〈百載無窮〉ウェブ活用の歴史
2025.04.01
※「百載無窮」のほかの記事はこちら。
京大新聞は1998年に公式ウェブサイトを開設した。初期のサイトには、京大新聞を紹介するページ、定期購読申込のページ、ニュース速報のページなどがあった。編集員の日々を綴った「編集日誌」や「編集員個人ページ」があるのが、「公式」感の強い現在のサイトとは対照的である。
ただ、初期のサイトは更新が難航し、機能しなくなった。そこで、2001年ごろ、構造を簡素化するリニューアルが実施された。この頃のサイトには毎号の記事の見出し一覧が載っており、各号に3行ほどのアピールコメントが付してあった。ただ、1つ1つの号にページを割り当てておらず、1ページの中に1年分の見出しをまとめており、閲覧のしやすさや情報発信の充実化が課題だった。
そこで、06年ごろからサイトデザインのリニューアルと記事の全文掲載の議論が進み、記事の管理システムを導入するに至った。これによりサイトの更新が簡単になり、08年には、全記事の全文掲載を開始した。それまでは掲載しない記事の方が多かったため、ほぼ全ての記事を無料で読めるようにすることの是非が検討されたが、紙面を買う人が減ることへの懸念よりも、記事閲覧の機会拡大や京大新聞の認知度向上を目指す意向が強く、全文掲載は現在まで続いている。
10年には公式ツイッター(現X)を開設した。最初の投稿は「編集会議が終わったなう」「会議で了承されて早速つくったなう」「でもアカウント作ったのは編集会議中なう」だった。こうして、▼記事の見出しとリンクの投稿▼毎号の紙面紹介が始まった。11年には、京大新聞がツイッターで指摘したことをきっかけに、京大の二次試験で受験者が試験中に問題をネットに投稿するというカンニング事案が明るみとなった。
20年には、予期せぬ事態が訪れた。新型コロナ流行により、紙面の発行を停止することになったのだ。ただ、紙面発行の代替として、通常は1か月遅らせるサイトへの記事掲載を紙面発行に相当する日程で行うことになり、情報発信の場はかろうじて維持できた。発行を再開するまでの約半年間、情報発信を止めずにいられたのは、サイトの整備が進んでいたおかげだといえる。
22年には、スマホでの閲覧に適するよう、サイトを進化させた。それまでのサイトは、パソコンでもスマホでも同じ固定表示をしており、画面が小さい端末で閲覧しづらかった。そこで、プログラマーに依頼し、スマホで閲覧しやすいようデザインを抜本的に作り直すとともに、それと表裏一体の記事管理システムも最新のものに更新した。新たに導入されたタグ機能は、記事執筆にも役立っている。改良直後には、月ごとのビュー数が前月比で1・6倍になった。
24年には、記事をサイトに掲載する時期を早めた。従来はどのような記事も紙面発行の1か月後に掲載していた。これは、定期購読者への新聞発送が毎月末であり、それより前に記事を無料で読めるようにするのはよくないという判断に基づいていた。しかしそれならば、16日号の記事を掲載するのは翌月上旬で良いはずであり、そこからさらに2週間待つ必要はない。そこで、サイトへの掲載は毎月上旬にすることになり、16日号の掲載は2週間早まった。また、社会的関心や速報性が高い一部の記事については、会議で個別に承認を得たうえ、例外的にサイトへの掲載を早めることにした。これにより、スクープ記事や、会期終了が間近に迫った展示評を早期に掲載できるようになり、情報発信が充実した。
最近は、サイトとXの連携に力を入れている。記事をサイトに掲載したことを知らせるXの投稿に、記事の書き出しや掲載号を含めるようにしたことで、注目が集まりやすくなり、サイトの閲覧数も増加した。吉田寮訴訟の第一審判決の際には、傍聴した判決内容をXで速報するという試験的な試みを行い、一定の反響を得た。
紙面とウェブは特性が異なり、どちらか一方で他方を代替できるものではない。紙の新聞が好きという読者・編集員も多いだろう。とはいえ、今やウェブは欠かせないものとなっている。現状、定期購読は紙のみだが、将来的には、紙面の電子版も準備するべきなのかもしれない。(扇)
