文化

〈映画評〉「選挙」が生む分断と希望 『教皇選挙』

2025.04.01

〈映画評〉「選挙」が生む分断と希望 『教皇選挙』

ローレンス首席枢機卿 © 2024 Conclave Distribution, LLC.

「分断」という言葉が世界を体現するようになって久しい。人々は人種や性別、思想で固まり合い、別のグループを攻撃し合うようになった。その極致ともいえるのが選挙制度だ。アメリカ大統領選や兵庫県知事選が示したように、もはや選挙制度は人々の断絶と憎しみを生み出すシステムに堕ちてしまった。「投票しても何も変わらない」という厭世的な声が湧き上がるのを見るにつけ、陰鬱な気持ちになるのは評者だけではないだろう。選挙制度に希望はあるか。その問いを、ある特殊な選挙を通じて描いてみせた映画が、このほど公開された。

『教皇選挙』は、カトリック教会の最高指導者・ローマ教皇の死から始まる。教皇の最高顧問である「枢機卿」の首席・ローレンス(演:レイフ・ファインズ)は、枢機卿の中から新たな教皇を選ぶ「教皇選挙(コンクラーベ)」を取り仕切ることに。外部から隔離された環境下で投票が始まる中、水面下での票集めと共に、有力な候補者たちの汚点が次々と明らかになっていく……。

オスカーの作品賞レースは『ANOLA アノーラ』に敗れた本作だが、原作ありの作品に贈られる「脚色賞」を受賞している。その栄誉に違わぬ巧みな構成で、本作は「教会」という世俗離れした聖域を舞台に、徹頭徹尾「現実世界」を描いてみせる。イスラーム原理主義者による無差別テロを槍玉に挙げ、ムスリムとの「宗教戦争」を唱える保守派の候補者。初のアフリカ系教皇として期待がかかるが、実は脛に傷を持つ黒人候補者。賄賂をばらまき他の候補者の過ちを露見させて、なりふり構わず教皇の座を狙う候補者。彼らもまた国籍や言語、思想で固まり合い、他のグループを攻撃する。浮世離れしているように思えた物語が、実は観客の世界と地続きにあることが、ストーリーが進むにつれ明らかになっていく。ミサ曲など、キリスト教をモチーフにした作品なら盛り込まれそうなものを徹底的に排除したことからも、あくまで我々の生きる現世を問おうとした制作陣の気概が窺える。

投票が行われるシスティーナ礼拝堂の閉鎖体制は「ある事件」によって崩れる。そこから最後の投票に至る終盤の展開が素晴らしい。光さえ遮断された薄暗い礼拝堂で疑心暗鬼になりながら投票を重ねていた枢機卿たちは、「事件」によって光が射した礼拝堂で最後の投票を行う。風通しのよい場所で情報に触れること。他者の意見に耳を傾け、絶えず自らの考えに「疑念」をもつこと。終盤で枢機卿たちが実践した行動は、私たちにとっても実現可能なことである。フィルターバブルに囚われずに複数の情報を吟味し、他者の考えには寛容を、自らの考えには疑念を。それを実践すれば、私たちは本作を「夢物語」ではなく「未来の物語」へと変え、選挙のあるべき姿を取り戻せるはずだ。投票後、ローレンスが晴れやかな面持ちで新教皇の誕生を祝したように。(晴)

◆映画情報
監督 エドワード・ベルガー
配給 キノフィルムズ
3月20日より全国公開中
上映時間 120分

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