〈百載無窮〉学費問題の報じ方の変遷
2025.04.01
※「百載無窮」のほかの記事はこちら。
京大新聞の報じ方はどのように変遷してきたのか。それを示す一例として、授業料値上げに関する記事を見ていく。
1960年代では、値上げの可能性を報じる記事に「全国闘争で阻止へ」(61年)、「政府支配層による大学への全面攻勢」(67年)といった見出しをつけている。70年代もその方向性は続き、私立大の値上げを報じる記事で「反撃体制の構築へ」(70年)、「阻止への戦線構築を」(71年)といった文言を使っている。さらに72年3月の紙面では、「学費値上げ闘争でストライキが構築されている局面で、入学試験が実施されることは値上げを容認することである」と説明し、京大新聞にとって収入源であるはずの合格電報業務を中止すると宣言。「学費闘争に勝利せんとするわれわれの決意をお汲みとりいただくよう強く訴える」と理解を求めている。
休刊から復活した75年以降は、意識的に社説を控えたという証言があるものの、学生生活に直結する話題とあってか、「学費闘争の昂揚を」(76年)と訴える社説がある。80年代に入ると社説はほとんどなくなる。90年代のニュースでは、「授業料25年で13倍狭まる私学との差」(97年)など、かつてと比べて落ち着いた表現の見出しになっている。00年代以降は、ニュース記事では「今後どのような形で財源を確保するかが課題になる」(05年)といったトーンにとどめ、京大雑記と題した編集員によるコラムで「予算消化するぐらいなら学費下げてよ」・「『経営努力』によって値下げも十分可能ではないのか」(07年)などと述べている。国立大学法人化以降、京大では値上げされていないが、12年の同コラムで「学費値上げが近々訪れるのではないか」と分析しているほか、19年に「全国に広がる値上げの流れを追う」と題した特集を組み、他大学が値上げに踏み切った事情を考察している。
大まかな流れとして、編集部としての見解を打ち出す記事が徐々に減り、主張を述べる場合は個人のコラムを載せるという方式が定着していったと言える。(村)