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〈百載無窮〉コロナ前後の編集部

2025.04.01

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「入ります」「出ました」

2020年からの3年間で京大新聞に在籍した者なら見覚えのある文言だろう。京大新聞では新型コロナの感染対策として、ボックスへ出入りするときに団体内の連絡用チャットアプリ「Slack」で入退室を報告することにしていた。感染者が出た場合に対人・対物の接触の有無を確認するために使う想定だ。

この入退室管理は、滞在を短時間にとどめようとする意識が働いたり、同時に複数人が入らないように時間をずらしたりすることにつながったという意味で、感染対策としてある程度機能していた。一方、大学が求める「感染対策」には、実質的に意味がないものもあった。たとえば、取材で広報課へメールするとき、末尾に「本メールは在宅で送信しております」と記すよう求められた。その定型文をつけずに送ると、「課外活動の自粛要請」に違反しているとみなされ、質問を取り次いでもらえないのだ。新聞の発行日が迫るなか、無駄なやりとりが加わると回答が間に合わないおそれがあり、渋々気をつけた。

また、課外活動に対する制限緩和と強化の境目には、「学外施設なら屋内活動可」で「学内施設での屋内活動は不可」というややこしい運用だった時期もある。普段なら最少人数でボックスに待機して納品された新聞を受け取り、必要な作業を黙々と済ませるところを、この対応のせいでわざわざ不特定多数の人間が利用する施設に出向き、複数人で声をかけ合いながら新聞を運び、普段より時間をかけて納品後の諸作業をすることになった。そういう細々したストレスがたまるのが、このころの日常だった(と同時に、オンライン続きでしばらく会っていなかった編集員たちと変則的な作業をするのはそれなりに楽しくもあった)。

愚痴めいた話になってしまったが、大学の担当部署を責めたいわけではない。当時の風潮からして、実質的な対策以外に対外的な責任を果たす観点からの対応も考えざるをえなかっただろうし、可能な限り学生の活動を守ろうとしてくれていたとも思う。それに、京大の対応はまだマシなほうだった節もある。他大学では建物の完全施錠などで課外活動が全くできなかった例もあると聞く。京大では、建物の構造の都合もあるとはいえ、最も感染状況が厳しい時期でも、部室への必要最小限の出入りを認めていた。また、制限緩和当初、大学は夜間の活動を控えるよう求めていて、職員による見回りを強化していた。実際、所定の時間を過ぎて滞在していると、職員に声をかけられることもあった。ただ、たいてい「早よ帰りや」「はい」のやりとりで済んだし、立ち去るまでドアの前にいるといったことはなく、徹底した管理という印象はなかった。本心では見回りなんかしたくないと思ってくれていたのではないか。そんなふうに捉えるのは、さすがに肩を持ちすぎだろうか。

遡ること60年前、大学がストライキを禁止する告示を出すなかで紙面でストライキを呼びかけ、処分を覚悟したにもかかわらず何のお咎めもなかったというエピソードが思い出される。ストライキを例に出すのが適当かはともかく、ときに踏み込んだ動きをとる京大新聞は、杓子定規にならない大学当局の姿勢によって難を逃れてきた側面が少なからずあるように思う。これからも、決してわがままを許してほしいという意味ではないが、状況に即した対応をとることで、世知辛い時代の風を受け流していければと思う。(村)

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