文化

〈日々の暮らし方〉 第13回 正しい「祭り」の楽しみ方 〜だから、「つまらない」っていうな〜

2009.11.20

もうすぐNF本番である。だが少し冷静になって考えてみよう。一体、NFのどこが面白いというのか。まず毎年のようにずらりと並ぶ模擬店の存在意義からしてよくわからない。大しておいしくもない焼きそばを一皿200円ないし300円という決して安くない値段で、しかも長時間列に並んで買わなければならないというのはもはやただの苦行だ。むごすぎる。

それから貧弱な内容の催ししかできない文化系サークルを目にした時もむなしい気分になる。自主制作ですらないただの一般映画の上映会をやってみたり、当日までに準備が整わなかったこと丸出しの中途半端な展示をしてみたりと、NFの会場には毎年「がっかり」が大量発生している。

なにがNFだ。折角の休日にわざわざがっかりしたり疲れたりするために外出するなんてまっぴらごめんだ……という主張も別に全く的外れというわけでもないかもしれないが、このように「つまらないから」という理由でNFをけなすのは、消費者としての立場でしか祭りに参加しようとしない横着な根性から来るものである。先程言及した模擬店や展示にしても、それらを企画し、働いている人は大変な労力を捧げて一生懸命準備をしている。そして何より大切なことは、彼らが祭りを最高に楽しんでいるということだ。仲間達と一緒にわいわいと食材を準備する、展示物を作る、夜遅くまで残って看板を作る。楽しくないわけがない。祭りは準備の時が一番楽しいとよくいうではないか。そう、そもそも祭りとは当日だけ会場に足を運ぶのでは駄目で、前々から準備をするなどしていかに深く祭りに参加できたかで楽しさが決まるものなのである。

今からちょうど20年前、1989年の本紙のNF特集号を開くと「いつだっけ?学園祭」という見出しでNFの欠点を延々と羅列するという、京大新聞の伝統を感じさせるようななんとも底意地の悪い企画を見ることが出来る。お定まりの模擬店や貧弱な企画などNFが持つがっかりの要素はどうやらずっと昔から指摘され続けていることらしい。しかし、それらの欠点を指摘する側に回った時点で、もうその人(つまり本紙や私)は「祭り」への関わり方を間違えてしまっているのだ。いかに、「踊るあほう」になり切るか。それを追求することこそが正しい「祭り」の楽しみ方なのだから。

京都大学日々の暮らしを考える会・編



(注)本文中で模擬店や展示の事をさんざんけなしていますが、この面で紹介している団体の催しはどれも素晴らしいです。本当です。