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〈映画評〉都合いい人の在り方問う 『羅生門』(1950)

2025.04.16

〈映画評〉都合いい人の在り方問う 『羅生門』(1950)

侍に対峙する多襄丸と侍の妻 『羅生門』(1950)より

時は平安。羅生門の下で雨が止むのを待つ下人は、杣売りと旅法師から、こんな話を聞かされる。

――山の中で侍の死体が見つかった。犯人として捕らえられたのは盗賊の多襄丸。多襄丸と侍の妻、巫女に憑依した侍の死霊の三者は、風紀を取り締まる検非違使の前に一人ずつ呼び出された。

三者は共通して、多襄丸が言葉巧みに侍を誘い出して縛り上げ、侍の面前で妻を手籠めにしたと話す。だが、誰が侍を殺したかとなると、三者の主張は食い違う。侍との決闘後に「おいらが殺したんだ」と多襄丸は語り、夫の蔑んだ目線に耐えられず「私が殺したんです」と妻は泣き崩れる。侍の死霊は、妻が多襄丸に自分を殺すよう懇願したのに絶望して「自ら刺した」と語る――

本作は芥川龍之介の小説『藪の中』を原作に、『羅生門』の人間劇の要素を取り入れ、黒澤明が監督を務めた。1950年に公開されると、翌年のヴェネツィア国際映画賞で最高賞にあたる金獅子賞を受賞。日本映画の存在が海外に知られる契機となった作品と呼ばれる。

製作したのは、太秦にあった大映京都撮影所。巨大な羅生門を撮影所内に建設したり、映画冒頭での豪雨を人力で再現したりと、随所から今は無き撮影所の高い技術力が窺える。

構成はシンプルで、下人・杣売り・旅法師が羅生門の下で繰り広げる会話劇と、登場人物一人一人による事件の回想シーンとが交互に繰り返される。原作には、下人や羅生門での会話劇は存在しない。映画では、事情を知らない下人が会話劇で当事者の主張を一旦振り返ることで、観客もまたその主張を再認識でき、原作よりストーリーを追いやすくなっていると言えるだろう。

本作の特徴として、どの登場人物も自分の都合のいいようにしか物事を語らないことが挙げられる。例えば多襄丸本人は侍と凛々しく戦ったと話すが、侍や侍の妻の話には、そのような決闘は登場しない。また、杣売りは三者の結末を話した後に、実は自分は現場に居合わせたとして他の結末を告白するが、下人は「本当かねぇ」と一蹴するだけ。どの結末が真実なのか。事件の真相は、まさしく藪の中だ。

だが、こうした人の在り方は映画の登場人物に限った話だろうか。自分に都合のいい情報だけで会話した経験は、誰にでもあるのではないか。様々な解釈がある中で、登場人物の一面を強調して本文を締めること自体、都合のいい映画評だと言われても仕方ないのかもしれない。時を経ても、観た者に人の在り方を問いかける色褪せない一作だ。(郷)

羅生門の下で雨宿りする三者。左から下人、旅法師、杣売り 『羅生門』(1950)より



◆映画情報
監督 黒澤明
配給 大映
上映時間 88分
4月30日に京都文化博物館で上映予定

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