって、新規性がありなおかつ使い勝手の良い道具に仕上げている点も見事である。
次に紹介するのは、丸椅子の脚の1本が上方向に人の背丈を超えるほどに引き延ばされた『Bo Stool』だ。この作品は、普段は脇役となる棒のスケールを変えることによって、棒を主役に引き立てることを目的に制作された。見た目のインパクトも面白いが、座ってみると棒の可能性を体感できることもこの作品の魅力である。座る人はこの棒を背もたれにできるだけでなく、抱きかかえたり、片脇に抱えたりもできる。背板であれば座り方は限定されてしまうが、棒であることによって様々な体の支え方を試すことができるようになっているのだ。可能性を秘めた棒だからこそなせる技が光る作品だ。
棒が持つ無限の可能性を生かしきった作品もあった。『Chameleon stick』は、一見ただの長い木の棒である。あまりにシンプルでこれが本当に作品なのかと訝ってしまうが、この木の棒は、ある変化によってただの棒ではなくなる。たとえば、今まさに刀によって斬られたかのように斜めに線が入った木の板を前に置くと、木の棒を持った人はついつい棒を振り下ろすしぐさをしたくなる。また、小さな穴が空いた丸い板を前に置くと、棒を銃のように構えるしぐさをしたくなる。周りに置くものを変えるだけで、木の棒が刀や銃になるのだ。環境に合わせて変幻自在に姿を変える様子はまさにカメレオンのようである。この作品は、制作者が幼少期に木の棒を使って見立て遊びをした経験から着想を得たという。鑑賞者の空想に応答するかのようなこの作品は、棒の可能性が人間の想像力を包み込むほどに大きいことを感じさせてくれた。
展示された作品は1つのテーマから考え出されたとは思えないほどバリエーションに富んでいた。棒が持つ可能性は限りないがゆえに、どこを切り取るかによって見せる顔が変わる。また、制作者によって棒から見出す特性も異なる。棒の特性の多様さと制作者の個性の多様さが掛け合わさることによって、唯一無二の作品がたくさん生まれたのだろう。
プロジェクトを主導した大江教授は、現在私たちの身の回りにある棒の原点は原始人が手にした木の枝にあるのではないかと考察する。原始人が木の枝から釣り竿や武器を作ったことを始まりに、棒が道具として私たちの生活に浸透していったというわけだ。原始時代の1本の木の枝が、現在私たちが使用する数々の道具にまで進化した過程においても、棒と人の多様性の掛け合わせが繰り返されたことだろう。今回の展示会は、棒と人はこれまでも、そしてこれからも、ともに歩むのだと感じさせるものだった。(梅)
