研究の現在地 VOL.13 生態系つなぐ宿主操作 その仕組みを探る 京都大学生態学研究センター 佐藤拓哉 准教授
2025.04.01

佐藤拓哉(さとう・たくや)京都大学生態学研究センター 准教授
2002年、近畿大学農学部水産学科卒業。07年、三重大学大学院生物資源学研究科博士後期課程修了。以後、三重大学大学院生物資源学研究科非常勤研究職員、奈良女子大学共生科学研究センター、京都大学フィールド科学教育センター日本学術振興会特別研究員(SPD)、京都大学白眉センター特定助教、ブリティッシュコロンビア大学森林学客員教授、神戸大学大学院理学研究科准教授等を経て、21年10月より現職。寄生者による宿主操作の機構解明とその生態系における役割、生態系のつながりが育む生物多様性等が主な研究テーマ。
2002年、近畿大学農学部水産学科卒業。07年、三重大学大学院生物資源学研究科博士後期課程修了。以後、三重大学大学院生物資源学研究科非常勤研究職員、奈良女子大学共生科学研究センター、京都大学フィールド科学教育センター日本学術振興会特別研究員(SPD)、京都大学白眉センター特定助教、ブリティッシュコロンビア大学森林学客員教授、神戸大学大学院理学研究科准教授等を経て、21年10月より現職。寄生者による宿主操作の機構解明とその生態系における役割、生態系のつながりが育む生物多様性等が主な研究テーマ。
目次
生態系をつなぐ寄生者季節性が違いを生む
生体から分子へ
盗み、ハックする寄生者
分子機構をつきとめる
寄生者観の見直し
宿主操作の進化史
水平伝播の機構と歴史
意思決定の一助に
学際研究の両面性
国境を越えた連携体制
立ち止まって考える
生態系をつなぐ寄生者
――どのような研究をされていますか。
食う食われるの関係や寄生関係など野外の生物間の相互作用が、生物多様性の維持や生態系における物質循環に及ぼす影響について研究しています。
当初はサケ科の魚の保全に関する研究をしていました。川でサケの個体数を数えたり、集団の遺伝的多様性の減少が引き起こす問題を調べたりと、サケ科の保全に生かすための情報収集をしていました。
大学院を卒業する直前、保全研究の一環としてある川の魚の食性を調べたところ、夏になるとほとんどの魚がカマドウマという昆虫を大量に食べるようになることがわかりました。しかしカマドウマには翅がないので、自ら歩いて川に飛び込まない限り魚に食べられるはずはありません。にもかかわらず魚は3か月くらいずっとそれを食べるので不思議だなと思い調べると、ハリガネムシという寄生虫が昆虫の行動を操作して川に飛び込ませるという論文を見つけました。
そこで、寄生者による宿主操作を介して、森から川へ大量の昆虫が流入し、その結果川の魚が得をする仕組みがあると推測しました。今まで見過ごされてきた寄生者の生態系における役割に興味を持ち、本格的な研究を開始しました。
――ハリガネムシはカマドウマにどのように寄生するのですか。
ハリガネムシのオスとメスが水中で交尾し、受精卵を作ります。孵化した幼虫はノコギリのような構造を持っていて、これを使ってカゲロウやカワゲラなどの水生昆虫の幼虫の体内に侵入し、シストと呼ばれる休眠状態に入ります。水生昆虫が羽化して森の中に出ていき、カマドウマやカマキリに食べられると、ハリガネムシはその体内で成長します。ハリガネムシが成虫になると、宿主を操作して川や池に飛び込ませ、自らは脱出し繁殖行動をとります。
――何がわかりましたか。
イワナという川魚が消費するエネルギーがどの餌に由来するのかを1年を通して評価しました。具体的には、4時間ごとにイワナを捕獲して食べているものを吐かせ、各時点での体重の変化から1日あたりの消費重量を推定しました。また、川や森に棲む昆虫を片っ端からカロリーメーターという分析機器で燃やして、単位重量当たりのエネルギー価を算出しました。これらの数値から、イワナの集団が1年間に消費しているエネルギーと、そのうち何割がハリガネムシの操作を経由して得たものなのかを推定しました。すると、イワナは8月から11月にかけての3か月間でカマドウマを大量に食べることにより、年間で消費するエネルギーの6割ほどを得ているとわかりました。

寄生者を介した森林と河川生態系のつながり。ハリガネムシ類による宿主操作によって最終宿主が河川に飛び込むと、サケ科魚類がそれらを餌として利用する。%は調査したイワナ個体群に対する各餌生物のエネルギー貢献割合。Sato et al. 2011より改訂・引用
イワナは森の陸生昆虫だけでなく川の水生昆虫も食べます。カマドウマがこれほど重要な餌資源であるなら、その有無によってイワナと水生昆虫との関係も変わるのではないかと予測し、京大の和歌山研究林で実証実験を行いました。川にカマドウマをたくさん投入したり、逆に川の周りに防虫ネットを張り巡らせてカマドウマが川に飛び込めないようにしたりしたとき、川の生態系はどう応答するか調べました。その結果、カマドウマが生態系からいなくなっただけでイワナは水生昆虫をよく食べるようになり、カマドウマがいる場合に比べて水生昆虫の個体数は3分の1にまで減りました。水生昆虫は藻類や落葉を食べるので、その数が減ることで藻類が繁茂したり落葉の分解速度が低下したりします。ハリガネムシの操作でカマドウマが川に飛び込むことで、結果的に川の群集構造や生態系機能が大きく改変されることを明らかにしました。

ハリガネムシがつなぐ森と川の生態系。ハリガネムシ類を介した最終宿主の河川への供給量を人為的に抑制すると、渓流魚による水生昆虫類への捕食圧が増大し、その影響が藻類の増加や落葉破砕速度の低下等、河川生態系全体に波及する
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季節性が違いを生む
――その後はどのような研究を。
京大の白眉センターに着任し、「5年間自由にやってもいい」と言われました。そこで、森と川の生態系のつながりをさまざまな手法で研究したいと思い、カナダの大学に教員として行きました。
森と川の生態系のつながりは主に森から川へ昆虫が流入することで維持されていますが、実は季節によって流入する量は違っています。この季節性の意味を理解するため2年間ほど研究しました。春や秋にたくさん昆虫が流入する状況を実験的に作り出し、それだけで川の生態系の応答が変わるのか調査しました。
――何がわかりましたか。
昆虫をもらう時季によって川魚の反応が変わることがわかりました。生き物には生き物なりの都合があるわけです。たとえば、「今から成長するぞ!」という春先の時期に昆虫を投入すると、魚は得たエネルギーを体の成長に配分して一気に大きくなります。これまで僕は「魚が陸生昆虫を食べるなら水生昆虫は食べない」というシンプルな食い分けの問題として現象を説明できると思っていましたが、春先に投入した場合、魚の総重量が急激に上昇するため、水生昆虫も一緒に食べられて数を減らすということが顕著に見られました。一方、まったく同じ量の昆虫を秋に投入しても、目に見えた成長は起こりません。カナダの冬は厳しいので、エネルギーを成長ではなく脂肪の蓄積に利用しているのかもしれません。
翌年まで実験を続けると、春先にたくさん昆虫を与えた魚は、秋に与えた魚と同じ体サイズでも繁殖率が高いことがわかりました。川に昆虫が流入するイベントの季節性が、それを食べる生き物の生き方に大きく影響するとともに、その結果として川の生態系全体が大きく変わることもあればあまり変わらないこともある、ということがわかりました。
温帯の川では、春に樹木が展葉し、さまざまな昆虫が育まれて川にぼとぼとと落ちることで魚が餌を得るので、僕らが見た春先の顕著な応答がよく起こっているはずです。ただ、日本では天然林を植え替えている所も多いです。人工林への植え替えにより、春先の展葉が抑えられ、結果的に森と川のつながりを損なっている可能性を指摘しました。
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生体から分子へ
――カナダでの研究を終えた後は。
神戸大に着任しました。これまでの研究は僕らも結構習熟していたので、せっかく新しいポストに就いたなら新規の研究を展開したいと思っていました。
研究者と交流していると、生態学の人は、寄生虫が生態系に波及効果をもたらす話に興味を持ってくれるんですが、他の分野の人には「そもそもなぜ川に飛び込ませられるのか」と聞かれることが多かったです。わからないと伝えると「そこが大事やろ」みたいな顔をされます(笑)。分子レベルの仕組みを明らかにするために、同学科の行動生理や神経行動を研究する人と協力して、ハリガネムシによるカマキリの行動操作の研究を始めました。
――何に着目しましたか。
まずは、宿主操作が起きている時期の変化を行動レベルで見てみました。いきなり分子レベルから遺伝子を調べようとしても、どこに注目すればいいかすらわかりませんからね。フランスのグループによる先行研究では、宿主操作には2つのステップがあるとされていました。1つは、水と接する確率を上げるためにカマキリの活動量を上げること。もう1つは、水と接したときに飛び込ませるために、水面に反射する光の方へ移動させること(正の走光性)です。僕らも装置を作って実験したところ、活動量の上昇も正の走光性もありそうなことがわかりました。
ここで神経行動の人は、活動量が上がるなら、脳内で神経修飾物質(※)などとして機能する生体アミン類を測定してみよう、となります。非感染のカマキリ、感染しているが操作されていないカマキリ、操作されているカマキリを野外で捕まえて、脳内の生体アミン類を測定してみると、動物の行動活性に関わるドーパミンが、操作されているカマキリでたくさん出ていることがわかりました。走光性についても、感染時には水平偏光(※)に対する走性が上がることを明らかにしました。水平偏光は水面で反射する光に多く含まれる光で、ハリガネムシが宿主を水面に誘導するのに利用していると考えられます。
※神経修飾物質
神経細胞から分泌され、脳全体に持続的な効果を持つ神経伝達物質の総称。代表的なものにドーパミンやセロトニン、オクトパミンなどがあり、アミンと呼ばれる化学構造を持つ。
※水平偏光
自然界において、太陽から放射される光は非偏光である。しかし、非偏光が空気上の粒子や物体、水面などに反射すると、電磁波の振動方向に偏りのある偏光が含まれるようになる。水平偏光は電磁波の振動方向が水平方向に一定になっている偏光であり、水面からの反射光に多く含まれる。水辺の水深が深く、底面が暗いほど、反射光に含まれる水平偏光は多くなる。
神経細胞から分泌され、脳全体に持続的な効果を持つ神経伝達物質の総称。代表的なものにドーパミンやセロトニン、オクトパミンなどがあり、アミンと呼ばれる化学構造を持つ。
※水平偏光
自然界において、太陽から放射される光は非偏光である。しかし、非偏光が空気上の粒子や物体、水面などに反射すると、電磁波の振動方向に偏りのある偏光が含まれるようになる。水平偏光は電磁波の振動方向が水平方向に一定になっている偏光であり、水面からの反射光に多く含まれる。水辺の水深が深く、底面が暗いほど、反射光に含まれる水平偏光は多くなる。
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盗み、ハックする寄生者
――活動量の上昇と走光性の遺伝的な基盤が気になります。
カマキリの脳と、カマキリのお腹から引きずり出したハリガネムシで、転写産物の量を網羅的に分析するRNA―seq解析を行い、発現している遺伝子を推定しました。すると意外にもカマキリの脳での遺伝子の発現パターンには、感染の有無で大きな違いが検出されませんでした。一方、操作する前、操作している最中、操作した後のハリガネムシについて発現パターンを見ると、操作中のみ他とは異なるパターンを示しました。操作中に発現が上昇している遺伝子を見てみると、神経細胞の発生、光受容、概日リズム(※)に関する遺伝子が見つかりました。神経発生関連遺伝子は活動量の上昇に、光受容関連遺伝子は正の走光性にはたらいていると考えられます。カマキリは朝や夕方にはほとんど川に飛び込まず、正午付近によく飛び込みます。こうした飛び込みの周期性には、概日リズム関連遺伝子が関与している可能性があります。
※概日リズム
生物が、地球の自転によってもたらされる約24時間周期で繰り返す生命活動のリズム。睡眠/覚醒、体温、血圧、ホルモン分泌など。
生物が、地球の自転によってもたらされる約24時間周期で繰り返す生命活動のリズム。睡眠/覚醒、体温、血圧、ホルモン分泌など。
ハリガネムシ側で顕著に発現上昇が起きていることから、やはりハリガネムシが宿主操作に効く物質を作っているのではないかと想像しました。節足動物のカマキリを類線形虫類のハリガネムシというかなり系統的に違う生物がどうやって操作するのか、と考えたときに思いつくのは分子擬態です。分子擬態には、長い進化の過程で寄生者のゲノムにちょっとずつ変異が蓄積することで宿主のものと似たような分子を作れるようになるパターンと、宿主から水平伝播(※)により遺伝子を獲得するパターンがあります。共同研究者の三品さん(京大動物生態学研究室出身、現九州大学・助教)が、複数のハリガネムシ種や、その宿主種を広く含む3億塩基対以上のDNA配列から成る生物網羅的な遺伝子データベースを構築し、種間で配列の類似した遺伝子がどの程度存在するかを検索しました。
※(遺伝子)水平伝播
生物の遺伝情報は通常は生殖を介して親から子へと伝えられるが(垂直伝播)、全く異なる個体間や他生物間で起こる遺伝子の取り込みのことを水平伝播と呼ぶ。
生物の遺伝情報は通常は生殖を介して親から子へと伝えられるが(垂直伝播)、全く異なる個体間や他生物間で起こる遺伝子の取り込みのことを水平伝播と呼ぶ。
その結果、驚くべきことに、系統的に大きく異なる宿主カマキリの遺伝子と、アミノ酸配列のみならずDNA塩基配列レベルでも高い類似性を有する遺伝子を、ハリガネムシは千個以上持っていることがわかりました。
ここから、ハリガネムシは、カマキリから大量の遺伝子を水平伝播で獲得し、分子擬態をしている可能性が高いと結論しました。これが今のところ、操作の分子機構を解明する研究の中で一番面白かった成果です。
確かに水平伝播したと思われる千個以上の遺伝子の中には、操作中のハリガネムシで発現が上昇する神経発生や光受容や概日リズムに関する遺伝子が含まれています。ただ、具体的にどのような経路でカマキリの行動を操作しているのかはまだわかっていません。
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分子機構をつきとめる
――何か手がかりはありますか。
去年、ハリガネムシが体外に分泌しているタンパク質に着目し、面白いものがないか探索しました。体液を通して外部とやり取りできそうなタンパク質の発現パターンを、操作している状態と自由に生活している状態とで比べました。そうすると、いくつかの候補タンパク質が見えてきました(具体的なところは未発表なのでまだ内緒です)。候補のタンパク質までわかったら、それをバキュロウイルス(※)などに合成してもらい、実際にカマキリの体内に注入してみます。バシッと効き目が出ると、原因タンパク質の同定につながります。それが次のステップかなと思います。
※バキュロウイルス
節足動物(主に昆虫)に感染する大型の二本鎖DNAウイルスであり、組換えタンパク質の発現システムとして非常に有用であることから、研究や産業用途で広く利用されている。また、宿主操作により、蛾類幼虫を樹上で溶解死させる現象は、「Wipfelkrankheit (梢頭病)」として古くから知られている。
節足動物(主に昆虫)に感染する大型の二本鎖DNAウイルスであり、組換えタンパク質の発現システムとして非常に有用であることから、研究や産業用途で広く利用されている。また、宿主操作により、蛾類幼虫を樹上で溶解死させる現象は、「Wipfelkrankheit (梢頭病)」として古くから知られている。
去年行った実験で、操作されているカマキリからハリガネムシを引きずり出して、生理食塩水の中でぶちぶちと切って精製し、その上澄み液を非感染のカマキリのお腹の中に注入しました。すると、感染カマキリと同様に、ハリガネ汁注入カマキリの歩行量が上がったので、次はその体液を成分ごとに分離し、どこに原因の物質が含まれているかを特定したいと考えています。
――行動操作にかかわる因子が複数あると一筋縄では行かなさそうです。
そうですね。ただ、根底のところで1つの遺伝子の発現が変わった結果、下流のさまざまな経路で変化が起きるということはあり得ます。たとえば、チョウ目昆虫の幼虫に感染するバキュロウイルスは、宿主を植物の上方に移動させますが、この操作は、宿主の脱皮ホルモンを不活性化するウイルス側の遺伝子を少し変えると起こらなくなります。
もしかするとハリガネムシにおいても、大本となる遺伝子があって、それがはたらくと一気にさまざまな経路が動き出すということがあるかもしれません。宿主を操作して首尾よく水に飛び込ませるというとても複雑なシステムを、さまざまな経路を少しずつ進化させていくことで実現させるのは難しいと思います。一見複雑に見える現象をとてもシンプルに制御するやり方を発見しました、と言えたらいいですね。
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寄生者観の見直し
――寄生者が生態系に影響を及ぼすという現象は以前から知られていたのですか。
カマドウマでの研究を発表した2011年頃から、ちらほら似たようなことが世界的に指摘されはじめました。08年に出た論文では、現存する既知の種のうち約4割が寄生生活を送っているという推定が発表されました。別の論文では、塩性湿地でひたすら生き物を捕まえて、そこに寄生している生物の総重量を量ったところ、湿地にやってくる鳥の総重量よりも数倍多いことが明らかになりました。
寄生生物が相当な量で存在していることがわかり、食物網の構造や、生態系内のエネルギーの流れにおける寄生生物の役割がこれまで見過ごされてきたと言われるようになりました。その流れで、海や湖の生態系において寄生生物の行動操作が重要な役割を果たしていることが報告されだしていたので、僕らはとてもタイミングがよく、1種の寄生虫がいるだけで森から川へのエネルギーの流れが変わるということを発表できたと思っています。
――発表後の反響はありましたか。
『サイエンス』という学術誌に特集されたり、寄生虫生態学の教科書に図入りで載せてもらったりしました。寄生者が生態系に影響を及ぼす1つの面白い例として認識されているのかなと思います。
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宿主操作の進化史
――ハリガネムシによる宿主操作に地域性はありますか。
あります。最近研究室の院生が論文を出したんですが、本州ではカマドウマや一部のキリギリスが秋に川に飛び込む一方で、北海道では別の属のハリガネムシが、ゴミムシやシデムシといった徘徊性甲虫に寄生して、春に川に飛び込ませることがわかりました。面白いことに、札幌周辺の地域では、カマドウマに寄生するハリガネムシとゴミムシに寄生するハリガネムシの両方がいるので、日本でその地域だけ春と秋の2回、川に大量の餌が供給されることになります。
世界的にも、さまざまなハリガネムシがさまざまな宿主と関係を結びながら寒帯から熱帯まで生息しているので、それぞれの場所の宿主の生活史に合わせて操作を行っているのかなと思っています。ちなみに、ハリガネムシは記載されているだけで320種ほどいて、ラフな推定では2千種以上いるのではないかと言われています。
――ハリガネムシがそれぞれの宿主に寄生するにあたって、その内部の環境に適応した結果、種が分かれたのでしょうか。
ハリガネムシの進化史は全然わかっていません。幸い僕らはここ10年ほど日本全国のハリガネムシを協力者の方に集めてもらっているので、少しずつその方向の研究も進めていきたいですね。
活動量や走光性や概日リズムを変える仕組みが、それぞれの宿主との関係の中でどのように微調整されながら進化してきたのかがわかれば、分子機構とその進化史が両方わかってとても面白いと思います。
――宿主が違えば操作のやり方も違わないと説明がつかないような気がします。
確かにそうですが、それでも最終的にはどのハリガネムシも宿主を水に飛び込ませるんですよね。それに関連して、最近は夜行性のカマドウマも走光性を操作されているか気になっています。もしそうなら、満月の夜にたくさん飛び込むような気がしますよね。この仮説を提案した研究室の院生の人が、去年、ハリガネムシがカマドウマを操作する夏から秋にかけて、満月と新月の日に毎回川に行ってカマドウマが飛び込む量や魚の摂食量などを調べたんですが、何も違いがありませんでした。カマドウマなどの夜行性の宿主の場合、走光性に強く依存しない形で水に飛び込ませるような仕組みがあると想像しています。樹上性のカマキリとは違いカマドウマは年中水のそばで生活しているので、走光性に頼らなくても活動量を上げてしまえば一定の確率で水に飛び込んでくれそうな気がします。
まずはモデルとなるカマキリのシステムで分子機構を解明して、そこではたらく遺伝子を他の宿主が持っているか調べてみたいです。
――カマキリをモデルとして分子機構を解明すれば、そのバリエーションとして他の宿主操作のシステムを解釈できるということですか。
そうですね。モデルがそのまま適用できなくてもいいんです。1個モデルがあれば、それと他のシステムを比較することで、進化的な起源や多様化の歴史に迫れるかもしれず、その後しばらくは楽しいと思います(笑)。でも、モデルが難しい。
――カマキリに寄生するハリガネムシの行動操作は他と比べて複雑なのでしょうか。
そうかもしれません。ただ、カマキリに寄生するハリガネムシとカマドウマに寄生するハリガネムシのどちらが進化的に先に出てきたのかさえわかっていません。前後関係を整理して、宿主を拡大してきた歴史を明らかにできれば、たとえばカマキリに対しては特異的な仕組みを持っていることなどが言えるかもしれません。
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水平伝播の機構と歴史
――ハリガネムシに寄生する生物は。
いるかもしれません。宿主操作の分野で、寄生生物が特異的な微生物や腸内細菌を持っていて、それが一番カギになる物質を作っているということが最近報告されはじめています。ハリガネムシは体サイズが大きく何か持っていても不思議ではないので、腸内細菌叢を1回全部調べてみてもいいかなと思っています。
――ハリガネムシが水平伝播で獲得した遺伝子に加えて共生細菌が補助的にはたらくということですか。
操作の仕組みとしては水平伝播でもらった遺伝子をストレートに使っている気がしますが、水平伝播自体を微生物が仲介した可能性はあります。ハリガネムシもカマキリも多細胞生物で、相手の細胞内に入り込むことは普通できないので、水平伝播も起こりえないはずです。実際論文を発表したときも「異物混入では」とか「仕組みがわからないからいまいち信用できない」という意見を受けました。
仕組みの1つとして考えられるのはウイルスによる仲介です。宿主に感染したウイルスがその遺伝子を取り込んで、それがたまたま寄生者側にも入って宿主遺伝子をゲノムに組み込むと、水平伝播が起こる可能性があります。
――水平伝播は1種だけで調べた結果ですか。
そうです。現在2つ目のセットとして別のカマキリと別のハリガネムシで検証しているところです。カマドウマやゴミムシは、まだゲノムを読んでいる段階です。
――水平伝播は複数回起きたのですか。
水平伝播が1回起きて、その遺伝子の配列が各系統でちょっとずつ変わることで、あたかもたくさんの水平伝播候補遺伝子があるように見える場合と、何回も独立に起きている場合が考えられます。それはゲノムの塩基配列から見分けがつきますが、今わかっている水平伝播由来の遺伝子を見る限り、何回も独立に起きているように見えます。他の種のセットでもチェックすればはっきりと見えてきそうです。
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意思決定の一助に
――研究で得られた知見はどのように応用できますか。
人工林率がどれだけ低いとハリガネムシの個体数減少を招くかや、森林伐採によって減少したハリガネムシが個体数を回復するまでにどれだけかかるのかについて研究しました。森林管理をするなら川との関係を考慮する必要があると論文で提言しました。大きな意思決定をするときに無視できない生物間相互作用があるという知見を残すことで、応用研究にかかわっています。さまざまな生物の多様性を維持しないと重大な問題が起きうることについて考える機会を作れればいいなと考えています。
宿主操作はどう応用できるかまだわかりません。アスファルト道路は水平偏光を反射するので操作されたカマキリが引き寄せられ、車に轢かれて死ぬことがよくあります。同様の事象を起こしている他の生き物に対して、カマキリでの知見が役立つかもしれません。
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学際研究の両面性
――研究の面白さや難しさを感じる瞬間はありますか。
僕は野外の研究者なので、自分が今見ている、教科書では説明できない現象を、数値で表すことに関心があります。ハリガネムシが宿主操作を通して生態系のエネルギーの流れを変えているという研究は、一番熱量を持って取り組みました。一人で夜中に野宿して各時間ごとに採集するなどしんどい作業ばかりでしたが、定量したら絶対に面白いことがわかると思ってやり切りました。
分野の融合は新しい発見につながります。ハリガネムシの野外での役割が理解できても、個体間で起きている宿主操作の仕組みがわからなければ、宿主操作が野外での種間関係や生態系間の関係につながることの根拠が薄いと思っていました。別の分野の人の協力のおかげで、仕組みを探る研究は速く進みました。当初の僕らは遺伝子発現を見ることすらできなかったし、候補タンパク質をウイルスに作らせるなんて想像もできませんでした。共同研究者と少し話し合っただけで「じゃあ作りましょうか」と言われて、すごく驚きました(笑)。そういう協力はとても楽しいですね。
一方で難しいことも多いです。教員になると新しい分野を1から勉強する時間がどうしても取りづらくなります。各分野のトップレベルの人に技術の提供を受けても、どうやって自分の研究に応用できるか理解が追いつかないこともしばしばです。
共同研究をするときに、どうしたら全員が熱量を持って1つのプロジェクトを進められるかもよく考えます。それぞれの分野の興味に合致した点がないと、全員が面白いと思いながら研究をするのは難しいと思います。どちらか一方が手伝うだけという構造を作らないことが大切です。
分子生物学の人が宿主操作の機構を1個明らかにして、ゲノム進化に興味のある人が、多様な系における宿主操作の共通性と多様性を研究する。その先に実際の森や生態系があって、この遺伝子が1個できたおかげで森と川がつながるようになったと想像できればとても面白いです。核となる仕組みを1つ解明し、そこから別の系と比較して共通性や多様性を理解できると、共同研究の全体を貫く1つのテーマができあがると思います。
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国境を越えた連携体制
――世界の研究者との交流はありますか。
世界中で、宿主操作に代表される「延長された表現型(※)」の分子機構を解明しようとする動きがあります。去年の6月に今後の方向性を考えるシンポジウムがアメリカで開催され、さまざまな研究者と交流しました。
※延長された表現型
ある生物個体の遺伝子が、その個体の形態や行動の表現に留まらず、他個体や周囲の環境の表現に寄与すること。寄生生物による宿主操作では、寄生生物の持つ遺伝子が、宿主の形態・行動発現に寄与することと定義される。
ある生物個体の遺伝子が、その個体の形態や行動の表現に留まらず、他個体や周囲の環境の表現に寄与すること。寄生生物による宿主操作では、寄生生物の持つ遺伝子が、宿主の形態・行動発現に寄与することと定義される。
ハリガネムシの研究者は世界でもそう多くありません。ハリガネムシのゲノムは、当初、ハリガネムシが有するゲノム特性のせいなのか、解読するのがとても難しく、世界中の研究者がよいゲノムを構築できずに困っていました。しかし、このゲノム解読をブレイクスルーする技術が最近出てきたので、世界中の研究者でハリガネムシゲノムコンソーシアムというグループを作って、主要な属のハリガネムシの正確なゲノムを決定しようと試みています。
水平伝播の研究ですべての解析を手がけた三品さんが、最近かなり高品質なハリガネムシのゲノムを構築しつつあります。今はそこに水平伝播の候補遺伝子をすべてマッピングして、水平伝播がゲノム上のどこで起こっているのかを検証しているところです。日本の各地で取ったハリガネムシの水平伝播候補遺伝子を、世界の各地で取ったハリガネムシのそれと比較することで、比較ゲノミクスの研究をもう1歩進められそうです。
また、コンソーシアムができたおかげで風通しがよくなり、去年は宿主操作の実験をしたいというイギリスの研究者が来てくれました。海外の若手研究者との交流の機会も持ちやすくなっていると思います。
――進化史の理解にも、世界的な協力が必要。
世界中にいるハリガネムシの起源や分布拡大の軌跡、宿主の転換や種分化の過程を解明できる時代になったので、ぜひ挑戦したいです。僕が今から研究を始めるならそれをやります(笑)。別のグループが仕組みを解明してくれたら、1つの分類群が宿主操作を通して他の生物と関わりながら成功したり失敗したりしてきた歴史の全体像を見ることができそうです。
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立ち止まって考える
――今後はどのような研究をしたいですか。
宿主操作の仕組みを1つ解明し、その仕組みを多様なハリガネムシ―節足動物宿主のセット間で比較することで、その共通性と多様性を進化の視点で明らかにしたいと思っています。これは分子生物学と進化生物学の融合分野だと言えます。最終的には、それが自然の生態系の種間関係などにどのような違いをもたらしているのかを理解したいです。これができれば、分子―進化―生態を融合する生物学によって、自然界の多様性を理解したと思える気がします。
――読者にメッセージを。
ここ最近、本当に自分がこのテーマに取り組むべきかということを十分に考える時間を持てないままに、研究を進めざる得ない状況になっている人が多いと思います。僕がイワナの研究を始めた学部生のときは、ただイワナの数を数えるなど、野外でたくさん遊びました。あの時間がすごくよかったなと今になって思います。夜はテントの中で自分の体験と論文とを照らし合わせて「これは今までの論文で説明できちゃう不思議に過ぎないな」とか「これは教科書を見ても説明できない仕組みだけどあまりにも専門的だな」ということを考える時間があったおかげで、情報を取捨選択することが人よりもちょっと得意になった気がしています。どんな分野の人でも、想像を膨らませながら本や論文を読んだり、自然の中でゆっくり考えたりする時間を持ってくれればなと思います。
――ありがとうございました。